間違いなく"あなた"だったのに -Clare-【憧憬】②
随分と時期外れだと言うのに、その桜の木は美しく花を咲かせていた。
鮮やかな空の青さと薄桃色の花の彩りに目を細めて、クレアは花をつけたまま風で落とされた小さな枝を拾い上げると、足早にそこから駆け出し第一騎士団の執務室へと急ぐ。
執務室からも見えているであろう桜ではあったが、間近でそれを見て共有したいと言う淡い恋心にも似た感情が、そんな行動に移したのかも知れない。
まだ少し休憩するには早かったけれど、あの人ならば、稚拙なクレアの行動を咎める事はしないだろう。
穏やかで寛大なあの人はきっと、その桜を目にして笑顔を一層柔らかに「美しい」と言ってくれるに違いない。
逸る気持を抑えながら、時折すれ違う部下達の怪訝そうな表情さえ気にも留めず、辿り着いた部屋の前で一旦呼吸と少し乱れた髪を整えて、緩やかに扉を押し開いた。
「失礼します」
「クレア、丁度良い所に。すまないけれど、お茶を入れてきてもらえるかな?」
「お邪魔してます、クレア副団長」
「セシリヤさん……! いいえ、ゆっくりして行って下さい!」
暖かい笑顔と声で迎え入れられたクレアは、応接用のソファに座るセシリヤに一礼をして、レオンに頼まれたお茶を入れる為に一旦退室しようと踵を返すが、
「それ、桜ですね。だいぶ季節外れなのに、綺麗に咲いているんですね」
セシリヤの言葉に、ドアノブへ掛けていた手を離して振り返り、持っていた桜の小枝を差し出した。
「そうなんです! ここの窓からも見えますよ!」
窓を指差せば、面白い程に二人の視線は同じ方向へ向き、そして同時に感嘆の溜息が漏れる。
たった一本だけの狂い咲きだったが、花は見事な程に満開で、そこだけが違う世界にでも繋がったかのようだ。
思わず見惚れて忘れかけていたが、お茶を入れなければとクレアが再び退室しようと動くが、それを止めたのはセシリヤで、彼女はすぐにお暇しますからと丁重に断りを入れて微笑んだ。
その顔に安心するような心地よさを覚えながらも、どうすべきかとレオンを見やれば、彼も頷いてセシリヤの意見に添って見せ、了承する。
一応話が終わるまでは部屋の外に出ていた方が良いだろうと判断して、その旨を伝えたが、いてもらって構わないと言うレオンと、隣にどうぞとソファの空いている場所を勧めるセシリヤに負けて、ちょこんと彼女の隣に腰を下ろした。
別段居心地が悪い訳ではなかったけれど、どうにもこの二人の纏う空気に入って行けそうもなく、黙って二人の会話に耳を傾ける。
どうやら先日、結界を破って侵入した魔物に襲われていた時に、助けてもらったお礼に来ているようだ。
彼女が怪我をしたと言う話は小耳に挟んでいたし、最近復帰した事も知っていた。
クレアも入団したての頃に、怪我でお世話になった事のあるセシリヤの見舞いには行きたいと思ってはいたが、如何せんマルグレットの許可が必要で、尚且つ中々許可が下りないと聞いていた為、諦めていたのだ。
(唯一許可が下りたのはジョエルだけだと言うのだが、その差は何なのか)
結局、こうしてセシリヤがレオンにお礼をしに訪ねて来るまで、何もできなかった。
ぼんやりと二人のやりとりを眺めながら、手持無沙汰に花のついた小枝をいじっていれば、ふとセシリヤの視線に気づき、どうしたのかと首を傾げてみせると、彼女はその小枝を借りても良いかと訊ねるので、断る道理もないと差し出した。
小枝を受け取ったセシリヤはクレアに背を向けて座るように言い、素直に従うと彼女の指先が髪を梳いて器用に一纏めにし、そこに渡した小枝を挿し入れた。
小枝は抜ける事無く、一纏めにした髪をしっかりと留めている。
「こうすると、似合いますね」
「そう、ですか……?」
「うん。クレア、よく似合ってるよ」
少し青みがかるような黒髪に桜の花がよく映えると二人とも褒めるものだから、クレアは自然と火照る頬を両手で覆いながら俯いてしまった。
恐らく、両手で覆っても隠しきれないくらいに頬は紅潮しきっているだろう。
ちらりとセシリヤの様子を窺うために視線を上げると、彼女は相変わらず優しい微笑みを湛えたままで、その双眼に映る姿を考えると、ますます自分が滑稽に思えて恥しさが込み上げる。
セシリヤの方が花など飾らなくても、何倍も、何十倍も綺麗なのにと思わずにはいられない。
次いでレオンに目を向けると、彼の視線は真っ直ぐにセシリヤを捉えていた。
……また、見てる。
レオンのセシリヤを見る目がとても優しい事に気が付いたのは、いつの頃だったろうか。
クレアが入団する前からの付き合いである事は知っているし、それなりに付き合いが長いのか親しい事も知っている。
けれど、こうして間近でレオンの視線を見ていると、何となくそれだけでは無いような気もするのだ。
一度、それについて聞いたことがあるけれど、勿論、彼は否定した。
セシリヤには返しても返しきれないくらいの恩があるのだと、そう教えてくれたが、彼女を語るその時の瞳も優しかったのを覚えている。
一方のセシリヤは、別段気にも留めていないようで、クレアの髪に挿した桜の花を眺めていた。
レオンに視線を戻してその顔をじっと見つめていると、それに気づいた彼がどうしたのかと訊ねるが、何でもないと誤魔化して適当な場所に視線を流す。
少し不自然な態度だったのか、何となく空気が重くなった気がして、罪悪感が募った。
ただでさえレオンと並べば、色々な意味での差を感じずにはいられないのだから、それも致し方ない。
第一騎士団副団長と言う座に就いてから、以前よりも更に色々な所で努力は重ねて来たつもりだ。
彼の人柄故に多少甘えてしまう部分はあったが、剣も魔術も両立して磨いて来たし、実力は他団の副団長に引けを取らない。
けれどやはり、今でもどこか危なっかしい子供を見ているようなフシを感じずにはいられないのだ。
せめてもう少し、心に余裕を持つ事が出来たのなら何かが違っていたのかも知れない。
子供の頃に、魔物に襲われていた村へ颯爽と駆け付けた、その存在に憧れていたあの頃とは違うのだと……。
一方的な、劣等感であることは、解っているのだけれど。




