キミはまた、あの時みたいに笑ってくれるのかな -Silvio-Ⅴ【齟齬】⑥
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翌朝、寝不足であくびを噛み殺しながら執務室に入ると、依頼調査を終えて帰還した小隊からの報告書が山積みになっており、既に仕事を始めていたアンジェロの顔を見れば「仕分けはしてあるので、そこにある分は今日中に目を通して下さい」と良い笑顔で宣告された。
うんざりしながらもひとつひとつに目を通して判を押しの作業を幾度となく繰り返し、昼休憩すらも忘れて二人で作業に没頭する。
気が付けば高く上がっていた太陽もすっかり落ちて、代わりに月が冷たい輝きを放っていた。
机に積まれた書類はこれで最後だと、力いっぱい判を押して深い溜息を吐き出せば、アンジェロがお疲れさまですと労いの言葉をかけながら用意していたお茶を置いてくれる。
朝から何も口にしていなかった事を思い出し、出されたティーカップを手に取ってありがたく口を付けた。
「団長、この第三騎士団からの依頼なんですが、調査を終えて帰還した小隊がいくつかあるので、比較的軽い調査任務だった隊に任せますね」
「んー、よろしく……」
お茶をのんびりと啜っているシルヴィオとは対照的に、アンジェロは今も書類の仕分けをしながら的確に調査依頼の振り分けをしていて、心の底から感心してしまう。
実質、この第二騎士団はアンジェロがいなければうまく機能しないのではないかと思わずにはいられない。
(……とは言え、いわゆる"裏の仕事"はシルヴィオが請け負っている為に一概には言えないのだが)
持っていたティーカップとソーサーを置いてアンジェロを眺めていれば、彼は視線に気づいたのか「何ですか?」と訝し気な顔をして見せた。
「いや……、アンジェロがいてくれて、良かったなぁと思ってさ……」
「何ですか、突然……」
悪い物でも食べたのかと続けたアンジェロに苦笑しながら、そんなんじゃないと否定し、それから、
「本当に、キミにはいつも感謝してるんだよ?」
「いや、団長……、急にどうしたんですか?」
気味が悪いと両腕をさするアンジェロから視線を外し、窓から顔を覗かせている月を見上げた。
―――仮に邪神と既に契約している人間がいたとして、その人間が別の邪神と契約を乗り換えると言うのなら多少望みがない訳でもない―――
昨晩解読したアイリのノートの続きには、確かにそう記されていた。
今現在、シルヴィオと契約している邪神と、魔王と呼ばれている邪神との契約を乗り換える方法を試す事は出来る。
仮に成功したなら万々歳なのだが、失敗すればそれこそ目も当てられない結果になるだろう。
(それに、もう一体の邪神をどうするべきか答えは出ていない)
そもそも、その方法すら推測であって確証はないのだ。
もしも気軽に試してみようなどと言う人間がいるとしたならば、狂人だろう。
それに、大きな代償を払う可能性も考慮した上で魔王を消し去りたいかと言われれば、シルヴィオは間違いなく首を横にふる自信がある。
例え魔王を消滅させる事が出来ずに国が、世界が滅びたとしても、シルヴィオにとっては大した問題ではない。
幼い頃の経験からか、元々この世界自体には何の夢も希望も持ってはいなかった。
ただ、偶然出会ったセシリヤを追った先で、国を、世界を魔王の手から守ると言うロガール騎士団に就いたに過ぎないのだ。
世界が滅びた所で、きっとシルヴィオもセシリヤも生き残るだろう。
(彼女は不本意だと嘆くかも知れないけれど)
それならそれで良いとさえ思ってしまう程には、どうでも良かった。
あれだけ憐れんでいたはずのユウキの事でさえ、彼女と天秤にかければ……、どうでも良かった。
ふと、お人好しな笑顔を浮かべながらシルヴィオに向かって「すごいですね」と純粋に褒めたユウキの顔を思い出す。
それと同時に、やたらと胸の奥がむず痒くなって、思わず口角が上がりそうになり唇を噛んだ。
「何で変な顔してるんですか?」
アンジェロに指摘され、上がりかけていた口角を無理矢理下げていつも通りの表情へ戻すと、何事も無かったかのように窓から視線を逸らした。
「いや……、アンジェロがいてくれれば、第二騎士団は安泰だなと思ってさ」
「肯定したい所ですけど、流石にそれは言い過ぎです。最終的には団長が全部判断して的確な指示を出してくれるから、僕も他の団員も安心して仕事が出来るんですよ」
普段の勤務態度と過度な女性関係はアレですけど、と付け足したアンジェロの言葉に、先程無理矢理元に戻した口角が上がってしまう。
「褒められてるって事でいいの? それ」
「……ええ。一応、尊敬だってしてますし。団長がいなきゃいないで僕も他の団員も困りますからね」
「そっか……」
そんな風に思ってもらえていたのかと、更に胸の中に広がるむず痒さと暖かさに目を細めた。
……僕は、もうここまで絆されていたのか。
そこまで長い年月を共に過ごした訳でもない、騎士団と言う組織にたまたま属しているだけの彼に。
そして、出会って間もない勇者に。
それから、彼女に。
「ありがとね、アンジェロ。何か、世界の見え方が変わった気がするよ」
「はあ……?」
……自分が思っているよりも、この世界はそう悪いものではなかった。
少なくとも、自分の身近にいる人を護っても良いと思えるくらいには。
随分と単純な心の構造に呆れ苦笑した後、アンジェロに向かって片目を瞑って見せる。
「また、君に迷惑かけるかも知れないけど……、後の事はよろしくね?」
「いや、それだけはやめて下さいよ、本当に!」
勇者が魔王討伐へ旅立つ前に、いくつかやっておかなければならない仕事が出来た。
……誰にも悟られないように、いつもの"シルヴィオ"を演じて、必ず魔王も騎士団に潜んでいる敵をも欺いて見せる。
それに伴う心の苦痛はあれど、それが全ての解決の糸口になるのなら、彼女の為になるのなら、甘んじて受け入れよう。
そうすれば今度こそ……、
……キミはまた、あの時みたいに笑ってくれるのかな。
記憶の底に眠る彼女の笑顔は、今でも褪せる事無くシルヴィオの中でまぶしく輝いていた。
【END】




