血は途絶えていない -Yvonne-【秘密】①
子供のころの話だ。
曾祖母は小さなイヴォンネを膝に乗せると、いつも発動しない術式を描いて見せた。
若い頃は魔術師だったと言う曾祖母だったが真偽は不明で、随分と年をとってボケているだけだからと周囲から軽く話を流されていた。
しかし、イヴォンネは曾祖母の描く発動しない術式を真似て描き、彼女の話をよく聞いていた。
特に曾祖母が熱く語る、とある領主の話はイヴォンネの心に強く印象を残した。
"ウォートリー領の領主様には、敬意を払い生きろ"
話の始まりは、いつもこの言葉だった。
ストラノ王国内ウォートリー領の領主であるテオバルド・ウォートリーは、ストラノ王とは腹違いの兄弟であり性格も全くの反対で、情に厚く、優しく穏やかで、まさに高潔を体現した人物であった。
彼は獣人や半獣人に理解を示し、ストラノに虐げられている者を保護し、彼の妻も同じようにストラノの手から逃れた彼らを手厚く比護していた。
建前には"労働力"として"奴隷"としてだったが、その待遇は非常に良いものだった。
働けば働いた分の賃金は支払われたし、建前上"奴隷"の扱いではあった為に住む場所は一つに纏められていたが、清潔で明るく窓も扉もあり、怪我をすれば治療を、病気をすれば医者を呼んでくれた。
牢獄の暮らしとは違う、ごく普通の暮らしだ。
この世界で虐げられ続けていた獣人達はテオバルドやその妻に感謝し、こう云い伝えた。
"ウォートリー領の領主様には、敬意を払い生きろ。
あの醜くて傲慢な王とは違う、清廉潔白な魂を決して忘れるな。
末代まで崇めよ、血族が絶えるその時まで"
そんなある日、ストラノ王は禁断とされている精神に干渉する魔術の開発を推し進めていた。
獣人たちを始めとして、ゆくゆくは他の人間を陥落させる事を目的としての開発に、テオバルドは酷く反対した。
例えどんな理由があろうとも、その人の精神に魔術で干渉してはならないとストラノ王に進言するが、ストラノ王はこれを是とせず、あろうことかテオバルドの反逆であるとのたまった。
それを否定し、話を聞くように説得をするテオバルドだったがストラノ王は聞く耳を持たず、その日の内に捕らえられ、反逆の罪で処刑された。
ウォートリー領は瞬く間に取り潰しになり、テオバルドの妻とその一族も皆断頭台の露と消えた。
テオバルドに保護されていた獣人たちの中には、ストラノ王のやり方に抗う者も、騒ぎのどさくさに紛れて難を逃れた者もいたが、その行方は依然として不明である。
見せしめのように曝された多くの遺体に、人々は目を背けた。
ストラノ王の機嫌を損ねてはいけない、損ねれば同じ目に合ってしまう。
腹違いの兄弟であろうとも、残虐で非道な王は容赦はしない。
ウォートリーの血が絶えた事を密かに悼みながら、ストラノ王の非情さに怯えるばかりだった。
曾祖母は話を終えると古い写真を取り出して眺め、そしてまた同じ術式を描き続けた。
それから曾祖母が亡くなり、意味を持たない術式は、いつしかイヴォンネの記憶の隅に追いやられて行った。
数年後、今はもうストラノという国はなく、新たな時代が始まっていた。
突如現れたと言う魔王を倒した、異界の勇者が建国したロガール。
種族の違いで差別はしない、まさに種族の垣根を越えた夢のようなこの国にやってきたイヴォンネは、騎士学院に入学し魔術師を目指した。
イヴォンネの才能は目覚ましく、新しい魔術を生み出し、生活に便利な魔具までも手掛けるようになり、けれど、一切表舞台に立とうとしない彼女はその抜きんでた実力も素性も隠し、ただひたすらに息を潜めていた。
そんなある日、とある獣人の騎士が身に覚えのない罪を責められている場面に出くわした。
種族の垣根がない国とは言え、こうした目に見えないところでの獣人への嫌がらせはひどく、まだこの世界では価値観が変わらずに根を張っているのだと実感する。
イヴォンネは彼を助けるか迷った。
自分も目立たないとは言え獣人だ。
唯一、獣人としての証とも言える耳を切り落とし、人と偽っている自分に手を差し伸べられるのだろうか。




