寂しさは更に増している -Yuri-Ⅲ【羨望】②
「マルグレット団長」
軽くノックをして、扉を開く。
ここしばらく、セシリヤに付き添うかのように部屋に居座っていたプリシラが扉を開けてくれる所だが、セシリヤが意識を回復した直後、イヴォンネと共に退室していたので、この場にはいない。
セシリヤの処置の手伝いを終えた後、書類を運んでいる途中だったことを思い出して急いで届けに戻り、一息ついた所で第五騎士団の小隊が帰還し、怪我人の処置を頼まれたのだが、業務終了間際の時間帯で人手が少なく、マルグレットを呼んで来るようにと指示された。
遠慮がちにそれをマルグレットに伝えると、彼女はすぐに了承して部屋を出て行き、同じようにユーリもその後に続いて行くつもりだったが、何となく、部屋に漂う違和感に気が付いてその場に残ってしまう。
部屋には明るい光が差し込んでいるにも関わらず、空気だけが微かに暗く淀んでいる様な気がするのだ。
換気が悪いせいかと窓を確認してみるが、窓は開いたままだ。
「ユーリ……、私は大丈夫ですから、早く怪我人を診てあげて下さい」
首を傾げながら覗いていると、セシリヤが横になったまま安心させるように笑ってそう言ってくれたのだが、どうにも違和感が拭えない。
いつもと変わらないあの優しい笑顔だったが、ひどく背筋が寒くなる。
何かがセシリヤの周りで蠢いている様な、そんな奇妙な感覚があったせいかも知れない。
本当に、一人にしてしまって大丈夫だろうか?
戸惑いつつも、ぺこりとお辞儀をして振り切る様に足を踏み出すと、先に行ってしまったマルグレットの後を追った。
こう言う時は、セシリヤと懇意にしているマルグレットの指示を仰いだ方が良い。
マルグレットなら、この奇妙な感覚をわかってくれるのではないかと思ったからだ。
「マルグレット団長……、少し、いいですか?」
廊下でマルグレットを呼び止め、セシリヤの様子が少し気になることを話すと、彼女も何かを感じ取っていたのかそれに同意する。
時間が許されるのなら、マルグレットがセシリヤの傍にいてあげることは出来ないかと頼んで見たが、これから第五騎士団の怪我人を診なければならない為にそれは出来ないと首を横に振った。
ユーリも同じだ。
それに、セシリヤの傍にいるとしても、おそらく何の力にもなれないだろう。
しかし、何となく一人にしてしまうのは不安が残る。
あの笑顔の奥の瞳に、仄暗い何かを感じてしまったからだろうか。
どうするべきかと悩んでいれば、マルグレットは何かを考えるように目を伏せ、そして、
「ジョエル団長に、セシリヤの意識が戻った事をお伝えしましょう」
「ジョエル団長にですか?」
理由を尋ねる前に、マルグレットはくるりと背を向けて廊下を歩いて行く。
確かに、ジョエルならセシリヤとも親交が深い。
よく考えてみれば、セシリヤの意識がなかった時に面会を求めやって来た人物の中で、唯一すんなりと部屋へ通されたのはジョエルだけだった気がする。
しかし、このタイミングで何故ジョエルをとユーリは首を傾げるばかりだ。
……何か、二人の間にあるのだろうか?
そんなことを考えているユーリを知ってか知らずか、マルグレットは振り返って続けた。
「ユーリ、もしもジョエル団長が訪れたら、セシリヤの元へ案内して差し上げて下さい。他の方は、何があってもお断りするように」
「わ、わかりました」
そのまま、第三騎士団の兵舎へと向かうマルグレットの背を見送ると、ユーリは言い付け通りにジョエルの到着を待つことにした。
数分後、マルグレットがジョエルの元へ向かってから然程立っていないと言うのに、ユーリは未だ姿の見えないジョエルがいつ来るか居ても立っても居られないと、医療棟の入り口の前で右往左往を繰り返していた。
マルグレットから直々にジョエルの案内を頼まれた重圧と同時に、払拭されない疑問が頭をぐるぐると回っているせいであることは間違いないだろう。
答えに辿りついたとして、何が変わる訳でもないけれど、セシリヤの事を純粋に知りたいと言う気持ちが確かにそこにある。
ユーリがセシリヤに手を差し延べても、彼女は決まって「大丈夫ですから」と笑って手を取る事はせず、頼りにされていない事に対して、少しだけ寂しさを感じていた。(まだまだ一介の新人であるから仕方ないのだけれど)
それなのに、どうしてジョエルにだけは頼っているのだろう。
セシリヤがジョエルと親しい事は知っていたし、時折、ディーノがジョエルに頼まれてセシリヤ宛ての書類や手紙を持って来ている事も、それを受け取り嬉しそうに笑っている事にも、気が付いていた。
どう言った間柄かまでは詮索した事がなかったけれど、今こうして考えれば、何となくうっすらとその関係性が見えて来る。
もう後少しで何か掴めそうだと言う時に、ちょうど視界に入ってきた人物を捉え、ユーリはおずおずと一礼して声をかけた。
「ジョエル団長」
ユーリに気がついたジョエルが穏やかに笑みを返すと、先程まで重圧を感じていた心が解れて行くような気がした。
平和を愛し、何者にでも慈しみを持つジョエルならではの雰囲気が為せる業だと、ユーリは心の底から彼を尊敬する。
(医療団内でも、彼の評判はとても良いのだが、本人は多分わかっていないだろう)
「セシリヤさんの部屋へ、ジョエル団長をご案内する様に仰せつかってます」
どうぞこちらへと少しだけジョエルの先を行くと、彼は礼を言ってユーリへ案内を任せて歩き出した。
セシリヤのいる部屋へ到着するまで、無言は少々耐えられないくらいの時間がかかる。
かと言って、饒舌に言葉を並べる程の時間はないし、そんな雰囲気でもない。
加えて、普段接する機会が全くと言って良いほどないジョエルと何を話せば良いものか……。
そう考えながらも、とうとう沈黙に耐えかねたユーリは言葉を選びながら独り言の様に呟いた。
「あまり長い面会は出来ませんけど……、セシリヤさんは喜ぶと思います」
背を向けている為に表情の動きは解らないけれど、微かに、ジョエルの反応があった様な気がする。
肌に感じるジョエルの纏う空気は変わらず穏やかで、彼の気分を特に害した様子はない。
心の中で小さな溜息を吐いて、ユーリは続けた。
「マルグレット団長が面会許可を出したのは、ジョエル団長だけなんです。他の方に関しては、まだセシリヤさんの気分が優れない様なので、お断りする様に言われていますから」
ユーリの声が途切れると、ジョエルは小さく理解の言葉を洩らし、それっきり何かを考える様に黙ってしまった。
再び、二人の間に沈黙が戻る。
しかし、やってきたその沈黙は、先程とは違って重々しいものではなく、どこか柔らかく心地良いとさえ思ってしまうものだった。
ちらりとジョエルの顔を見上げれば、セシリヤを想うジョエルの顔が見え、それがとても優しくユーリの瞳には映った。
この心地良い沈黙の空気は、ジョエルがセシリヤを想う気持ちが如実に現れていて、ジョエルはセシリヤを最も理解し、最も近しい場所にいることを証明しているのだと思う。
そしてこれは、誰が手を差し伸べても何を訊いても「大丈夫」と形だけの言葉で優しく拒絶し、全てからその存在を遠ざけようとしている彼女を離さない為の、檻。
優しい檻なのだ。
言い換えれば、唯一、セシリヤがそこに逃げることを、求めることを許されている場所でもある。
だからジョエルが傍にいる限り、セシリヤは文字通り【大丈夫】なのかも知れない。
だから彼女は他の何者にも求めることをしないのだ。
ユーリはそう、理解した。
けれど、感じていた寂しさは更に増している。
頼ってもらえるジョエルを、少しだけ、羨ましいと思った。
目指している部屋は、目前に迫っている。
【END】




