大事な何かを護らなければならなかった -Leon- 【記憶】③
あの女性とは、彼女が治療を受け持っていた騎士の妻の事だろう。
怪我の容態が悪く、誰もが諦めていた治療をセシリヤは最後まで諦めずに手を尽くしてくれたが結果は変わらず、訃報を聞き騎士団へ駆けつけて来た彼の妻は、現実を受け止めきれずにセシリヤに手を上げたのだ。
あの時の判断は、致命的なミスだ。
そのせいで、セシリヤは負わなくても良い傷を負ってしまった。
心も、身体も。
けれど、彼女は誰を責める事もなく今もあの時の女性を気にかけているのだ、驚かない方が不思議だ。
立ち止まっているレオンを振り返り、返事を待つセシリヤの瞳は僅かに不安で揺れている。
「先日、手紙が届いていた。故郷へ帰ったそうだ。少しずつ現実を受け止めて行くと書いてあった」
「……そうですか」
「それから、君に申し訳ないことをしたと伝えて欲しいともね」
数日前に届いていた手紙に書いてあった一文を伝えると、彼女は僅かに安堵したのか小さな溜息を吐き、私は大丈夫ですと首を横に振って見せた。
「本当にすまない。僕が判断を誤っていなければあんな事にはならなかった。もし、あのまま君に万が一の事が起きたら……」
「問題ありません。私は、殺しても死ぬような人間ではないので」
知っているでしょうと悪戯に笑ったセシリヤの顔は、笑っているのに酷く悲しそうで、こんな顔をさせたかった訳ではないのにと、いつも肝心な所で選択を誤る自分に嫌気が差す。
とは言え、白々しくフォローをすれば更に深みにはまって彼女を傷つけてしまい兼ねないし、このまま無言でいるのも気まずい。
しかし、何と話を続ければ良いのか分からず、こう言う時にはシルヴィオのような男がうまく立ち回れるのだろうなと、頭の片隅に思い浮かんだ軽薄そうな彼の笑顔を追いやっていれば、セシリヤが不思議そうに顔を覗き込んで来る。
「あまり顔色が良くないですね。もしかして、いつもの頭痛ですか?」
「……ああ、こうして雨が降るとどうしても起こるんだ。参ったよ」
昔から雨が降る度に悩まされていた頭痛の事を覚えていてくれたのかと、嬉しいような恥ずかしいような気分になって頭を掻いていると、彼女は窓の外へ視線を寄越し、憂鬱な雨ですねと眉を顰め呟いた。
まるで嫌なことでも思い出しているようなその表情が気になったが、わざわざそれを聞き出すのも野暮だと言葉を飲み込み、同じように外を眺めて見れば、ちょうど城を出発する第四騎士団の行軍が見え、物々しい雰囲気にセシリヤも不安げにそれを見送っている。
ここ最近、国内の様々な場所で魔物の巣窟が発見されたり、瘴気で汚染されたりと異変が起こっていて、討伐・浄化にあたっている各騎士団も多忙を極めていた。
所属する第一騎士団は、基本的に城内での任務が多い為に遠征へ向かう事は稀であるのだが、この状態が続けば人員不足は必至であり、近いうちに第一騎士団からも部隊を派遣する日が来るだろう。
勿論、魔王が復活すれば召喚される勇者と共に戦地へ赴く事も。
「出来る事なら、このまま何事もなく日々を過ごすことが出来れば……、っ」
そう本音を口にすると同時に鋭い痛みが頭を駆け抜け、思わず頭を押さえ手にしていた見舞いの花束を落とすと、異変に気付いたセシリヤが大丈夫ですかと心配そうに駆け寄り顔を見上げて来る。
慣れているとは言え流石に応えるなと、強さを増して行く痛みに顔を歪めていれば、落ちた花を拾ったセシリヤが身体を支えるようにそっと背中に手を当て、もと来た道を戻る事を促した。
「そんな顔でお見舞いに行ったら、逆に心配されてしまいます。空いている部屋があるので、そこで少しお休みになって下さい」
非番の日くらいはゆっくりしても罰はあたりません、と続けるセシリヤの強引さに一瞬だけ遠慮しようと思ったレオンだったが、ここで応じなければ彼女は引き摺ってでもそこへ連れて行くだろう事をわかっているが故に、素直に身を任せる事を選択する。(第一騎士団長たるもの、沽券は死守しなければならない)
そう言えば、同じ第七騎士団に所属していた頃にも同じような事があり、あの頃はセシリヤの手を借りる事を拒否して見事にねじ伏せられたなと懐かしさに小さな笑いを漏らせば、彼女はどうしたのかと訊ねて来る。
「いや……、君には、昔からいつも助けられていたなと思ってね」
「……そうでしたか?」
いまいちピンと来ないのか、そう言って苦笑するセシリヤに頷き、
「だからこそ、僕も君に何かあった時には助けたいと思っているんだ。君が、求めてさえくれるのなら……」
呟くように続ければ、彼女はほんの一瞬歩みを止め、けれど、すぐに何事も無かったかのように歩き出した。
聞こえていないふりをしたのか、よく聞こえなかったのか、何も答えないセシリヤの態度はどちらとも判別がつかず、彼女の名前を呼ぼうと口を開きかけたが、
「私が何かを求めることは、許されないのです」
遮るようにセシリヤの口から放たれた言葉に、拒絶の色を見て押し黙ってしまった。
真っすぐに前を向いたまま、けれどどこか虚ろで仄暗さを宿した彼女の瞳には何も映っていないように見え、いつもと様子の違う彼女に狼狽えてしまう。
「初めから、私さえ何も求めなければ、こんな事には……」
今にも泣きだしてしまいそうなセシリヤの顔と声音が、記憶の奥底に沈んだままの何かを掻きまわし、心を締め上げて行くような気がして呼吸が苦しくなる。
彼女に今、何か言わなくてはならないのに、上手く言葉が見つからない。
「……だから、私は大丈夫です。他にも助けを必要としている人はいますから、どうかそちらを優先して下さい。気にかけて下さって、ありがとうございます」
そう続け、いつもの笑顔を浮かべたセシリヤに誰かの面影が重なった気がして息を呑む。
けれど、確かに記憶の奥底から浮かび上がったはずの面影は、やはり明確に思い出せないまま霧散して行った。
思い出そうとすればする程にその形は崩れ、いずれは全てを忘れてしまうような気がして不安に手を伸ばすと、自分のものよりも幾分小さな手が触れ安堵する。
「大丈夫です。雨が上がればきっと、気分も晴れますから」
いつの間にか辿り着いていた部屋の空いているベッドへレオンを案内したセシリヤは、痛みを和らげるための薬を持って来ると部屋を出て行ってしまった。
一人きりになった部屋で瞳を閉じれば雨の音だけが世界を包み込み、次第に意識をも溶かして行くようで、抗うように暗闇の中にセシリヤを思い浮かべる。
生ある限り、誰でも何かを求める事は当然で、それなのに、何故彼女だけは求めることを許されてはいけないのか。
他者に与えるだけ与え、身も心も疲弊して行くばかりの彼女は、今にも壊れてしまいそうで、見ていられないのだ。
彼女は、決して強い訳ではない。
どこにでもいる一人の人間だ。
身体も心も、他と同じように傷ついて行く。
彼女の身に呪いがある限り、未来永劫、それが続いて行くのだ。
あまりにも残酷な呪い。
せめて、それを解く鍵を見つける事ができたなら……、
「きっと、君を……、」
思考を途切れさせるように、雨音と頭痛は、強さを増して行くばかりだ。
【END】




