もしもその時が来たら -Ángel-Ⅱ【驚愕】④
「……魔王……っ」
心の中の叫びとは裏腹に、口から出たのは小さな呟きにも似た声だった。
一歩一歩、ゆっくりと確実な足取りで玉座に近づいて来る魔王。
その顏は、被っているボロボロのフードに深く覆われていて見る事は出来ない。
同時にどこからともなく魔物が召喚されたのか、周囲は完全に包囲されている。
騎士達はすぐに戦闘態勢を整え、アンヘルは王を守るように前に立ち、魔王の出方を窺った。
その間も、騎士達が果敢に魔物と魔王へ挑んで行く。
玉座には近づかせまいと、剣を振り上げ魔術を駆使し今持てる全てを魔王にぶつけ、そしてねじ伏せられる騎士達。
振り上げられた剣をいとも容易く薙ぎ払い、放たれた魔術を一瞬にして消し去り、怯み絶望する騎士たちを無情にも斬り捨てて行く魔王。
足止めにもならないと、まるで嘲笑っているかのようだ。
「……は……、どこだ……」
唸るような低い声で魔王の口から零れた言葉。
「セ、シリヤは……、どこにいる……?」
辛うじて聞き取れたその言葉に、アンヘルの肌はぞわりと粟立った。
……魔王がセシリヤを探している。
何故、魔王はセシリヤを探しているのか。
セシリヤを見つけ出して何をするつもりなのか。
ちらりと王を見やれば驚愕の表情を浮かべたまま、ただ魔王を見つめていた。
どうやら、王も予期していない事態だったようだ。
王に寄り添い守るように立っているマルグレットも、初めて間近で魔王を目にしたせいか恐怖に竦んでいた。
果敢に挑んで行った騎士たちを一通り制圧すると、魔王は再び玉座を目指し歩き始める。
魔王の足が床を踏みしめる度に、ぴしゃりと冷たい水音が響く。
いつの間にか雨が降り出し、穴の開いた天井から雨粒が降り注いでいた。
「……セシ、リヤ……、どこに……、セシリヤ……」
完全に復活しきれていないのか、混濁した意識で狂ったようにセシリヤの居場所を探し求める魔王は、どこか異質な雰囲気を放ち、時折苦しむように頭を抱えていた。
一体何故、魔王はセシリヤに執着しているのか。
理由を知りたい衝動に駆られたが、問うても今の正気ではない魔王から答えが返って来るとは思えない。
まだどこかで魔王が城に乗り込んで来た事を現実として受け止めきれていないのか、アンヘルは思っていたより冷静だった。
「セシ……リ、ヤ……ッ……、ううぅ……っ……」
再び苦しみ出した魔王の隙を狙ってその手足を拘束するように、魔術が放たれる。
魔術の放たれた方向を見れば、アロイスとレオンが立っていた。
召喚された魔物は、どうやら彼らが片付けたようだ。
手足を拘束され煩わしいと暴れる魔王は標的を玉座にいる王からアロイスとレオンに変え、瞬く間に向かって行く。
「アロイス団長、準備は良いかい……!」
「えぇー、もうやだぁ……、おじさん体力の限界よ?」
アロイスの悲痛な叫びが聞こえたが、顔は至って真面目である為応戦する気はあるのだろう。
二人が剣を構えた直後、魔王からの猛攻が始まった。
アンヘルは二人が魔王の相手をしている内に再び転移魔具に手をかけ魔力を注ぎ込んだが、やはり反応はない。
魔王が城に攻め込んで来たせいで転移魔具に不具合が生じたのかも知れないと歯噛みしていれば、今度は遠くの方から爆発音が聞こえた。
もしかすると城全体……、いや、国全体が魔物に襲われているのかも知れないと、アンヘルが城下の景色を一望出来る窓の外へ視線を移せば案の定、城下は黒い霧に包まれ火の手が上がっている。
続いて空を見上げれば、張られていた結界は無惨にも破壊され、魔物が侵入し放題だ。
第七騎士団が常に巡回しているとは言え、国全体となると彼らだけでは守り切る事は難しいだろう。
最悪の結末がアンヘルの脳裏に過った直後、アロイスが魔王の一撃を受け止め損ねて昏倒してしまった。
もう、この場でまともに魔王に応戦できるのはレオンだけだ。
城内も魔物の出現で混乱しているとしたら、応援が駆けつけてくれる事は期待出来ない。
せめて転移魔具さえ使えるようになれば、王だけでも安全な場所に避難させる事が出来るのにと魔力を何度も注いだが、それも絶望的だ。
レオンと魔王の一騎打ちも互いに譲らないまま続き、何も出来ずに時間だけが過ぎて行った。




