無理矢理繋ぎ止めてしまった -Margret- Ⅱ【鳥籠】④
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一日の仕事も終わりを告げようとしていた頃、遠慮がちに総合救護室を見回している小さな陰を見つけたマルグレットは、手にしていた書類から目を離し声をかけた。
「クレア副団長、何方かお探しですか?」
彼女は見知った顔に安堵したのか、ちょこちょことマルグレットの元へ駆け寄ると、セシリヤを迎えに来たと言う。
いつの間に知り合いになったのだろうかと疑問に思ったものの、クレアはレオンの所属している団の副団長であるのだからその伝でと言う結論に至り、すぐにそれは解消された。
「セシリヤなら、そろそろ部屋から出て来るでしょう。それまで、こちらでお待ちになっては如何ですか?」
空いている椅子を指差すと、クレアは素直に頷いて遠慮がちに腰を下ろす。
まだ周囲で仕事をこなしている団員を見て、少しだけ居心地の悪そうな顔をしているクレアが少々不憫に思えたマルグレットは、処理していた書類から一旦手を離し、休憩と称して彼女に話し相手になって欲しいと切り出した。
一瞬戸惑い立ち上がったクレアだったが、マルグレットが有無を言わさぬ笑みを向けると、大人しく頷いて再び椅子に腰を下ろす。
話し相手とは言ったものの、然程話す内容を持ち合わせていた訳ではなかったので、会話は微妙な間を空けながら、ぽつりぽつりと進行して行くだけだった。
マルグレットは気にも留めていなかったけれど、どうやらクレアは落ち着かないらしく、先程からそわそわと視線を彷徨わせて、逆に気を使わせてしまったかと申し訳ない気持ちになってしまう。
「それにしても、セシリヤは遅いですね」
「あ、いえ、良いんです。私が強引に誘っちゃったので」
クレアがここへ来てから既に三十分程経過しているが、当のセシリヤはまだ仕事が終わっていないのか部屋から一向に出て来ず、流石に待たせ過ぎなのではとマルグレットが呟くと、クレアは両手を千切れんばかりに振って平気だと笑い、それから、
「良かったら、マルグレット団長も、お花見しませんか?」
「お花見、ですか?」
疾うに過ぎた桜の季節に、何を言っているのだろうと首を傾げるマルグレットに、クレアは第一騎士団兵舎前の桜が時期外れに見事な花を咲かせたのだと説明し、数名を誘い合って花見をするから是非参加をと勧めて来る。
セシリヤもそれに参加するのだろう。
僅かに迷ったものの、視線を寄越せばまだ片付けなければならない書類が小さな山を作っているのが見えてしまい、期待に満ちた笑顔を見せるクレアの誘いを断る事に多少気が引けたけれど、それらを放棄するわけにも行かないと、マルグレットは丁重に断りを申し入れた。
「そうですか……、無理言ってすみませんでした」
クレアが残念そうな顔をしながら頭を下げたと同時に、セシリヤが部屋から姿を現した。
「セシリヤさん! お疲れ様です!」
「クレア副団長、お待たせして申し訳ありません」
申し訳無さそうに一礼するセシリヤに、大丈夫ですと笑って立ち上がったクレアは嬉しそうにセシリヤの隣に並び、まるで、昔の自分とセシリヤを見ているようで、マルグレットは微笑ましいと口角を上げた。
「クレア副団長。セシリヤを、よろしくお願いしますね」
マルグレットが一言付け足して二人を送り出すと、セシリヤは「子供じゃないんですから」と呟きつつも、また明日と笑ってクレアに腕を引かれて行く。
徐々に遠くなって行く二つの背中が完全に視界から消えると、マルグレットは窓の外を見上げ、深い溜息を一つ、零した。
――君に与えられた場所が彼女にとって、鳥籠になるんじゃないかなぁ……――
未だ鮮明に耳に残るその言葉は、少しずつ、マルグレットの心に影を落としていた。
本当は、セシリヤが全てから弾き出されてしまう事が不安だったのではなくて、セシリヤの全てから弾き出されてしまう事が不安だった。
あの時抱いていた不安は、どこか知らない場所へ姿を消そうとしていたセシリヤから、マルグレットと言う存在を弾き出されてしまう事だった。
アロイスの言う通り、全てから解放されるはずだったセシリヤを無理矢理繋ぎ止めてしまったのは、他でもなく、マルグレット自身だ。
そして繋ぎ止めて尚、彼女の全てから弾き出されてしまっているのだ。
その証拠に、セシリヤはマルグレットに全てを見せようとはしないのだから。
「当然ですね……」
あの時のマルグレットには、アロイスの言葉の意味が理解しきれなかった。
感情のままに物事を覆すと言う重大さに、気づくことが出来なかったのだ。
もしもあの時思い留まっていたのなら、もしかしたらセシリヤは、マルグレットの知らないどこかで自由に、そして幸せに暮らしていられたかも知れない。
どんなに哀しみに打ちひしがれようとも、その手でそれらを掴んでいたのかも知れない。
それなのに。
本当の意味での自由を、幸せを知らないセシリヤに与えられようとしていた広い世界を閉ざしたのは、他の誰でもなく、マルグレット自身だ。
――どうかその命を、私の下で使って。もう一度、ここで生きる意味を探して。お願い、セシリヤ――
その言葉は今も、この鳥籠の鍵となって、セシリヤを縛り付けているに違いない。
けれど、その鍵を捨てる事が出来ないでいるのは、きっと……。
【END】




