忘れるものか -Angelo- 【親友】④
「姉さんは、俺にとっては憧れの人でもあるし、護りたい人でもあるんだ。俺が今こうして生きていられるのも、全部姉さんがいてくれたから。だから、早く一人前になって手を離れて、これから先は一人の女性として、姉さん自身の為に幸せになってもらいたいんだ」
この姉弟の詳しい生活の様子など、恵まれた生活をしていたアンジェロには想像もつかないが、アレスの話ぶりから察するに恐らく、あまり良いとは言えない環境での生活を強いられていたのかも知れない。
初代勇者が魔王を封印する以前、この世界は種族の違いや身分で理不尽な差別や迫害に苦しむ者が多かったと聞いたことがある。
様々な種族が混在するこの世界からそれを無くしたのは、他でもない、初代勇者であることも。
けれど、公に差別がなくなったとしても、広い世界のどこかで、自分の知らないどこかで、今もそれに苦しんでいる者はいるのかも知れない。
目の前のアレスも、その姉も同様に。
だからこそアレスは、こうして姉の反対を押し切ってまで騎士を目指しているのだろう。
「姉さんを傷つけるものから護ってあげられるくらい、強くなりたいんだ」
真っ直ぐにアンジェロの顔を見るアレスの瞳は強い意志を宿していて、姉を超えることが、アレスの最終的な目標なのだろうとアンジェロは理解した。
「……できるよ、君なら」
少なくとも、アンジェロはアレスの心根の強さと清さに救われていて、このまま騎士団へ入団し、剣技や魔術を磨けばきっと心身共に清く強い騎士になれるだろうことを確信していた。
そして、そんなアレスと共に騎士団で活躍出来る事を、密かに願っている。
アンジェロの素直な肯定に照れが出たのか、誤魔化すようにアレスは席を立って、まだ少し冷たい風が吹き込んで来る窓を閉めた。
本人は気づいていないだろうけれど、その両耳は真っ赤で、いつもとは立場が逆転したなと笑い声を漏らせば、どこか居心地の悪そうな顔をしたアレスは、そそくさと帰り支度をし始めた。
「そろそろ寄宿舎に戻るけど、アンジェロはどうする?」
アレスの問いかけに、自分も帰る事を伝えようとしたアンジェロだったが、手元にはまだ書きかけの日誌とペンが握られたままである事に気が付き、首を横に振って見せた。
「君は、先に帰ってくれて構わないよ。僕は、これを仕上げなくちゃならないから」
時刻を見れば、学院の閉門の時間まであと僅かだ。
溜息まじりで空白のある日誌を見せながら答えると、アレスは小さく笑って頷き、「また明日」と教室を出て行った。
その姿を見送ると、先程よりも暗くなった窓の外に視線を移す。
見えたのは、明かりの灯ったロガール城だ。
あの城に、アレスの姉はいる。
彼が憧れて止まない、彼女が。
「……大事な人を護る為に、強くなる……か」
アレスらしい理由だとアンジェロは思う。
明白な理由も目的無く、ただただ騎士になりたいと言う人間もいるのに、全てに真っ直ぐなアレスを見ていると、何となく、彼の姉の人物像が窺える気がした。
無事に卒業し、アレスと共に騎士団へ入団した際には、必ず彼女のもとへ挨拶に行き、そして、アレスの騎士学院での生活ぶりを聞かせようと、心に決める。
アレスは、貴女の幸せを想って、騎士を目指していたと。
アレスは、貴女の幸せを願って、強くなろうとしていたのだと。
今は互いに背を向けたままではあるけれど、その日が来たら、再び姉弟として手を取ることが出来るかも知れない。
アレスのその望みが叶うまで、アンジェロはその友人として、陰から応援したいと強く思った。
閉門時間を少し過ぎた頃、日誌の空白を全て書き終えたアンジェロが教員へ渡しに行こうと席を立った時だ。
ふと、窓際の床に微かな光りを湛える物を見つけたアンジェロは、日誌を持ったままその小さな輝きに惹かれるように近づいた。
拾い上げて見ると、年季が入っているのか随分と黒く変色した銀細工に小さな飾り石のついたもので、細かな細工を施してあるそれは、恐らく髪留めの類だと思うのだが、壊れてしまったのか留め具と思しき部分がなくなっていた。
独特で珍しいデザインと、少しだけ透明感のある薄い緑色の飾り石。
市場でも見たことのないような物が、どう言う経緯でこにあるのかは不明だが、確かにアレスが閉めた窓の下に落ちていた。
アレスが窓を閉める以前にこれが落ちていたのならば、アンジェロも気付くはずであるし、アレスも気づいてすぐに拾うだろう。
一日の授業が終わってから教室内に出入りしていたのは、アンジェロとアレス以外にはいなかった事も考えると、やはり落とし主は、アレスしか考えられない。
何か理由があって古びた髪留めの一部を所持していたのならば恐らく、彼にとって大切な物であるのだろう。
いくら珍しいものとは言え、理由も無く壊れたものを持ち歩く必要などない。
仮にこれが、アレスにとってお守りのようなものであったとするなら、すぐに届けてあげた方が良いと考えたアンジェロは、荷物を手早く纏めると急いで教室を後にする。
本来ならば、日誌を教員へ渡して早急にアレスの部屋へ行くつもりだったのだが、明日の演習の準備と確認に追われていた教員に時間を取られてしまい、寄宿舎へ戻った頃には既にアレスの部屋の明かりは消えていた。
演習を張り切っていたアレスの事だ、早々にベッドへ入って明日へ備えたのだろう。
そんな彼を起こしては申し訳ないような気がしたアンジェロは、明日の演習で渡せば問題ないだろうと考え直し、自分も明日に備える為に部屋へと帰って行った。
まさか、それがアレスの存在していた唯一の証になるとは、思いもしないままに。




