今も、どこかで彼女は泣いているのだろうか?【淵源】
※表現の一つとして画像を入れています。
挿絵オフにしていると見えませんのでご了承下さい。
沈んでいた意識が浮上する。
……ここは、一体どこなのだろうか。
長い間眠っていたせいで、まだ頭はぼんやりしている。
ふと視線を動かせば、神像の前で跪き崇める多くの人々の姿が見えた。
彼らは祈りを捧げ、時には願い事をし、神から恵みを与えられていたようだ。
けれどその光景もほんのわずかで、神像を崇めていた人々は一人、また一人と背を向けて去って行く。
彼らがいなくなった後には、手入れもされずひび割れた神像だけが、ぽつりと寂し気に残っていた。
彼らが崇めていた神とは、一体何だったのか。
手を延ばしてひび割れた神像に触れた瞬間、まばゆい光に飲み込まれた。
―――……い、……で!
光の中から、聞き覚えのある声が耳に届く。
声のする方を振り返れば、そこには一人の少女が立っていた。
確かによく知る人物であるはずなのに、何故か顔と名前が思い出せない。
目の前にいる少女の顔は、記憶と連動するように黒く塗りつぶされていた。
―――……お……い、………で!
必死に何かを訴えかける少女の姿に、ふと、懐かしい面影が重なる。
けれど激しい頭痛に襲われて、すぐにその面影は霧散して行った。
再び沈んで行く意識の中、あれは何なのかと、誰に問うでもなく呟いた。
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沈んでいた意識が浮上する。
今度は小さな少年を背負い、降りしきる雨の中、必死に走っていた。
薬を買いに行く途中、数人の兵士に捕まり暴力をふるわれていた少年。
身バレする事を考えれば関わらない方が良いと見過ごす事も出来たが、性に合わず、無謀にも渦中に飛び込み少年を連れ出した。
追手を撒くために森へ入り 少年と共に木の洞に身を隠しやり過ごす。
それから森を抜けた所で、この先は少年一人でも逃げ切れるだろうと別れを切り出せば、彼は一族に伝わると言う呪いをかけてくれた。
清らかな魂の一部を少年と共有する呪い。
肉体が滅びても、共有した魂は少年の中で生き続けると言う。
生涯、たった一度しかかけられない呪い。
そんな呪いを軽率にかけても良いのかと問えば、彼は迫害から救ってくれた恩人へ恩を返しただけだと笑っていた。
呪いの効力は半信半疑だったが、彼の曇りのない真っ直ぐな瞳を見ていると、何故だか信じたくなってしまう。
故に別れ際、少年に言った。
「もしも俺に何かが起こった時には、代わりに、………を守ってくれ……」
約束だと小指を絡ませた後、この先で同志が待っていると言い去って行く少年の小さな背中を見送った。
―――……お……い、………で!
背後から、聞こえて来る声に振り返る。
また、あの少女が立っていた。
けれどやはり顔が黒く塗りつぶされていて、誰なのかが判別できない。
―――……おね……い、……か……で!
必死に訴えかけるこの少女は、きっと自分にとって大切な人物だったに違いない。
そうでなければ、何度も夢に現われはしないだろう。
少女に近づき、黒く塗りつぶされた顔に手を延ばせば、その姿は瞬く間に霧散して行った。
再び沈んで行く意識。
それが途切れる瞬間、大事な約束を誰かとしていた事を思い出した。
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沈んでいた意識が浮上する。
周囲を見れば、数人の黒づくめの人間に取り囲まれていた。
明らかに尋常ではない雰囲気に、冷や汗が流れる。
……刺客だ。
この人数相手では勝てないと、本能で悟った。
けれど、ようやく手に入れる事の出来たこの薬を持って、あの場所に帰らなければならない。
失くさないよう、大事に胸ポケットへしまってある薬を無意識に触る。
あの場所に……、彼女の元へ帰ると約束したからには、ここで倒れる訳には行かなかった。
彼女の元に帰りたい一心で、藻掻き、抵抗した。
最後の、最期まで……。
……あの薬は誰の為の物で、あの場所とは一体どこだったのだろう?
―――……お願い、行かないで!
雨音の中にあの少女の声が聞こえたが、瞼を開ける力はもう残っていなかった。
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沈んでいた意識が浮上する。
混濁しては透明になり、また混濁して行く意識と記憶。
自分であって自分でないような、曖昧な意識と記憶。
何度も繰り返すその中に、顔も名前も思い出せない彼女の姿だけが強く、鮮明に残っていた。
この世界で自分が守らなければならない存在である事だけは、辛うじて思い出せた。
「……守ル……」
彼女を傷つけるものすべてから、悲しませるものすべてから守ると約束した。
彼女を守る為ならば、例え世界が滅びようとも構わないと、強く願い、死の淵で差し伸べられた手を取ったのだ。
「約、束……」
それから、約束を守る為に彼女の元へ何度も帰ろうとした。
蝕まれて行く意識をやっとの思いで繋ぎ止め、何度も、何度も彼女の元へ向かった。
けれどその度に、必ず邪魔が入るのだ。
もう、これで幾度目になるのだろうか。
再び意識が混濁し始めた所で現れたのは、全く面識のない男だった。
忌々し気な視線をこちらに向け、神像へ執拗に攻撃するこの男は一体誰なのか……?
男は封印されている神像の破壊を試みたようだが、どうやらそれは叶わなかったようだ。
ひび割れていた神像の一部が更に砕け、男の持っていた剣が折れた。
「チッ……、同じとは言え、神像の破壊は出来ないのか……。……やはり、確実に殺す為には"勇者"の力とやらが必要なのか……?」
何の話だと問いたくても、すべてを拘束するこの封印が邪魔をして声が出せない。
それから、男の瞳を見て直感する。
「……忌々しい異世界人め。お前たちなど存在しなければ、俺の人生が狂う事もなかったのに! 必ずこの手で殺してやる……! あの国の王も、それを支持する人間も全てだ!」
この男は、危険な存在であると。
野放しにしてはならない存在であると。
男が去った後、辛うじて繋ぎ止めていた意識が沈んで行く。
意識が途切れる直前、懐かしい面影がはっきりと脳裏に浮かび上がった。
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沈んでいた意識が浮上する。
やや混濁しているが、今ならばはっきりと思い出せる。
「セ……シ、リヤ……守ル……」
彼女の名前を。
「約束……、……セシリ、ヤ……」
彼女の泣き顔を。
……泣かないでくれ。そんな顔をさせたかったんじゃない。
彼女を傷つけるものすべてから、悲しませるものすべてから守ると約束した。
彼女を守る為ならば、例え世界が滅びようとも構わないと、強く願い、死の淵で差し伸べられたあの"神"の手を取ったのだ。
けれど、夢の中の彼女が泣き止む事はなかった。
……今も、どこかで彼女は泣いているのだろうか?
空気を震わせ切り裂くような咆哮。
喉が潰れるのを感じた直後、身体を拘束していた封印が破壊される。
長い間拘束されていたせいで、身体が鉛のように重い。
強引に身体を引きずり外へ出て、あの日と同じ、淀んだ空を見上げた。
「セ……シ、リヤ……」
しわがれた声で呼んだ名は、誰にも届かない。
降り注ぐ雨粒がまるで彼女の涙のようで、胸が苦しくなった。
……彼女の元に、帰らなければ。
破壊した封印とは違う、あの男が張ったのだろう結界をこじ開け、方角を確認する。
自我を飲み込もうとする激しい破壊衝動を必死に抑えながら、覚束ない足取りでまた一歩を踏み出す。
「セシ、リヤ……」
ここから目指す場所は、決まっていた。
【END】




