術(すべ)が、欲しい -Dino-Ⅱ 【黙秘】⑤
「ユーリ、後はお願いします」
僅かな沈黙の後、セシリヤは隣で控えオロオロと様子を見守っていた団員に声をかけて部屋を後にした。
……この場を離れて行く背中は、何を思っているのだろうか。
緊迫した空気は消えないまま、今も部屋を漂っている。
ディーノの不機嫌そうな表情に気がついたのか、アルマンはチラリと様子を窺うように視線を寄越した。
癪に、障る。
誰よりもアルマンを心配していた彼女の気も知らずに、あんな仕打ちをした目の前のこの男に沸々と怒りが込上げて来る。
殴ってやりたい衝動を必死に抑えて、上から睨みつけた。
「アルマン……、てめぇは何様だ?」
「………」
何も答えず治療を受けているアルマンに怒気を含んだ溜め息をついて、それ以上は何も言わず、ディーノはセシリヤを追う様に部屋を出た。
医療棟を出たすぐの辺りの軒下で、彼女はいつもと変わらない表情で空を見上げていた。
何をする訳でもなくただぼんやりと空を眺めている彼女の姿は、今にも消えてしまいそうだ。
何と声をかければ良いのか分からず、黙ってその隣に立ち、同じように空を眺めてみた。
少し前までは眩しいくらいの青空を覗かせていたのに、今は灰色の雲が低く垂れ込めている。
「……似てるんです、アルマン副団長って」
耳が拾った、彼女の小さな呟き。
誰に……、とは聞かずともディーノには解ってしまった。
どこか遠くを眺めて穏やかな顔をしているセシリヤはきっと今、亡くしてしまった彼を思い出している。
「あの無鉄砲さ加減が、特に……」
アルマンは、とんだ大馬鹿野郎だと、心底思う。
「素直になれないところも、単純なところも。向こう見ずで常に誰かの背を追いかけているところも。だから、見ていたらとても心配で、手を差し伸べたくなるんです。彼にとっては全然関係ないことで、ただの迷惑でしかないって言うのは、解ってるんですけど……」
弾かれた手をもう片方の手で隠す様に抑えているセシリヤは、「全くの別人なのに」と、笑っていた。
それは、とても綺麗に。
彼女を良く知らない誰かがそれを見れば、本当に心から楽しそうに笑っていると見紛うくらいに見事だった。
けれど、瞳の奥が悲しみに揺れていることを、ディーノは知っている。
しかし、あえて、それを口にはしなかった。
必死で自分を保とうとしている彼女を護る術を持っていても、壊れて行く彼女を支える術は持ち合わせていないからだ。
……本当に、アルマンはとんだ大馬鹿野郎だ。
何も知らないとは言え、彼女にこんな顔をさせている元凶であることに間違いはない。
収まらない苛立ちは、よりいっそう燻ってディーノの心を曇らせて行く。
「……手、痛いんだろ?」
「大丈夫です」
セシリヤの赤く腫れてしまった手を強引に取ると、彼女は首を横に振って答えた。
彼女のその言葉は、決して本心ではないことをディーノは理解している。
だからこそ、もどかしいとも思う。
彼女の望む生き方が、彼女の望むままに生きようと決めた自分自身が。
理解しているが故に、これ以上彼女の領域へ踏み出せない。
彼女が偽りの奥底に隠してしまった本心に触れ抱き締める事さえも、出来ないのだ。
ディーノに掴まれたままの手を振り払う訳でもない彼女は、何度も大丈夫だからと繰り返している。
まるで、自分自身へ言い聞かせるかのように。
心配しているのは手の話だけではないのに、こうして彼女は知らないふりをして、偽りの自分を保ち続けているのだ。
「大丈夫なわけ、ねぇだろ……」
降りだした雨にディーノの小さな呟きは掻き消され、やってきた沈黙さえもすぐに雨音に連れ去られて行った。
「……雨、強くなって来ましたね」
「……ああ」
間を繋ぐように交わされた会話はたったこれだけで、どちらも口を噤み、落ちてくる雨をただ眺めた。
彼女の本心を知りたいと、何度も口を開きかけディーノだったが、結局言えないまま飲み込んだ。
……術が、欲しい。
ディーノの手から遠慮がちに離れて行くセシリヤの熱に、微かな胸の痛みを、覚えた。
【END】




