この残酷で優しい温もりに溺れてしまえればどれだけ良かっただろうか -Joel- Ⅴ【不穏】①
魔王討伐の軍編成が決定してから、およそ二週間。
旅の準備を終えて出発を明日に控えたジョエルは、ディーノの勧めで早めに部屋で休ませてもらう事になった。
まだ処理の終わっていない仕事はディーノが担う事になり、彼にばかり負担をかけてしまう事に引け目を感じていたが、オリヴェルが積極的に補佐につくと言ってくれたので問題はないだろう。
(無理はしないようにとだけ釘を刺す事は忘れなかった)
ただひとつ気がかりなのは、"消える魔物"についての調査結果だ。
依頼を出していた第二騎士団からつい先日返って来た答えは、"調査不能の為打ち切り"と言う一文のみだった。
どう言うことなのかと直接シルヴィオに訊ねて見たが、どうやっても魔物が涌いて来る根源を特定する事が出来ず、お手上げなのだと言う。
出現するのを待ち伏せても一向に現われず、偶然魔物の姿を見かけて後をつけるも、気が付けば姿を消している。
姿を消した場所に罠を張って見ても、引っかかった形跡が一切見当たらない。
まるで幽霊を探しているようだと、シルヴィオは両肩を竦めて言っていた。
嘘のような話だが、第二騎士団の中でも特に優秀な部隊を出している事から、これらは疑いようのない事実なのだろう。
シルヴィオ自身も結果に納得はしていないようだったが、これ以上の調査は不可能と判断し部隊を撤退させたそうだ。
しかし、魔王は一体どうやってこの魔物をロガールへ送り込んでいるのか。
物体を転移させる術を持っているのだろうかとも考えたが、その術と魔具はつい最近イヴォンネが開発し、ようやく使えるようになったばかりだ。(使用にも制限がある)
それ以前から"消える魔物"が現れている所を見ると、その可能性はなさそうだ。
(いくら魔王とて、長い間封印されているのだからそんなものを作り出す余裕はないだろう)
考えても、謎は謎のままだった。
溜息を吐き出しながら窓の外を見れば、月の位置が部屋に戻って来た時よりも随分と動いている。
折角ディーノが気を遣って早めに休むようにしてくれたのに、考えごとをしていたせいで時間を無駄に潰してしまったようだ。
このままでは出発の初日に響いてしまうと、すぐさま寝る準備に取り掛かろうとした所で、ふと、聞き慣れた足音を耳が拾い上げた。
久しぶりにこの部屋へ向かって来る足音は、セシリヤのものだ。
部屋の前で足音が止まると遠慮がちにノックされ、すぐに返事をすれば、ゆっくりと扉が押し開けられる。
「ジョエル、起きていたの?」
「ああ……。でも、そろそろ休もうと思っていた所だよ」
「そう。ごめんなさい、邪魔してしまって」
何かあったのかと続けてセシリヤに問えば、特に用があった訳ではないからと首を横に振り、すぐに部屋を出ようと踵を返したが、それよりも先にジョエルの手が彼女の細い手首を掴んでいた。
ジョエルの手を振り払う気配がない所を見ると、用がなかったと言う訳ではなさそうだ。
しかし、セシリヤがこの部屋に逃げ込みたくなるような出来事が最近あっただろうかと記憶を辿って見るも、ジョエルの知っている限りでは特に思い当たる事がない。
……と、言うことは、
「セシリヤ……。もしかして、私を心配して会いに来てくれたのかい?」
そう訊ねると、セシリヤはおずおずと振り返りジョエルの顔を見上げて頷いた。
「ジョエルの事だから、何も心配いらないとは思うけど……、どうしても顔を見ておきたくて。明日はきっと、そんな時間もないだろうから……」
「ありがとう、セシリヤ。今回の旅も心強い仲間たちがいるから、大丈夫だ」
掴んでいた手首を優しく引き、セシリヤの身体を抱き寄せる。
いつも何気なくしている行動なのに、何故だか今日はそれが特別に感じてしまう。
セシリヤの事情で会いに来たのではなく、ジョエル自身の事を想って会いに来てくれた事がそう感じさせているのかも知れない。
一時の幸福感。
それでもこうしてセシリヤに想ってもらえる事が素直に嬉しかった。
「ジョエル、ごめんなさい。あなたに、何もしてあげられる事がなくて」
「そんな事、君が気にする必要はない。ここで私たちが無事に帰って来る事を祈り待っていてくれ。自分の帰りを待っていてくれる人がいる事がどんなに幸せな事か、……君も、知っているだろう?」
ジョエルの言葉にセシリヤが頷くと、彼女は何かを思い出したかのように小さく笑いだした。
「あの時とは、すっかり逆の立場ね」
セシリヤの言う"あの時"とは、彼女が若かりし頃の王と共に魔王を倒しに行った時の事を指しているのだろう。
その頃のジョエルはまだ十二歳と幼く、セシリヤと共に旅に出る事は叶わなかった。
(代わりに旅の途中で保護したと言うアンヘルを村一同で預かった事を、今でもよく覚えている)
―――何もしてあげられなくて、ごめん。
あの時、今のセシリヤと同じように、幼いジョエルはそう言った記憶がある。
そして、今のジョエルと同じ答えを返した彼女は、不安を抱える幼いジョエルを安心させるように優しく抱き締めてくれたのだ。
確かに立場が逆になっていると納得したジョエルは、軽く抱き寄せていたセシリヤをしっかりと両腕の中に閉じ込めた。
「あれからもう、随分と経つんだな」
「ジョエルは、本当に立派な騎士になったわ。あなたのご家族にも、その姿を見せてあげたかった」
「セシリヤ……、君はもうずっと昔から私の家族のようなものだ。私の両親もきっと、君が傍にいてくれて良かったと心から思っているはずだ」
その言葉に頷いたセシリヤが、ジョエルの胸元に顔を埋めるように寄りかかった。
彼女は、ジョエルにとって戦友でもあり家族でもある。
本音を言うならばそれ以上に大切な存在でもあるが、セシリヤが望まない限り、無理にこの現状を変えようとは思っていない。
何よりそれを望む資格を、ジョエルは持ち合わせてはいないのだ。
どんなに長い時間を共に過ごしても、ジョエルには彼女の心を開く事が出来ない。
どんなに熱を込め重ねて来たこの抱擁も、セシリヤにとっては家族へ抱く親愛の証に過ぎないのだ。
「ジョエル……、必ずここへ帰って来てね」
「ああ、勿論だ」
届ける事の出来ない自らの熱のもどかしさを誤魔化すように、両腕の中に納まる細い身体を強く抱き締めれば、セシリヤの両腕が応えるようにジョエルの背中に回される。
いっその事、この残酷で優しい温もりに溺れてしまえればどれだけ良かっただろうか。
理性の淵に踏みとどまり、対岸で手招きしている自分自身から、そっと目を背けた。
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