泣くのは、我慢しなくて良いんだよ -Priscilla-【続・無邪気】③
「プリシラちゃん!」
お気に入りのスカートの裾が裂けてしまったのは悲しかったが、今はそんな事にかまっていられないと心配するセシリヤに大丈夫だと返事をし、先程よりも広がった地面の裂け目を越える為に助走をつけて地面を蹴って、帽子の落ちている場所まで跳躍した。
抉られた地面ギリギリの所に上手く着地し、急いで帽子を拾って顔を上げると、いつの間にか一体の四つ足の魔物が目の前に立ち塞がっていて、驚いて一歩後ずさったプリシラは、地面に転がる石に足を取られてその場に尻餅をつく。
使える魔術はあるが、この距離ならば術式を描いて詠唱をしている間にやられてしまう。
帽子についたブローチを握り、うなり声を上げて飛び掛かって来る魔物から守るように頭を抱えたが、魔物はいつの間にか張られていた防御魔術に弾き飛ばされ、地面に倒れ込んだと同時に打ち込まれた魔術の矢を受け消滅して行った。
「ごめんなさい……、怖い思いをさせてしまいました」
尻餅をついたまま座り込むプリシラの元へ駆けつけ手を取り立たせたセシリヤに、他の魔物はどうしたのかと訊ねると、彼女は異形の魔物以外は止めを刺して片付けたと言い、事切れて消滅し始めている魔物の群れを指差した。
言われた通り、残っているのはあの異形の魔物だけだが、先程プリシラに向かって魔術を放ってから微動だにしない上、セシリヤも体力を消耗しているのか、これ以上の戦闘を続けるのは厳しそうだ。
今ならあの魔物の隙を突いて逃げられると、プリシラはセシリヤの手を離さないようにギュッと握って開けた道へ走り出す。
同時に空から眩しい光がプリシラを照らし、太陽の光だろうかと空を見上げると、あの異形の魔物と全く同じ形をした別の個体が結界の穴から顔を出し、こちらを狙ってまさに今、あの閃光を放とうとしている所だった。
ちらりと視線を横にやれば、微動だにしていなかったはずの異形の魔物がゆっくりとプリシラを振り返り、その濁った瞳があざ笑うかのように細められる。
動いていないからと油断をしてしまったが、あれは、ここに新たな仲間を呼び寄せていただけだったのかも知れないと、次第に近付いて来る閃光を感じながら、自分の考えの浅さに後悔しくちびるを噛んだ。
こんな事ならば、逃げるよりも先にイヴォンネに助けを求めるべきだったと、目を閉じる。
しかし、プリシラの身体を覆ったのは眩い閃光ではなくそれを遮るような影で、ふわりと地面から浮いた身体は一瞬甘い香りに包まれると、次の瞬間には地面へ転がるような振動が身体に伝わって来る。
地に背がついた衝撃の痛みは、思っていたよりも感じなかった。
「プリシラちゃん、怪我はしていませんか?」
恐る恐る目を開けると、プリシラの様子を心配そうに窺うセシリヤの顔が見え、彼女に抱き締められるように閃光を避けたおかげで背中の痛みも少なかったのかと理解し、助かった事に安堵する。
それから、セシリヤこそ大丈夫なのかと彼女にしがみついていた手を離し、緊張で汗ばんでいる湿った手の平を開いて見ると、眩暈がしそうな程に鮮やかな赤色で一面が染まっていた。
嫌でも鼻をつく生々しい臭いと、じわじわ地面にも広がっているその色は、間違いなく目の前のセシリヤの身体から流れているものだ。
「セシリヤちゃんっ、怪我……、怪我してる!」
「ほんの少し掠った程度なので大丈夫です。マルグレット団長がすぐに治してくれます。それよりも、プリシラちゃんは大丈夫ですか?」
首が千切れそうになるくらいに縦に頷くプリシラに安心したセシリヤは、私の事は心配いりませんと続け、僅かに震える手で防御魔術をプリシラに張ると、ゆっくり瞼を閉じて動かなくなった。
顔を上げれば、結界の穴から新たな魔物が侵入を始めていて、あっと言う間に最初の状態に戻ってしまう。
プリシラ一人では、セシリヤを守り切る事は到底不可能だ。
しかし、助けを呼ぼうにも魔具の使い方がわからない。
そもそも、本当にこれが魔具なのかもわからないのだ。
それでも、この状況で頼れるものはそれしかないと、プリシラは血で汚れるのも構わずに帽子についたブローチを握りしめて、イヴォンネに助けを求めた。
「ママ……、ママぁぁぁっ! 早く、助けてっ! セシリヤちゃんが、死んじゃう!」
力いっぱいに叫ぶと、手の中のブローチが熱を持って輝き始め、驚いてプリシラが手を離すと、ブローチから広がった光の中から人影が飛び出して来る。
やはり、このブローチは魔具だったのだと、次第にはっきりしてくる人影を見つめていると、
「おえっ……、ちょ、これ……、気持ち悪っ! ダメだ……、僕、酔うわ。この魔具、改良必須だよ……。ヤバイ、本気で吐きそう……」
「………だれ?」
顔を真っ青にして口元を押さえている優男の姿を目にしたプリシラは、困惑した。
イヴォンネを呼んだはずなのに、まったく見知らぬ、それも頼りなさそうな男が出て来たのだから当然の反応だ。
緊迫した状況にも関わらず、魔具について文句を言う男に警戒したプリシラは、気を失っているセシリヤを背に庇って様子を窺ってみる。
そこでようやく二人の存在に気が付いたのか、彼は「お待たせ」と軽い挨拶もそこそこに周囲を見回し、倒れているセシリヤの怪我と意識を確認すると、プリシラの持っていたブローチに手を翳して話し出した。
「聞こえてる? こちら第二騎士団長シルヴィオ・イグレシア、無事現地に到着。気分は最悪だけど。結界は一部崩壊、魔物は四つ足の獣中型が約二十体、……それから、これはお初だね。人型に似せた異形の大型が二体。プリシラちゃんは無事だけど、一緒にいたセシリヤ・ウォートリーが重傷、意識なし。すぐにマルグレット団長の応援をよろしく」
シルヴィオがブローチに向かって状況を伝えている最中、数体の魔物が襲い掛かって来たが、彼が空いていた手で軽く指を鳴らすと、魔物は一瞬動きを止めた直後にサラサラと砂のように崩れ消えて行った。
続けて襲って来た魔物も、彼が同じ動作をすればあっと言う間に崩れ去って行き、数を減らした魔物は警戒を強め三人を取り囲んで唸る。
「そうそう、そこで大人しくしててね。もうすぐこっちに遊んでくれる人たちが来るからさ」
男の使う不思議な魔術にプリシラが呆けていると、再びブローチが輝き複数の人影が飛び出し、その中にプリシラの探していたイヴォンネの姿があった事に安堵して、すぐさま駆け寄り抱き着いた。
「よく頑張ったわね、プリシラ。あなたのお陰で、すぐに場所も特定できたわ」
「ママっ、セシリヤちゃんが怪我してるの!」
ぽろぽろと大粒の涙を零してプリシラがイヴォンネに訴えると、彼女は心配いらないと言って、セシリヤの傍で応急処置を始めたマルグレットを指差した。
「ガキと怪我人はすっこんでろよ。これから大掃除だってのに、ウロチョロされちゃあ邪魔でしょうがねぇ!」
大柄で随分と荒々しい男が、イヴォンネに抱き着いていたプリシラにあっちへ行けと言わんばかりに手をひらひらさせて追い立てると、シルヴィオがこっちこっちと手招きしているのが見え、警戒したプリシラはイヴォンネのローブの裾を掴む。
「大丈夫よ。アレでも一応、団長だから、彼と一緒に先に王都へ戻りなさい」
「ママはどうするの?」
イヴォンネとは一緒に帰れないのかと不安に俯けば、彼女はプリシラと視線を合わせるように膝をつき、プリシラの顔を覗き込んだ。
「心配いらないわ。レオン団長もレナード団長もいるし、ママは二人のサポートと結界の修復をしなければならないの。プリシラも、最後までセシリヤの傍にいて守ってあげないと……。大事ものは、自分で守らないといけないのよ」
あなたならできる、と小さなプリシラの手を握ったイヴォンネの言葉に頷くと、涙を袖で軽く拭い、応急処置の済んだセシリヤを抱えていたシルヴィオの下へ駆け寄り、意識のないセシリヤの手を握った。
怪我をして出血していたせいか、いつもの暖かさはなく、プリシラの不安は募って行くばかりだ。
「おい、シルヴィオ! とっとと邪魔にならねぇ所に行け! 少し走りゃあ、こっちに向かってるマティ達と合流できる手筈になってる!」
「後の事は引き受ける。シルヴィオ団長、マルグレット団長……、セシリヤを頼む」
「了解。じゃあ、後はよろしく。マルグレット団長、プリシラちゃんは任せたよ」
マルグレットに抱き上げられたプリシラは、戦闘を始めたイヴォンネ達の姿が遠くなって行くのを見つめ、彼らの無事を祈る。
それから王都へ戻る最中、シルヴィオに抱えられたセシリヤの様子を窺いながら、マルグレットに彼女を助けて欲しいと、何度も何度も、繰り返し懇願し続けた。
【END】




