ガラス一枚を隔てた、この場所から -Ceciliya- 【邂逅】③
アルマン・ベルネックとの邂逅。
二度目は、あの時から季節がひとつ、過ぎた頃に訪れた。
その日、穏やかな空気が流れていた医療棟に駆け込んで来た一人の騎士からの一報に、誰もが眉を顰め頭を悩ませていた。
原因は、今、生命の危険に晒されている第七騎士団の小隊からの救援要請だ。
聞けば、暇を持て余していた騎士達が、立ち入りを禁止されていた洞窟へ魔物を狩りに行くなどと言う愚行に出て、洞窟の最奥に潜んでいた思いもよらぬ魔物を刺激してしまったと言うのだ。
予想していたよりもはるかに強い魔物で為す術も無く、まるで人形のように容易く四肢を引きちぎられて行く仲間の姿を目にし、戦意を喪失していた所を命からがら逃げ出して来たと言う。
勿論、その彼も満身創痍ですぐにでも治療が必要だ。
現地に出現したのは上級と思われる魔物が、八体。
小隊全十名の内、既に半数の五名は瀕死の状態であり、緊急を要するのだと必死に訴える騎士だったが、元はと言えば安易に魔物を刺激した愚行が原因である事と、救援に行った所で彼らが無事に帰れる見込みはほぼない事を悟っていた医療団の面々は、首を横に振って目を逸らすばかりだ。
せめて動けない自分に代わって第七騎士団へ救援要請を出して欲しいと、怪我と疲労で動くこともままならないだろう身体で必死に土下座し、地に頭を擦り付け泣きながら懇願する騎士に向けられる視線はそれでも冷ややかなもので、重苦しい雰囲気が救護室を取り巻き、団員達はあまり気が進まないと言わんばかりにお互いの顔を見合わせるだけだった。
普段から医療団員の事を見下し、面倒ごとばかり起こしているのだから彼らの反応も致し方ない。
しかも、現在進行形で魔物に襲われていると言うのだ、多少の戦闘の心得があっても決して得意ではない医療団員にとって、救援に向かうにはそれなりの覚悟がいるだろう。
万が一の場合、その場にいる手負いの第七騎士団の騎士が助けてくれるなど、到底考えにくい。
医療団にとって、リスクだけが無駄に大きいのだ。
元々彼らの愚行が引き金となっているのだから、その結果に巻き込まれてわざわざ死にに行くのは馬鹿げていると言うのが、正直な見解だろう。
けれど、仕事である以上放棄する訳には行かない。
ここで任務を放棄すれば、厳重な処罰が下される。
しかも、そんな緊急事態に限って的確な指示を仰げるマルグレットやフレッドが他団の討伐遠征の補助で不在なのだから、団内は混乱するばかりだ。
騎士が救援要請で駆け込んで来てから、既に十数分が経っている。
誰一人動こうとしない様子にセシリヤは溜息を吐き、重い腰を上げて彼らの前に立った。
「私が行きます」
一瞬の静寂が漂い、そして再び騒然と空気が揺れ動く。
セシリヤに向けられた視線には、彼らの気持ちが如実に現れていた。
元々第七騎士団に在籍していたとは言え、たった一人で救援に向かうなど無謀な話だと。
けれど、そう思うだけで誰一人として彼女を止める事はしなかった。
ここでセシリヤだけでも第七騎士団の救援に行けば、とりあえず医療団の体裁を保てるからだ。
事が全て終わった後に遅れて救援に向かったとしても、出動に手間取った等と理由をつければ何ら不自然ではないだろう。
先に救援に向かった医療団員の一人に万が一の事が起こったとしても、上級の魔物が複数体いたと言うのであればそれも罷り通る。
それが、彼らの本音なのかも知れない。
命が惜しいのは、皆同じだ。
……それを捨ててしまう事を許されなかったセシリヤは、別として。
「すぐにマルグレット団長へ伝達を出して下さい。それから、第七騎士団にもお願いします」
淡々と話を進めるセシリヤに、口を噤んだまま誰一人として彼女について行こうと手を挙げる者はおらず、皆、気まずそうに足元を見つめているだけだった。
臆して動けないと言う後ろめたさが、そうさせているのかも知れない。
「マルグレット団長と連絡が取れるまでの間、先発として私が様子を見に行きます。医療団員として若輩者の指示で申し訳ありませんが、皆さんは出動の準備をして、マルグレット団長の指示が来るまで待機をお願いします」
さもそれが策であるかの様に言葉を選び話せば、彼らの視線がセシリヤの顔を、瞳を真っすぐにとらえた。
彼らが不要な罪悪感を抱くのならば、抱かなくても良い理由を作るだけだ。
これが元で彼らの心にしこりが残れば、後々医療団内に悪影響を及ぼす可能性もある。
それだけは、避けなければならない。
呪い持ちであっても疎まれていようとも関係ないと、自分自身を受け入れてくれた医療団の名を、マルグレットの名を汚さぬように。
「セシリヤ、持って行け」
踵を返したセシリヤに、先輩団員の一人がいつの間にか彼女の部屋から持ち出して来た剣を寄越し、けれど、二度とそれを振るわないと決めていた手前受け取ることを躊躇していると、彼は強引に握らせ、
「最低限、自分の身は護れるようにして行ってくれ。心もとないかも知れないが、万が一の事を考えて……。押し付て済まない。でも、どうか無事であってくれ」
頭を下げる彼に剣を突っ返すわけにも行かず、黙って受け取り一礼をすると、セシリヤは急ぎその場を後にした。
土下座していた騎士の叫ぶような感謝の言葉と、無事を祈る声を背後に聞きながら。
久しぶりに手にした剣の重みに、小さな溜息が洩れる。
「御守り代わりには、なるかな……」
帯剣しても抜かなければ良いと、使い込まれ手に良く馴染む柄を強く握った。




