プロローグ②
◇◇◇◇
「俺は第一騎士団に入りたい! 第一騎士団の団長が一番強いんだろ? 俺、騎士団長より強くなって、魔物いっぱい倒すんだ!」
少し勝気な少年が立ち上がり、持っていた棒きれで空を切った。
「私は第二騎士団! 偵察任務って、色々な国にも行けるんでしょ? 旅行みたいで、楽しそう」
獣のような耳と尻尾を持つ少女が、興奮気味に尻尾を振り、
「僕は魔術団! 今よりももっと強い結界を張れる魔術の研究と、魔具の開発をしたい!」
尖った耳を持つ少年が、魔術団の施した結界のかかる空に指を差す。
「私……、医療団。戦うのは無理だけど、傷ついた人の手当、がんばりたい」
遠慮がちに話す少女は、そう言って頬を赤らめた。
手元にある文献のほんの一部分を読んで聞かせた途端、テンションの上がった子供たちが口々に夢を語り始める。その姿に目を細めた老翁は、その自由な発想に耳を傾け、遠い昔に見た光景を思い起こした。
この国が出来るずっと以前、世界の中心となっていたとある国によって、多くの種族が差別・迫害されていた。それがこの世界の価値観であり成り立ったルールであると、事も無げに言って笑ったあの醜い王の顔は今でも忘れない。
あの頃を思えば、この国は……、世界は、まだ平和だ。こうして子供たちがそれぞれの未来を自由に思い描き、差別もなく笑って話ができるのだから。
「ねえ、ロガールの王様って初代勇者様だったんでしょ? 今はしょぼしょぼのお爺ちゃんだって言うけど、やっぱり歴代のどの勇者様より強かったの?」
いつの間にか膝元にいた少女が、尻尾を振りながらキラキラと瞳を輝かせて文献の挿絵を指差し訊ねてくる。
期待に耳をピンっと張っている少女の両隣に、もう三人の子供がやって来て、
「何言ってんだよ、強いに決まってんだろ! じゃなきゃ、国なんて統治できるわけないよ」
「他の勇者様は、魔王を倒した後、みーんな元の世界に帰ったって聞いたし、やっぱりここに残って国を作るくらいなんだから、強いに決まってる!」
文献に記された歴代勇者の名と、後の彼らの選択を記した文字をなぞり、「ねえ、どうだったの?」と答えを急かす子供たちにどう伝えるべきか、老翁は思案した。
この世界を破滅と恐怖に陥れる、魔王。
それは、打ち倒しても尚、その存在をこの世界から完全に消し去る事が出来ず、封印を施しても甦る脅威。
封印が解ける度に召喚される、異世界の勇者。
それは、この世界とは別の理に生きる者にしか魔王を倒すことが出来ないという建前で、身勝手な事情に巻き込まれる被害者。
そしてそれらの真相は、今もまだこの世界には明かされていないままだ。
果たして、両者の事実を真相を、どうして幼気な子供に伝えられようか。
脚色された伝承に苦笑した老翁が、いつか真相を記した文献を出さなければと思いながら何も言わずに首を縦に振って見せると、期待通りの答えに満足したのか、子供たちは「やっぱりね」とはしゃぎながら街の広場へと駆けて行った。
子供たちの元気な背中を見送っていれば、不意に老翁へ影が差し、その原因となった人物を見上げる。
「こんな所にいらしたんですね、王」
「アンヘルか……」
探しましたよ、と目の前に跪く青年の姿に溜息を漏らした老翁は、古びたベンチから立ち上がって、子供たちが駆けて行った広場とは反対側へ身体を向き直した。
視線の先には、この国のシンボルである城が聳え立ち、こちらを見下ろしている。皆は、あの城を世界を救った勇者の象徴であると讃え崇めているが、本当にそうなのだろうかと言う疑問が老翁の頭を過っていた。
「王、第二騎士団より、<封印の地>で起きた変異についての調査報告が上がっています。帰還した彼らの様子からすると、事態は深刻なものかと……」
「そうか……。また、決断せねばならない時が来ているのか」
声のする方には振り向かないまま答え、以前よりも覚束なくなった足を踏み出せば、すぐさま歩行の補助をする為にアンヘルが立ち上がって右腕を差し出して来る。若干の躊躇はあったものの、その腕に支えられるように、老翁はゆっくりと歩き出した。
外気に当たり過ぎたのか小さく咳込むと、アンヘルがそっと背をさすってくれる。
日々、衰えて行く身体、衰えて行く力。
いつの間にか、己がこの世界のすべてを救って見せると自信に満ちていた時代は終わっていて、あんなに厭っていた<異界の勇者を召喚する儀式>をしなければならない立場になるとは、あの頃は誰が思っていようか。
この命が尽きる前に、あの時、己の犯した罪を償わなければならないと言うのに、自らの力で何も解決できないまま、時間だけが過ぎて行くことが歯痒くてたまらない。
―――どうして、お前なんだ。
然程遠くないその昔、互いの力をぶつけ合いながら、絶望とも失望とも羨望ともとれない、己に向けられた激情が今でも鮮明に残っている。
それを間近で見ていた、彼女の姿も……。
「勇者など……、名ばかりだ……」
世界を、数多の者たちを救ったと讃えられても、己の手の届く場所にいたはずのたった一人を……、いや、二人を救うことが出来なかった。
そして、その罪を償いきれないまま、同じ異世界の勇者へとそれを託し背負わせなければならなくなったことが、悔しくてたまらないのだ。
「どうして、お前だったのだ……、魔王よ……」
噛み潰すように呟いた言葉は、誰の耳に届くこともなく、風に乗って消えて行った。
【END】