術(すべ)が、欲しい -Dino-Ⅱ 【黙秘】④
どれくらいの時間そうしていたかは定かではないが、苦痛に歪んでいたアルマンの表情も、気がつけば穏やかなものへと変わっていて、張り詰めていた空気が徐々に緩やかなものに戻りつつあることに、ディーノは安堵の溜息を洩らした。
アルマンが一命を取り留めたと言うことに対してなのか、セシリヤの哀しみに歪む顔を見ずに済んだと言うことに対してなのか、それとも、過ちを繰り返さなかった自分自身に対してなのかは、わからなかった。
一通りの処置が済んだのか、補助を担っていた団員が解けた緊張感に大きく溜息を吐き出すと、控えめなノックの後に部屋の扉が開き、清掃道具を持った数人の団員が血で汚れてしまった部屋の掃除を申し出て、退室を促した。
ご丁寧に、別室に温かいお茶を用意してあることまで付け足して。
恐らく掃除をすると言う名目で、セシリヤに休憩をするよう気遣いをくれたのだろう。
まだ意識のないアルマンが心配なのか、その場を動こうとしないセシリヤを少々強引に連れだしたが、休憩を取っている間も彼女は気が気でないのか、しきりにアルマンのいる部屋を気にしていた。
出された茶にも手を出さず両手を組み、まるで何かを祈っているようだった。
「……心配か?」
最初に手をつけた時よりも温度の下がった茶を啜りながら、ディーノは訊ねた。
彼女の表情を見れば訊ねる必要もなかったのだが、重苦しい沈黙に耐えかねた結果、声に出た言葉ではある。
ディーノの問いかけに、セシリヤは顔を上げて頷いた。
「あいつなら、簡単に死なねェよ。何回も……、それこそ、死ぬほど痛い目に遭ってんのに、しぶとく生き残って来ただろ」
空になったカップを置いたディーノが真っ直ぐにセシリヤを見れば、アルマンに向けられていた彼女の瞳が、心が、今度はディーノへ向けられた。
「学院生の時から、嫌ってくらいにあいつを見て来たこの俺が言うんだから、間違いねぇよ」
そう言ってディーノがセシリヤの目の前に人差し指を突き出すと、彼女は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに「そうですね」と笑って頷き、つられるように笑うと、重苦しかった空気がほんの少しだけ穏やかになる。
本心ではないかも知れないが、彼女が笑ってくれたことに対し、ディーノは人知れず心の底で安堵の溜息を洩らすと、この空気を壊さないよう話題を選びながら他愛もない談笑を途切れ途切れ交わし、流れて行く時間に身を任せた。
「セ、セシリヤさんっ!! アルマン副団長の意識が戻りました!!」
ようやく安定した穏やかな空気を裂く様に駆け込んできた医療団員の言葉に、先に行動を起こしたのはディーノだった。
考えなしで我武者羅に敵の罠に突っ込んだ挙句、ディーノだけではなくセシリヤにまでも心配をかけたアルマンに、一言文句でも言ってやらなければ自身の気持ちが収まらないからだ。
報告に来た団員よりも先に扉を開けると、無遠慮に室内へ足を踏み入れる。
「目ェ覚めたのか、アルマン」
ベッドの上で上半身を起こしていたアルマンと目が合った。
顔を隠すように垂れている髪ではっきりと表情を窺うことができなかったが、それはしっかりと意識を取り戻した目であることに違いない。
心置きなく説教できるなと思った次の瞬間に、アルマンの瞳はディーノを通り越した後ろに向けられたまま硬直した。
「気分はいかがですか、アルマン副団長?」
視線を辿らずとも、その声でアルマンの目が捕らえている姿が誰であるのかをすぐに理解する。
アルマンはセシリヤにかけられた言葉を無視して視線を逸らすと、今度は顔に垂れたままの髪を鬱陶しいとばかりにかきあげた。
動揺している時や、苛立っている時に見せる癖だ。
二人の間に何があったのかは解らないが、アルマンの表情や仕草を見る限り、セシリヤに対してあまり良い感情を持っていないだろうことは窺える。
俯いたまま、今度は両手を強く握り締めているアルマンの姿に小さな溜息を洩らし、
「おい、アルマン? どうした?」
問いかけて見たものの、返事は無い。
堅く握られた拳の色が、微かに変色している。
「アルマン副団長、傷の具合を診させていただきますね?」
返事をしないままのアルマンの様子を気にも留めていない(実際は彼の態度の不自然さに気がついているだろう)セシリヤが、傷の具合を見ようと手を伸ばしたその時だ。
「触んじゃねぇよ!!」
怒声と共に乾いた音が、この小さな部屋に大きな音で響き渡った。
セシリヤの差し出した手が、事もあろうかアルマンに弾かれたのだ。
同時に、部屋の空気が一瞬にして張り詰める。
「てめぇの診察なんざ受けたくねぇんだよっ!」
「アルマン!」
セシリヤを睨みつけたまま、今にも彼女に掴みかかりそうな勢いで喚くアルマンの傍らに素早く立ったディーノは、興奮して僅かに震えているアルマンの身体を抑えたが、セシリヤの否定の合図を確認すると小さな溜息をついて渋々両手を放した。
「出てけよ」
吐き捨てる様なアルマンの言葉に、セシリヤは「失礼しました」と一言だけ返し、笑うだけだった。
手を弾かれたことなど、微塵も気にしていないかの様に。
視線を彼女の手元に移すと案の定、白い肌は赤く色づいて腫れていた。
手加減なしで不意に弾かれてしまったのだから、当然と言えば当然だ。
普通ならば痛みに眉を顰めても、涙を零してもおかしくはないのに、セシリヤはその表情を少しも変えずに平然とアルマンの傍らにいる。
アルマンに、罪悪感を持たせないためだ。
今ここでセシリヤが手の痛みに眉を顰めれば、間違いなくアルマンは誰の目から見ても非難の対象となるだろう。
そしてアルマンは、生まれた罪悪感を持ったまま、彼女に接することになる。
それはセシリヤが望む結果ではないことを、ディーノは理解している。
ディーノがセシリヤの大切にしていたものを護りきれなかったことを詫びたあの時も、彼女はわざと威圧をかけて頭を下げる彼を捩じ伏せた。
もしもその場へ何の関係もない第三者が居合わせていたならば、その言動は彼女自身を貶める誤解が生じていたかもしれない危険な行為でもあったと、ディーノは思っている。
しかし彼女はそんな危険を冒すことに躊躇を見せず、ディーノへ「過去に囚われず、未来だけを見て歩いて欲しい」と告げたのだ。
セシリヤにならばそこで斬り捨てられても良いと思っていたが、結局それはディーノの自己満足でしかなく、更にそれを望むことは、彼女により一層深い傷をつける結果となっただろう。
……彼女は、他人を傷つけること、他人に罪悪感を持たせる事を、嫌っている。
そして、それを避ける為には自分が傷つくことをも厭わない。
例え、その為にとったセシリヤの言動全てが【悪】と認識されても、彼女はそれについて弁明などは一切しないだろう。
これまでの間、彼女を見続けてきたからこそ、ディーノには理解できたことだった。
だからこそ、ディーノはセシリヤの望むままに生きることを決めたのだ。
それこそが、彼女を護る為の最大の術であると、認識しているからだ。




