レオン・ノエルと言う名前 -Leon-Ⅲ【落手】⑥ ※挿絵有
「アロイス団長っ!」
すぐに魔王の気をこちらに引かなければと攻撃を仕掛ければ、魔王は跳躍してレオンの背後に回り剣を振り下ろした。
それをギリギリの所で受け止め弾き返して後退すると、再び両者の間に間合いが出来る。
アロイスが昏倒してしまった今、この場で魔王に応戦出来るのはレオンだけだ。
一瞬たりとも油断出来ない状況。
窓の外をちらりと見やれば、城下に火の手が上がっている。
それから再び穴の開いた天井に視線を移すと、結界が完全に破壊されて魔物が次々と中へ侵入しているのが見えた。
この分だと城内にも魔物が現れ、皆混乱しているに違いない。
……援軍は期待出来そうもないな。
魔王の攻撃を受け流しながら、レオンはこの状況をどう打開すべきか考えるが一向に良い案が思いつかない。
幾度となく刃のぶつかり合う音が響き、両者一歩も譲らない戦況が続く。
しかし、徐々に頭痛が強くなっているレオンの方がやや不利だ。
頭痛と吐き気に襲われながらも、レオンは攻撃の手を緩めない。
どちらともなく踏み出し、より激しくぶつかり合う剣。
僅かにブレたレオンの剣先から魔王の刃がすり抜け、レオンの頬を切り裂いた。
更に急所を狙っての魔王の連続攻撃が止まらない。
レオンは辛うじて防いでいたものの、随所に傷が増えて行く。
……一刻も早く決着をつけなければ。
強まる頭痛を誤魔化しながら間合いを取り、それから再び魔王と睨み合う。
しかし、どう言う訳か魔王は剣先についたレオンの血を眺めて動きを止めている。
奇妙な静けさが流れ、やがて、たどたどしい言葉が魔王の口をついて出た。
「……や…っ、く、そ……、を……」
何かを訴えるような声。
しかし、その言葉はレオンの耳には完全に届かなかった。
……魔王は、何と言っているんだ?
レオンは聞き取れない魔王の言葉に耳をそばだてる。
「……い出せ……、……の……を」
けれど、やはり所々途切れているのか掠れているのか、その言葉を拾い切る事が出来ない。
完全に動きが止まっている魔王を見て、これ以上その言葉に耳を傾ける事は無駄だと判断したレオンは、討つならば今だと足を踏み出した。
一瞬にして詰められた間合い。
即座に左から右へと振り抜かれた剣は、魔王の首を見事に刎ね落とした。
同時に、魔王が紡いだ言葉がレオンの耳に鮮明に届く。
「――― 思い、出せ……」
「!?」
どこかで聞いたことのある声が、レオンの脳裏に影をちらつかせる。
……一体、僕に何を思い出せと言うのか。
レオンは魔王の首が床を転がる様を見つめながら、心の中で問いかけた。
「――― あの日の約……束を、思い、出せ」
床に転がり落ちた魔王の首から発せられる言葉は止まらない。
ふと魔王の胴体の方を見れば、ちょうど膝から崩れ落ちる所だった。
完全にその身体が床に伏せる瞬間、懐にしまわれた小瓶が飛び出してレオンの足元に転がって来る。
「――― 思い、出せ……」
魔王の発する言葉に反応するように、頭痛が強くなって行く。
立っていられない程の苦痛。
レオンは、よろける身体を辛うじて剣で支えていた。
「魔王……、僕に、何を思い出せと言うんだ……」
「――― 思い、出せ……」
何度も何度も同じ言葉を繰り返す魔王に、歯を食いしばりながらレオンは問う。
視界に入る小瓶が、キラリと光を放った。
「――― 思い、出せ……、……お前の……本当、の……名前……を……」
突き刺すような痛みと締め上げられるような痛みが、交互にレオンの脳内を襲う。
「僕の……僕の名前は……、レオン・ノエルだ……」
今より昔……、森の中で意識を取り戻した時、レオンは"レオン・ノエル"と言う名前しか覚えていなかった。
それを証明する物は何一つ無かったが、その名前だけは唯一鮮明に覚えていた。
誰かに何者であるのかと問われても、"レオン・ノエル"と言う名前さえあれば自分を保っていられた。
いつしか自分が何者であるのかと自問自答する事もなくなったのは、"レオン・ノエル"と言う名前と……、それから、"彼女"がいてくれたからだ。
"彼女"が、悩めるレオンを否定せずに受け入れてくれたからだ。
けれど、その"彼女"の顔も今は思い出せない。
何故、どうしてと、曖昧なその顔を懸命に思い出そうとするが、"彼女"の顔にかかった靄は晴れないままだ。
「――― 思い、出せ……、……お前の……本当、の……名前……を……」
「……ぼ、くは……、いや、……! お……、俺の……、俺の名前、……はっ……」
頭が割れそうに痛い。
それと同時に、頭の中で悲痛な叫びを上げる"彼女"の声が響いた。
『―――……お願い、……行かないで!』
怒ったような、悲しんでいるような、不安なような、様々な感情が入り混じった瞳でレオンを見つめる"彼女"。
レオンのつま先に当たった小瓶が、カラリと音を立てた。
「……そうだ……、"彼女"に、これを……」
小瓶を拾い上げようとレオンが下を向いた直後、何かがレオンの胸元を貫いた。
玉座の方からレオンの名前を呼ぶ声が聞こえたが、それに反応する間もなく膝が床につく。
――― 思い出せ、お前の本当の名前を。
胸を貫かれたせいで、呼吸が上手く出来ない。
それでも、徐々に遠くなって行く魔王の声にレオンは答えようと声にならない声を上げる。
……僕は。
――― お前の清らかで高潔な魂を。
喉の奥からせり上がってくる血が、レオンの声をかき消して行く。
……俺は。
――― 思い出せ!
ついに全身の力が抜け、床に倒れると同時に握った小瓶。
中に入っている変質した液体が、粘着質な音を立てる。
……これは……、
その音を合図に、レオンの脳裏に失われていた記憶が一気に押し寄せて来た。
同時に、"彼女"の顔を鮮明に思い出して、無意識にその名を呼ぼうとくちびるが動く。
そして、ゆっくりと暗転する視界。
……これは……、この小瓶は、間違いなく、
「……セ、シ……リヤ……」
彼女に渡さなければならないものだった。
【END】




