寂しさは更に増している -Yuri-Ⅲ【羨望】①
「……うーん、やっぱり読めない」
懸命に解読していた本から目を離し、伸びをして背凭れに身体を預けると、ユーリは閑散としている書庫を見回した。
相変わらず利用者はおらず、古い本の匂いで満たされたこの部屋は、ユーリただ一人の貸し切り状態である。
最近になって、束の間の休憩時間を利用しては書庫に足を運び、本の解読に励んでいた。
ここで偶然見つけた、異界の文字で書かれたメモ書きとも日記とも思えるような本。
しかし、これを読み解く為の手がかりは無く、何もない状態からのスタートで、正直、何からどう手をつけて良いのか全く分からない。
唯一、一番最後のページにあるセシリヤ宛のメッセージだけが頼りなのだが、文字数も少なすぎて解読には限界がある。
―――あなたを傷つけてごめんなさい、セシリヤ。
この本の持ち主は、一体どう言う気持ちでこれを書き、この世界に置いて行ったのだろう。
最初の数ページは、単語のようなものにマルやバツがつけられていたり、矢印が書かれた先に何かを選択をするような文字の羅列が書いてあったのだが、後半に行くに連れてそれは少なくなって行き、ついには日記と思われる文章だけになっていた。
その日記も最初の頃より長くなっていて、時折、何度も書き直した後があり、何か悩んでいたのではないかと思ってしまう。
一向に解読できない本をぱらぱらと捲り、とうとうユーリは机に突っ伏した。
「って言うか、何で僕はこれを解読してるんだっけ……?」
ふと口にだし、そう言えば王の側近であるアンヘルに、セシリヤについての謎を解いて見せろと言われた事を思い出し、同時にユーリ自らがセシリヤに興味を持ったからだ。
彼女セシリヤに興味を持ったから、彼女あての謝罪が書かれていたこの本を解読すれば、何かわかると思っていたのではないか。
とは言え、既にお手上げ状態なのだけれど。
「セシリヤ・ウォートリーか……」
医療団に入団した際、指導役として彼女が付いてくれた。
第一印象は、優雅でとても優しい雰囲気の人だと思っていたが、見た目とは裏腹に、随分と大胆な事をする人だなといつもハラハラしていた。
気性の荒い騎士にだって物怖じする事もなく、毅然とした態度で療治を施し、暴力的な行動に出たり礼儀を欠こうものなら力でねじ伏せる。
あの細腕に一体どんな力があるんだと、初めて見た時は驚いた。
いつだったか、ユーリが治療を施していた騎士 (とは今でも認めたくない)に散々罵声を浴びせられ萎縮していた所に、セシリヤの鉄槌が下されて入院騒ぎになったことがある。
彼女は入院するほどの怪我を負わせた責任を取ると言って、その騎士の看護を買って出たのだが、退院する頃には、ユーリに罵声を浴びせていた人物とは思え無い程別人のように矯正されていた。
短期間で、どうやったらそうなるのかと訊ねたが、誠意を持って対応しただけだと答えるセシリヤのいい笑顔威圧感は今でも忘れられない。
フレッドは顔を真っ赤にしながら怒っていたけれど、彼女のお陰で医療団員達が安心して治療に励むことができるのも否定できない。
勿論、礼儀を弁えている騎士に対しては誠心誠意をもって接しているし、普通にしていれば何も問題はないのだ。
人間関係も、アルマンを除けば彼女を表立って毛嫌いしている人はいないように思う。
第三騎士団長のジョエルと副団長のディーノ、そして第一騎士団長であるレオンとは親交も深いような気がするし、マルグレットとは特に懇意にしているようだ。
「……だからって、謎が解ける糸口にはならないんだよなぁ」
知っている限りのセシリヤの情報は、本当に差し障りのない物ばかりだ。
入団してから彼女と仕事をする機会は多々あったが、彼女は自分のことを語らない。
あえて聞こうと思えないのは、彼女自身のことを聞かれた時に張り付ける、あの笑顔だ。
普段見せる笑顔とは違い、それ以上踏み込んでくるなと言う拒絶の色を含ませたそれが、ユーリにはもの悲しく映るのだ。
何故そんな顔をするのだろうかと疑問に思った事もあるが、自分よりも長くここ医療団に所属しているのなら、それなりの理由があるのだろうと、それ以降問うたことがなかった。
無神経でいられる程、鈍感ではない。
だが、そのおかげで行き詰ってもいるのだ。
「考えるのが面倒になって来た……」
空気の入れ替えの為に開けていた窓から入ってくる風も心地良く、日当たりも最高に良いこの場所で、ユーリは誘われるように瞼を閉じた。
「こんな所で何をやってるんだ、ユーリ!」
鼓膜に突き刺さるような怒鳴り声に顔を上げると、フレッドが鬼の形相でこちらを睨みつけていて、辺りを見回せば陽はとうに傾いていた。
あのまま眠ってしまったのだと気づき、顔から血の気が引いて行く。
まさか居眠りで職務放棄してしまうとは思わず、頭を下げてまず謝罪をしようとするが、それを遮るようにフレッドは医療棟へもどるよう指示を出す。
その様子は尋常ではなく、何かあったのかと訊ねると、
「何かあったじゃない! セシリヤ・ウォートリーが魔物に襲われて、意識不明の重体だ! 今マルグレット団長が治療を施している! お前もさっさと行って補助をしろ! お前の指導役だろう!」
「わ、わかりました!」
書庫を飛び出し、医療棟を目指して走る。
途中、アルマンにぶつかって酷く怒られたが、通りがかったディーノの仲裁で事なきを得た。
あの日記を書庫に忘れて来たのを思い出すのは、ずっと後になってからだ。
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