実に単純で愚かである -Yuri-Ⅶ【愚行】③※やや残酷描写有の為苦手な方はご注意ください
「……迷った……」
変わり映えのしない廊下を延々と歩く。
普段通る廊下を逸れた時に思い直して戻れば良かったと、ユーリは数十分前の自分を責めていた。
いくら城内を出入りをしているとは言え、城の細部まで正確に記憶している訳ではない。
あくまでもここは城であり、何者かの襲撃を受けた際に容易く侵入されないよう複雑に入り組んでいる場所もあるのだ。
例えば、一本廊下を曲がり間違えただけで迷い込む迷宮。
それが現在ユーリのいる場所だった。
他の場所とは違ってやや薄暗く、あまり好んで近づきたい所ではないと、ユーリは心細さにセシリヤの剣を抱き締める。
曇天の今日は気温も低いのか肌寒く、不気味さも相俟ってユーリを不安にさせた。
廊下に反響する足音はユーリのものだけで、無事にこの入り組んだ廊下の迷宮から抜け出せるのだろうかと深い溜息を吐いた。
……医療団に戻れたら、改めて城の見取り図を確認しよう。
ごく自然に存在する迷宮に、今後も迷い込まないとは限らない。
無事迷宮から出た後セシリヤに頼んで見取り図を見せてもらう事を決めると、次の分かれ道に差し掛かって足を止めた。
右へ行くべきか、左へ行くべきか。
どちらに行くのが正解だろうかと、ユーリが頭を悩ませていたその時だ。
不意に左へ続く廊下の方から何かの足音が聞こえた気がしたユーリは、迷わず左の廊下へ曲がる。
けれど、真っすぐな廊下の先には誰の姿も見当たらなかった。
……気のせい、だったのかな……?
そのまま廊下を道なりに歩きながら首を傾げていたユーリは、ふと壁面に何かが描かれていることに気が付き足を止める。
「……これ、何だろう」
ただの落描きのようにも思えるが、何かの文様に見えなくもない。
よく見れば血で描かれているようだ。
しかも描かれて時間がそう経っていないせいか、それはまだ鮮やかな色を保っている。
不気味さを感じながらも、一体何の文様なのだろうかと興味本位で壁の落書きに手を延ばした直後、遠くで爆発音のようなものが聞こえて思わず辺りを見回した。
……何が起こったんだろう?
何となくこの場所に長居しない方が良いと思ったユーリは、直感に従って入り組んだ廊下を走り抜ける。
程なくして、ユーリの行く先に一人の騎士が倒れているのが見え、慌てて駆け寄った。
(襟色を見る限り、第七騎士団の騎士のようだ)
辛うじて意識はあるものの、肩から腹にかけてかなりの深手を負っており、呼吸は浅い。
すぐに治療に取り掛かると、騎士はうわ言のように何かを訴えかけている。
「……い………ろ……っ」
「あ、あのっ……、出血がひどいので、喋らないで下さいっ!」
「……っあ、…ない……、に…ろ……っ!」
最後の力を振り絞ったのか、それっきり騎士が動くことはなく、ユーリは救えなかった事に悔しさを滲ませた。
開いたままの騎士の瞼を閉じてやり、両手を胸の辺りに組ませると、その指先に傷がある事に気が付いたユーリはそっと手を取って観察する。
……そうとう強く、何かに擦りつけたのかな。肉も削がれて爪まで剥がれてる。
致命傷とは関係ない傷。
稀に苦しさに耐え兼ねて身体や床、壁を引っかき指先を傷つける人もいるが、それにしては程度が酷すぎる。
一体彼に何があったのかと顔を上げて辺りを見回せば、先程通った廊下にあった落描きと同じものが壁にある事に気が付き、ユーリは訝し気にそれを見つめた。
……どうしてこんな所にも同じ落描きがあるんだろう。
もう一度近くで観察しようと立ち上がった瞬間、突然文様が光り出し、眩しさに目を細めていればそこから一体の魔物が姿を現した。
唸り威嚇する魔物に気圧されて後ずさったユーリだったが、自分のすぐ背後にも魔物が接近していた事に気が付き身体が硬直する。
背後にいる魔物の爪や牙には血のようなものがついているのが見え、すぐに亡くなった騎士のものだとユーリは理解した。
きっと、あの騎士の訴えは「逃げろ」と言う警告だったのだろう。
頭の中は冷静だったが、恐怖で身体が思うように動いてくれない。
叱咤するように恐怖に震えるくちびるを噛むと、ユーリはセシリヤの剣を抱え魔物の隙を突いて一気にその場から走り出した。
一瞬の間をあけてユーリの後を追う魔物だったが、幸い足はそこまで早くないようだ。
走りながら転移魔具を取り出しこの状況を誰かに伝えなければと起動させるが、何故か魔具は一切の反応を見せなかった。
……こんな時に故障だなんて、嘘だろ!?
いくら魔具に魔力を流し込んでも反応はなく、ユーリは半泣きで魔物の追跡から逃げ続ける。
……このままここで死ぬなんて絶対嫌だ!
とにかく入り組んだ廊下を滅茶苦茶に走りながら、ふとシルヴィオに貰った魔石を思い出してポケットを探った。
シルヴィオは城に異変が起こったらこの石に魔力を注ぎ込めと言っていたが、今がその時ではないだろうか。
ユーリは走りながらも、ありったけの魔力を石に注ぎ込んだ。
……シルヴィオ団長! 異常事態が発生してます! 助けて下さい!
心の中で必死に叫んでいると、ユーリの魔力に反応した魔石が徐々に光り出す。
それと同時に、背後には二体の魔物が迫っていた。
もうこれ以上逃げきれないと、そう諦めかけた直後、魔石がより一層大きな輝きを見せる。
ユーリが眩しさに目を瞑ったと同時にどこか別の場所から爆発音が聞こえ、次に目を開けた時には背後に迫っていた魔物は跡形もなく消え去っていた。




