キミはまた、あの時みたいに笑ってくれるのかな -Silvio-Ⅴ【齟齬】①
「……異世界人って、何でこんなに文字を使い分けてるの?」
昼下がり、人の出払った執務室でシルヴィオは手元のノート二冊を交互に見比べながら溜息を吐く。
一冊は三代目勇者が残して行ったノート、もう一冊はユウキに教えてもらった異世界の文字を書いたものだ。
何度か言語の授業を行い、ユウキもそれなりにこちらの世界の文字が読めるようになったと喜んでいたのだが、シルヴィオ自身は未だに異世界の文字に馴染むことが出来なかった。
異世界でユウキが日常的に使っていると言う文字は、五種類。
(他にも存在しているらしいが、国が違う為にほぼ使う事はないと言っていた)
漢字、ひらがな、カタカナ、数字、アルファベットだ。
初めてそれを知った時はひどく驚いた。
漢字に至ってはかなりの種類があり、読み方も組み合わせによって変わることもあれば様々な意味を持つと言うのだから、異世界人は相当勤勉のようだ。
手始めにユウキの持っている教科書を読んでもらいこちらの世界の文字に直すと言う作業をしたが、その反対が予想以上に困難を極め、とりあえず五十音順と言われるひらがな、カタカナを表にして書いてもらって、漢字は追々教えて貰う事で話はついた。
けれど、いざアイリのノートを開けば漢字が多くてとても読めたものではない。
かろうじてひらがなやカタカナの部分を読むことはできたが、肝心の漢字部分が読めない為に全く意味がわからないのだ。
致し方なく慣れない漢字を紙に書き写し、次にユウキに会った時にでも聞こうとペンを走らせた直後、執務室のドアを叩く音が響いた。
その音を追うように聞こえて来た声と名前に眉を顰めつつ、ドアが開くと同時に手元にあったノート類をすぐにしまっていつもの笑顔を貼りつけ相手を迎え入れる。
今日は珍しくアンジェロも席を外している為、嫌でもシルヴィオが目の前の相手をしなくてはならない。
「いらっしゃい、ディーノくん。アンジェロはいないけど……、用件は何?」
笑顔を崩さないよう視線を送り問えば、ディーノは持っていた書類をシルヴィオに差し出し、記載してある魔物について調査して欲しいと答えた。
軽く目を通せば、第三騎士団の監視区域だけではなくロガールの領内全域で散見される、所謂"死骸の消える"魔物についての調査依頼だ。
二ページ目には隣国へ調査を依頼した旨が書かれており、結果として、隣国に同様の魔物は生息していない上に見た事も聞いたこともないと言う返答があったようだ。
真っ先に地域特有の魔物ではないのかと言う考えがシルヴィオの脳裏を過ったが、仮にそうであったとしても、魔物はより自分たちにとって住みよい環境を求めて生息範囲を広げるはずだ。
それに隣国との気候や環境はそう違わない為、目撃証言が少しくらいあってもおかしくはない。
しかし、この回答を見た限りではそれらの魔物はまったく認知されていない事がわかる。
逆に、隣国に出没している魔物はロガール内で見られる事はあるのに……、やはりこれは些か不自然ではないだろうか。
魔王がこの新たな魔物を生み出しているのなら、世界中でその存在を確認されてもおかしくないはずだ。
何故、ロガールでしか認知されていないのか……。
「調査をお任せしてよろしいですか?」
「嫌だ……なんて選択肢、あると思う? 最近調査依頼も立て込んでるから時間はかかると思うけど……、まぁ、気長に待っててよ」
考え込んでいた所に返答を促され、そういつもの調子で答えて書類を机の上に置けば、どこか腑に落ちない顔をしているディーノが目に入る。
「もしかして、アンジェロじゃないから信用できない?」
「いえ……、まぁ……、そんな事は……」
歯切れの悪いディーノの答えは、シルヴィオの言っている事を肯定しているようなものだ。
普段からあまり褒められた勤務態度とは言えない上に(これでも真面目にやっているのだが)、アンジェロには相当な苦労をかけている事はシルヴィオ自身もよくわかっている。
それ故に、信用ならないと思われても仕方ないとどこかで納得してはいるのだが、何故かディーノにそう言われると無性に腹立たしく思えてしまう。
慇懃丁重、清廉潔白を体現したような第三騎士団に所属し、何の後ろめたさも無く純粋に騎士として胸を張って生きられる彼と、正反対の立ち位置にいるシルヴィオ。
生まれ育った環境も、請け負う仕事も異なる為に比べた所で意味などないのだが、どうしてもディーノが輝かしく目に映り煩わしかった。
(セシリヤと親しいこともあって、ひと際目についてしまうのだと思う)
「とにかく、これは第二騎士団で預かるね。ほら、用が済んだなら戻りなよ」
顔を見ないままそう追い立てれば、ディーノは律義に「よろしくお願いします」と一礼をして部屋を出て行った。
……真面目だねぇ。
鼻で嗤って受け取った書類を一瞥し、座りっぱなしで凝り固まった身体をほぐすように伸びをしてから立ち上がる。
その直後、立ち眩みのような感覚と頭痛がシルヴィオを襲い、思わず片膝を床についてしまう。
すぐに立ち上がろうと右手で傍にあった机を支えにすると手の平に刺すような痛みが走り、嫌な予感がしてそっと手袋を外せば、刻まれた文様から血が滲み出していた。
ここしばらくは邪神との制約に反した生活を送っている為に、その警告が更に段階を上げたのだろう。
制約を拒絶するシルヴィオを煽るように痛む手を握り締め、
「……わかってるよ。わかってるから、今はまだ大人しくしてくれよ!」
目には見えない対象にそう叫べば、タイミング悪くアンジェロが執務室に戻って来た所だった。
「団長、どうしたんですか!」
机に凭れ掛かるシルヴィオの姿を目にしたアンジェロは慌てて傍まで駆け寄ると、「立てますか?」と身体を支えて引っ張り上げてくれる。
自分より幾分か小さい割に力はあるんだなとどうでも良い事を考えながら、傍にあった椅子に座らせられると深く溜息を一つ吐き出した。
「顔色も良くないですよ。体調が悪いなら、医療団へ行ってみてはどうですか?」
心配そうに様子を窺うアンジェロの顔を見ないで済むように片手で目元を覆い、思いつく限りの言葉を手繰り寄せながら頭の中で言い訳を考える。
「心配ないよ。……昨日、久しぶりに深酒しちゃってさぁ。それがまだ、抜けきってないみたい」
それらしい理由を口にし、上がらない口角を無理やり引き上げたが、上手く笑えているだろうか。
……頼むから、いつもみたいに小言の一つでも言って聞かせてくれ。
けれど、そんなシルヴィオの願いは届かず、アンジェロは口を噤んだまま真意を窺っているようだ。
仕事柄癖のようなものとは言え、今の状態をアンジェロに見抜かれてしまうのは賢明ではないと考えたシルヴィオは、何でもないような素振りで椅子から立ち上がると、いつも通りの笑顔を無理矢理貼りつけ直して部屋を出る為に歩き出す。
僅かに覚束ない足取りはご愛嬌だ。
「……団長……っ!」
「ちょっと調べなきゃいけない事があるから、席を外すね。そっちにある書類は目を通して判を押しといたから、後の処理をよろしく」
サボりじゃないからね、と一言付け足して部屋を出たシルヴィオをアンジェロが追って来ることはなく、安堵の溜息を吐くと足早に書庫へ向かう。
人のほぼ寄り付かないあの場所ならば、まだ続いている痛みが引くまでゆっくり休んでいられるだろう。
医療団へ行く事を考えなくもなかったが、セシリヤに心配をさせてしまうのだけは避けたかった。
せめてセシリヤの前では、いつでも余裕のある自分でいたいと言う意地だ。
彼女ならばそんな意地など張らなくても良いと、受け入れてくれるのだろうけれど……。
「拗らせてるなぁ……」
セシリヤの困ったような笑顔を思い浮かべて苦笑しながら、一人、押し開けた扉の先へ足を踏み入れた。
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