この感情は決して彼女に抱いてはいけないものだ -Dino-Ⅵ【渇望】⑨
交わる視線と、揺れる瞳。
ディーノの真っ直ぐな視線から逃げるように瞳を逸らしたセシリヤは、「どうして……」とだけ呟き、そのまま俯いてしまった。
けれど、すぐ目の前にある部屋に逃げ込む素振りを見せないと言う事は、拒絶されている訳ではないのだろう。
このまま真意を明かしても良いのかと迷ったが、ここまで来てしまったのなら打ち明ける以外の選択肢など残されてはいなかった。
「好きだからです……」
落ち着いた声音で紡がれた言葉に、セシリヤの肩が揺れた。
「セシリヤさん……、俺はセシリヤさんの事が好きで、もっとあなたの事を知りたいと思っています。俺は、セシリヤさんから大切な存在を奪ってしまった人間で、こんな感情を持つことは許されないと言う事もわかっています。それでも俺は……、あなたをずっと一人の女性として見ていました」
「……悪い冗談は、やめて下さい」
「冗談なんかじゃありません……! 以前、酒の席で言った言葉も、全部冗談なんかじゃありません! 俺は……っ、」
一度溢れ出すと止まらない言葉。
けれど、その言葉を遮るように肩に触れていたディーノの手を掴んだセシリヤは、そのまま強引に部屋の中へ引き入れると灯りもつけないまま向かい合って立ち止まる。
窓から差し込む月明かりだけが二人の姿を照らしている様は、やけに煽情的だ。
しかし、一体何故セシリヤは自分を部屋に引き入れたのか。
この状況にやや混乱する頭を落ち着かせながら目の前のセシリヤに視線を寄越せば、彼女は何を思ったのか、大胆にもブラウスのボタンを外している所だった。
流石に何をしているのかと手を掴んで止めに入ったディーノだったが、セシリヤはその手を振りほどいて再びブラウスのボタンに手をかけた。
「セシリヤさんっ……、俺はそんなつもりで気持ちを打ち明けた訳じゃありませんっ!」
自分の発言で、彼女に何か途轍もない誤解をさせてしまったのだろうかと焦るディーノだったが、セシリヤは意に介した様子もない。
外されたボタンのせいでセシリヤの白い素肌が露わになり、ディーノは見てはいけないと視線を逸らした。
「ディーノ副団長……。私の事を好きだと言うのなら、ちゃんと私を見て、話を聞いて下さい」
セシリヤの声が僅かに震えている事に気が付き、ディーノは恐る恐る逸らした視線を上げると、真っすぐに彼女を見つめる。
大きく開けたブラウスから見える、彼女の綺麗な素肌。
しかし、すぐにその違和感に気が付いたディーノは瞠目する。
セシリヤの胸の辺りには禍々しい文様がはっきりと浮いており、そこから全身に向かって伸びるかのように刻まれている痣のようなものが見えた。
今この瞬間もそれは彼女の身体を侵食しているのか、僅かに範囲を広げているようだ。
「……初代勇者である王と共に、魔王を封印した時にかけられた呪いです。これがある限り、私は老いる事も死ぬこともできません」
「初代、勇者……?」
ディーノの言葉を肯定するようにセシリヤは頷いた。
初代勇者とは、今現在仕えているロガールの国王であるフシャオイで間違いないはずだ。
そして、セシリヤは彼と共に魔王を封印したと言った。
しかし、彼が魔王を封印したのは今から60年以上も前の話だ。
どう考えても今のセシリヤの見た目と年齢に齟齬があり、ディーノには到底信じられない話だった。
「急にこんな事を言われても信じられないかもしれませんが……、私、こう見えても、結構な年なんですよ? 呪いのせいで、見た目は何一つあの頃とは変わっていませんが……。既に、貴方と生きている時間が違うんです」
胸元にある文様をなぞり自嘲するセシリヤは、ディーノが知らない彼女の姿だった。
冷え切った瞳も、僅かに歪んだくちびるも、今まで一度も見た事がない。
「始めの内は、それでも良かった。誰かの為に……、自分が信じた正義の為に長く戦えることは、光栄だと思っていたから……。でも、よく考えれば、こんな気味の悪いことは無いんです。私と同じ時期に入団した仲間達が少しずつ老いて、私よりも後に入団した後輩達も少しずつ老いて、そして私より先に死んで行く。それなのに、私は何も変わっていない。魔王の手先じゃないかなんて疑われても、仕方ないですよね。この呪いが続く限り、私は普通の人間ではないんですから」
ディーノの知っている、あの優しく儚げな印象の彼女とはまるで別人だ。
きっと、彼女の抱えているものがそうさせているのだろう。
饒舌に語りながら、ディーノを見ているようで何も映してはいない瞳が悲しかった。
「もし、この先いつか呪いが解けたとして……、その時、私は私を保っていられるのかも分からないんです。この意味が……、わかりますか?」
歪な笑顔を浮かべたセシリヤの言葉は、すぐにディーノにも理解できた。
彼女にかけられた呪いが解けた時……。
無理矢理止められていた時間が突然動き出したとしたら、身体は相応のものに戻ろうと急激に変化して、最悪の場合彼女は死んでしまうかもしれない。
例え死を免れたとしても……、そこには老いた彼女の姿があるのだろう。
ディーノが答えに辿り着いた事を察したセシリヤが、ブラウスのボタンを元通りに直し始めた。
「だから、私は貴方の隣に立つことはできません。老いた身体になって、それでも貴方の隣に立ちたいだなんて……、そんな都合の良い夢は、私には見る事ができないからです」
そう言い切ったセシリヤは、吹っ切れたような……、けれどどこか寂しそうな顔をしていて、ディーノは思わず彼女の顔に手を延ばす。
こうして頬に触れる事は拒絶しないのに、彼女の心だけが頑なにディーノを拒絶していた。
「それが……、貴女の本心なんですか……?」
絞り出すような声に、セシリヤはただ頷くだけだ。
「本当に、それが……っ、」
「貴方にはこれから先も、明るい未来に向かって歩いて欲しい。あなたに相応しい人と……。ただ、それだけを……、願っています」
もう一度問う事は許さないとばかりに距離をとったセシリヤは、そのままディーノを部屋から押し出すとすぐにドアを閉めて鍵をかけてしまった。
たった一枚のドアが、二人の距離を遠く隔ててしまったような気がして、ディーノはその場に立ち尽くす。
今は、セシリヤにどれだけ自分の気持ちを伝えても拒絶されるだけだ。
これ以上無理に踏み込めば、二度と顔を合わせてはくれなくなるだろう。
くちびるを噛んで、一度心を落ち着かせる。
「……おやすみなさい、セシリヤさん」
ディーノが口にした別れの挨拶に、返事はなかった。
ふと見れば、彼女の頬に触れた手が僅かに濡れている。
……本当に、それが貴女の本心なんですか?
部屋を出る寸前に見たセシリヤの涙を思い出したディーノは、奥歯を噛み締めると踵を返して歩き出す。
彼女の秘密は誰にも言わないと人知れず誓い、それから、彼女の言葉と流した涙の意味を一晩中、考え続けた。
【END】




