忘れるものか -Angelo- 【親友】⑤
その違和感は、教室に足を踏み入れた瞬間直ぐに気がついた。
想定外の上級の魔物の出現により大惨事となった演習の翌日、アレスの姿は忽然と学院から消えていたのだ。
けれど、誰一人としてそんな疑問を抱くことも無く、更に不自然な程に演習の話題にも触れられないまま、学院での一日が始まり時間が過ぎ去って行く。
近くにいた同級生の一人にアレスの話をしようと呼び止めたが、彼は訝し気に眉を顰めてアンジェロの横を通り過ぎて行った。
もしかすると、クレアならば何か知っているのではないかと姿を探したけれど、彼女の周りにいる友人に阻まれて話しかけることが出来ない。
アルマンも、教員に呼び出されているのかサボっているのかは不明だが、教室に姿はなく、いつもの日常のはずなのに、あまりにも不自然な空気が取り巻いているようで、アンジェロはたまらず教室を飛び出した。
同級生が一人消えたことを誰が気づかないものかと、アンジェロは学院中を当たってアレスの痕跡を探し回った。
例え他の生徒とあまり接点はなかったとしても、アンジェロの中に確かに彼は存在していた。
アレスとは、気がつけばいつも一緒だったのだ。
親友と呼べる、大切な人だった。
誰が、気づかないものか。
演習の前日に、何故騎士を目指すのかを話した。
彼は、第七騎士団にいる姉に憧れ騎士を目指していると話していた。
たった一人の大切な家族である彼女にいつまでも護られているばかりではなく、今度は彼女を護ってやりたいと……、幸せになってもらいたいと、話していた。
騎士学院へ入ることを姉に反対され、それを押し切り入学をして、その日から彼女とは顔を合わせていないと言っていた。
一人前の騎士になるまで、姉とは会わないとアレスは誓っていた。
志しの強い彼は、とても綺麗な瞳をして話していた。
その輝かしい表情を、アンジェロはっきりと覚えている。
そんなアレスの姿を、あの演習の後からぱったりと見かけなくなった。
事もあろうか、最初から彼など存在していなかったかの様に、誰もが振舞っていた。
彼が座っていた席は、あれから荷物も無くぽっかりと空いたままだ。
そのあまりの不自然さに耐えかねたアンジェロは、一度だけ教員に訊ねたことがある。
「アレス・ウォートリーは、どこへ行ったのか」と。
けれど、その返答は有耶無耶なままに、教員達はいそいそとその場を離れて行った。
誰に何を訊ねても、その口を噤み視線を逸らし、果ては別の話題にすり替えてアンジェロの言葉を打ち消す始末だ。
同級生達は何の疑問も抱かずに日々を過ごし、そしてあっと言う間に卒業となってしまった。
アレス・ウォートリーの行方は、不明確なまま。
時折、この不自然な空気に流されそうになって、彼の存在が夢だったのかも知れないと錯覚を起こすこともあった。
けれどその度に、ポケットにしまってある壊れた髪留めを手にして、紛うことなく現実であったことを確認する。
あの日、渡しそびれてしまった髪留め。
それだけが、唯一アレスが存在していたと言う証なのだ。
これを持っている限り、アンジェロは彼の存在を忘れることはない。
いつか、ひょっこりその姿を現して、いつもの様に笑って名前を呼んでくれることを信じた。
いつもの様に、名前で呼んで欲しいと、頬を膨らませて不貞腐れる姿が見られることを信じた。
アレスは、必ず自分の隣に帰って来る。
そう、アンジェロは信じ続けた。
*
*
*
騎士団へ入団した後、直ぐに第七騎士団にいると言うアレスの姉を訪ねたが、そこに彼女の姿を見つける事は出来なかった。
どこか別の団へ移動したのかと訊ねてみても、誰一人として彼女の行方を教えてくれる者はおらず、アレスと同じで彼女もその存在を無いものとされていることに、憤りを感じずにはいられなかった。
彼女に何があったのかすらも解らないまま、いつの間にか二人を探す事も諦めてしまい、医療団で偶然彼女を見つけた頃には既に、自らの役職が副団長へと昇格していた。
本来ならば、入団直後にアレスと共に彼女の元を訪れるつもりだった。
けれど、隣にいるはずだったアレスは今、ここにはいない。
それならば、せめて自分だけでも彼女の元を訪れ、アレスについて知っている限りのことを話さなければならない。
お互いに背を向けたまま、【死】と言う現実に分かたれた姉弟の想いを再び向き合わせるために。
そうしなければ、アレスの想いを知らぬまま、彼女はただ彼を死なせてしまったと言う後悔の鎖に繋がれ続けてしまう。
その鎖を断ち切るには、アレスの想いを彼女に伝えなければならないのだ。
アレスは、貴女を一番に想い、貴女の幸せを願っていたのだと。
小さなメモから視線を外し、アンジェロはマルグレットに一礼すると来た道を戻る。
今日こそは、セシリヤにアレスからの預かり物を返そうと思っていた。
今日こそは、アレスの騎士学院での生活ぶりを話そうと思っていた。
けれど、タイミングが悪く、日を改める事になりそうだ。
「アンジェロ副団長」
救護室の出入り口で、不意にマルグレットに呼び止められ振り返った。
その表情はいつもと変わらないものだったが、纏っている空気は少し、物悲しいように目に映る。
「貴方だけは、忘れないでいてあげて下さい」
一瞬、その言葉を理解するのに時間がかかってしまった。
マルグレットが何をどこまで知っているのかはわからないが、恐らく、それはアンジェロが思っているのと同じではないだろうか。
「その人が確かに、存在していたことを……」
忘れるものか……。
共に過ごした時間と記憶を……、親友と胸を張って言える、彼のことを。
その彼が、憧れ愛してやまなかった、彼女のことを。
「勿論です」
そのはっきりとした口調と返事に、マルグレットは穏やかに微笑み、再び入り口の前で一礼をしたアンジェロは第二騎士団の兵舎へと足を向ける。
本当は、このままアレスの元へ向かいたい所だが、残念ながら彼が本当に眠っている場所を、アンジェロは知らない。
故に、アレスが眠る場所からも見えているはずの同じ空を見上げ、彼の顔を思い起こした。
「アレス・ウォートリー……」
―――だから、名前!
ふと、頬を膨らませて不満そうに眉を顰める彼の顔が過ぎり、こんな事になるならば一度でもアレスと名前を呼ぶべきだったと、今更ながらに後悔する。
あの頃は、親友と言う存在が嬉しくて、けれど気恥ずかしくて、なかなか素直に彼の名前を呼べずにいたのだ。
いつか呼ぶと決めていた彼の名前は、結局口にしないままに時間だけが過ぎて行き、生きる時間をも共有できなくなってしまった。
ポケットにある、白い布に包んであった髪留めを取り出して眺めて見る。
汚れて壊れたままの状態で渡すのは気が引けるからと言う理由で、アンジェロなりに綺麗に手入れし、髪を纏められるように新しく金具をつけたが、アレスはこれで良いと言ってくれるだろうか?
アレスが存在していたと言う証はあれど、もう彼自身はここにはおらず、確かめようがない疑問に溜息を吐き出すと、再び髪留めをポケットに仕舞い込んだ。
「……悪かったよ。いつまでも、君の名前を呼んでやらなくて」
まさか、あの日がアレスの姿を見た最期になるとは思わず、あの時、素直に彼の名前を呼ばなかった自分を殴ってやりたくなる。
「君のことは、僕が必ず彼女に伝えるよ。あの日、君が話してくれた、彼女に対する素直な気持ちも、全部。だから、見守っててよ、アレス……」
消え入りそうな程に小さく呟くと、微かにアレスが笑ってくれたような気がした。
【END】




