その瞳は少しも笑ってはいなかった。-Yvonne-Ⅲ【脅迫】③
「イヴォンネ団長は、憶測にすぎない答えで満足するの?」
今までに聞いたことのない低い声。
妙に威圧的でいつものヘラヘラとしたシルヴィオとは思えず、イヴォンネは僅かに怯む。
しかし、ここで引き下がる訳には行かない。
「憶測にすぎない答えはいらないわ。だけど、今明確にわかっている答えをちょうだい。いつまでも隠し続けていると、あなたの立場こそ危うくなるわよ。……現に私は、あなたを疑ってる」
「……まいったなぁ。そんな怪しまれるなんて心外」
警戒を強めるイヴォンネとは対照的に、いつも通りの声と態度に戻ったシルヴィオは、降参のポーズを取ると右手の指を鳴らして見せる。
一瞬にして張られた結界はこの民家を包み込み、外部への音と内部への侵入を遮断した。
高等な魔術を術式も呪文も破棄して使えるシルヴィオは、本当に底が知れない。
「あまり長い時間結界を張ってたら、ラディム団長にも怪しまれるから手短にね」
「じゃあ聞くわ。この文様は一体何なの?」
「これは、とある邪教徒が崇めている"邪神"を象徴する文様だよ」
「……邪神?」
この世界にはいくつかの邪神が存在している事は知っていたが、その全容は殆ど知れないものだ。
一部の学者が調べていたものの、邪教徒たちの口承でしか伝わっていない (つまり入信しないと詳細がわからない)と言う理由で断念されている。
更に、他国でもロガールでも邪教徒の巣窟となって悪事を働いていた施設などは徹底的に排除した為、今は信仰している人間はほぼ存在していないと言われていた。
故に、この文様が"邪神"を象徴するものだと言われても、イヴォンネにはピンと来ないのだ。
「ピンと来ないって顔してるね。まぁ、普通の生活をしていれば特に関わる事もないだろうから当然と言えば当然なんだけど」
シルヴィオに考えを見透かされている事が気に入らなかったが、彼の様子を見る限り嘘は言っていないようだった。
「とりあえず信じるわ。……でも、邪神を象徴する文様がどうしてロガールに?」
「それは僕にもわからない」
「今までに襲われた村や町も、この邪神と関係があるって言う事?」
「村や町自体がこの邪神と関係があったかどうかはわからないけど……、恐らくほとんどはこの邪神と関係している人物が関わっているだろうね」
あっさりと認めたシルヴィオの口ぶりは最早他人事のようで、イヴォンネは思わず襟に掴みかかってしまった。
「どうしてそれを言わなかったの!? そんな人間が関わっているなら、ロガールにある文様も危険なものだって事でしょう!?」
「危なくないとは言えないよ。でも、この文様が何をする為のものなのかがわからない。だから下手に手を出せなかったんだ」
憶測で動いて事態を悪化させるわけには行かないからね、と悪びれる事無く話すシルヴィオには腹が立つが、確かに彼の言う事にも一理ある。
実際の所、この文様があっただけでこれをどのように使ったのかがわからない。
下手に動いて相手を刺激すれば、自分達がその人物に気づいている事を悟られて別の手を使って来る可能性もある。
最悪、自棄を起こしてとんでもない事をしでかすかも知れない。
とは言え、村や町に既に実害が出ているのだから黙っていたシルヴィオにもそれなりの責任はある。
「魔王を討伐し終えたら、懲罰ものよ」
「だろうねぇ……。最悪、首が飛ぶかも」
イヴォンネの言葉に動揺する素振りも見せないシルヴィオは、一体何を考えているのか。
訝し気に眉を顰めていれば、彼は壁にあった文様を足で雑に消し始めた。
「でも、これで魔王とはまた別の何かが動いてるって確証は得られた」
「それじゃあ内通者は魔王側についている訳ではないって事?」
「断定は出来ないけど、ほぼそうだろうね。まあ、後は相手がどう出て来るのか待つだけだ」
「待って! あなた、この期に及んでまだ泳がせる気?」
「だって内通者が誰なのかも、何人いるのかも全く見当がつかないんだもん。もし遠征に出てる半数が内通者だったらどうするの?」
「私達で何とかするのよ! ロガールが危険にさらされるかも知れないのよ!?」
シルヴィオののん気な返答に、イヴォンネは声を荒げずにはいられない。
ただでさえ実害が出ていてロガールに危機が迫っているかも知れないと言うのに、どうしてこの男はこんなにのん気でいられるのか。
ロガールに強力な結界が張ってあるとは言え、そんな話を聞かされて不安にならない訳がない。
すぐに結界強化に力を入れるようロータルに指示を出さなければと急くイヴォンネだったが、シルヴィオは肩を竦めて溜息を吐くだけだ。
「焦ってこっちの動きを悟られないように気を付けてね。相手はずっと長い間機会を窺っていたんだろうし、簡単に尻尾は出さないと思うよ。 多分、ここぞと言う時を狙って来るはずだから」
「……あなたが泳がせていたせいで、万が一プリシラに何かあったら、ただじゃおかないから」
「僕、一体いくつ命があれば良いのかなぁ?」
イヴォンネの言葉を軽く受け流すシルヴィオを睨みつけると、彼はニコリと笑って民家を包み込んでいた結界を解いた。
閉塞感から解放されたイヴォンネは、無意識の内に緊張していたのかほっと安堵の溜息を零し、それからふと、どうしてシルヴィオがこの遠征に行きたいと言い出したのか疑問に思った。




