忘れるものか -Angelo- 【親友】①
アンジェロ・アルベルティ。
剣技、中の下。
魔術、中の中。
座学、中の上。
良くも悪くも、ごく普通。
特別に何が抜きん出ている訳でもなく、けれど、生活態度や性格だけは他に比べて素直で真面目。
更に控えめで思慮深く、気が利き人当たりの良さもあって、念願の騎士学院に入学してからと言うもの、何かと指導教員には手のかかる同級生のお目付け役を頼まれる事が多かった。
そのせいか他の同級生たちも、何かあったらアンジェロへ任せれば万事良しと言わんばかりに様々な事を頼んで来るようになり、はじめの内は素直に頼られているのだと快く了承していたのだが、それが徐々に勘違いであったと言う事に気が付いた時には、既にただの<便利な人>と言う位置づけになっていた。
面倒ごとや厄介ごとを、さも当然であるかのように押し付けて来る人間に対し、少しでも拒絶の意思を伝えれば身勝手に罵倒されることもしばしばで、揉め事を起こしたくない気持ちと、自分さえ我慢していれば嫌な思いもせずに済むと、諦める事で無理やり納得する日々は続き、加えて同級生一の問題児であるアルマン・ベルネックの後始末までさせられていたアンジェロの不満は、とうとう爆発するのだった。
学院での一日が終了し、学院生たちが皆寄宿舎や自宅へ帰った後の誰もいない教室で、ただ一人、終わらない頼まれごとと始末書の山を処理していたアンジェロは、目の前に積まれた紙の束を掴み天井へ向かって放り投げる。
ひらひらと不規則に舞い、重力に従って下へ下へと落ちて来る紙の何が面白いのか、床にその全てが落ちる度に、紙の束へ手を伸ばしては上に放り投げる行為を繰り返した。
結局、最後に自分で片付けをする事になるのだが、今はそうする事で日々の重圧から解放されるような気がして、いつもは背筋を伸ばし座っている椅子の背もたれに、だらしなく背を預けながら天井を見上げ、舞っていた紙が視界から消えるとまた紙束へ手を伸ばす。
この紙のように、押し付けられる面倒ごとも人間も、簡単に投げ捨てられたらどんなに楽だろうかと、出来もしない事を考えながら笑って最後の紙の束に手を伸ばすも、そこにあったはずの束に手が触れない事に気が付き身体を起こせば、
「うん、これは壮観! 随分面白い遊びしてるね」
自分と同じように紙束を天井に向かって放り投げ、楽し気に紙が舞い落ちて来る様を眺めている青年が視界に入る。
鮮やかなオレンジ色の髪が、件のアルマン・ベルネックを彷彿とさせてつい警戒してしまったが、アルマンよりも穏やかな顔立ちと雰囲気が全くの別人である事に安堵すると、目の前の青年に声をかけた。
「……アレス・ウォートリー、どうしてここに? とっくに学院生が帰宅する時間は過ぎているよ」
よそよそしくフルネームで呼び、更に余計な一言をつけてしまったと後悔したが、当のアレスは別段気にした様子もなく、忘れ物を取りに来たんだと机の中から取り出したノートをアンジェロに見せると、何故か帰らずにアンジェロの座る一つ前の席へと腰をおろし、向かい合うように後ろを向いた。
まさか、アレスまで何か頼みごとをして来るのではと訝し気に様子を窺っていれば、彼は机の上に乱雑に広がっている書類の一枚を手にして首を傾げて見せる。
「これ、この前アルマンがやらかした件の始末書だろ? 何でアンジェロが書いてるんだ?」
「仕方ないよ。僕は、班のリーダーだったから……」
先日、三人一組での魔術の実践があり、初級魔術を扱うと言う極々初歩的なものであったにも関わらず、定められた術式を、あろうことかあのアルマンは勝手に改造した挙句にとんでもない暴発を起こし、学院の外壁を吹き飛ばすと言う事態を引き起こしたのだ。
一緒に班を組んでいたクレアが機転を利かせて放った防御魔術のお陰で、外壁以外に被害には及ばなかったものの、その後は三人一緒に長い説教を食らって、最終的にリーダーであるアンジェロに始末書の提出が命じられたのである。
クレアは手伝うと言ってくれたが、この惨事を最小限に食い止めてくれた彼女に非はないからと丁重に断り、元凶であるアルマンに始末書の作成を一緒にするよう言ったのだが、彼が話を聞く訳もなく、見事にすっぽかされて現在に至っている。
ついでに、他の同級生からお願いと称し押し付けられた雑務もたんまりと残っていた。
そのせいで、最近は自分の時間さえもゆっくりと取れず、結果、こうしてたまった鬱憤が爆発しているのだ。
「その始末書って本来なら指導教員がやるべき仕事だし、仮にやらせるとしたら、アルマン本人に反省文が筋だろ? リーダーだったからって、全部アンジェロに押し付けるのはどう考えたっておかしいし、他の雑務だって、アンジェロがやる必要なんてどこにもないだろ」
「断れるなら断ってたよ! けど、皆、僕に期待して頼ってるんだから……」
詭弁であると自分でもわかってはいたが、そうでもしないと今まで気づかないふりをして我慢して来た事が無駄になってしまうと、アンジェロは歯を食いしばる。
ここでアレスが肯定さえしてくれれば、良い顔をして物事を引き受けていた浅慮な自分のプライドも保っていられると、手のつけられていない始末書に視線を落とした。
アレスが肯定してくれることを祈りながら。
「俺には、期待してるって言うより、利用してるようにしか見えないけど」
しかし、祈りは届く事なく、アレスはあっさりとアンジェロの積み重ねて来た我慢の日々とプライドを突き崩した。
本当は期待されている訳ではないこともわかっているし、良いように使われいる事もわかっている。
けれど、それを認めてしまったら、あまりにも自分が惨めだ。
だから我慢をし、時には気づかないふりをして自分を納得させていたのに、どうして目の前の彼は簡単にそれを壊してしまうのだろうかと苛立ち、けれど、どこか胸の奥につかえていたものが取れたような、妙な解放感もあった。
「全部わかってたよ。便利な人扱いされてることも。だけど、そうでもしないと、誰が僕を認めてくれる? 特別何が出来る訳でもなくて、ただ真面目に色々なことを取り組んでるだけなのに、陰じゃ息が詰まるなんて言われて……!」
特に嫌がらせを受けているわけではなかったが、自分が他人に何と言われているかくらいは知っていた。
時には、嫌でも耳に入ることもある。
それでも、何も知らないふりをして、聞こえないふりをして、良い人を演じ続けた。
例え表面上だけであっても、その時だけは、誰にも疎まれる事はなかったからだ。
けれど、ただただ、虚しかった。




