その涙を拭う事すら出来ないまま -King-Ⅳ【落涙】②
漂う緊張感と沈黙に支配される寝所は、異様な雰囲気を放っていた。
普段ならば扉の外で警護をしている騎士も今はおらず、誰一人この場所に近づくことは許されていない。
寝所にいるのはフシャオイとアンヘル、そしてセシリヤの三人のみだ。
昼間に話があると呼び出したは良いが、どう口火を切るべきかと今更になってフシャオイは考える。
こんな夜分に呼び出した事を詫びてから突然本題に入るべきなのか、それとも和やかに雑談を交わしてから本題に入るべきなのか。
ベッドから出る事は許されなかったため、セシリヤはその傍らに置いてある椅子に座っている。
両手を重ねて姿勢良く座っているセシリヤの様子を窺えば、彼女もどうして良いかわからないと、眉を少しだけ下げて困惑しているようだった。
更にその後ろに立っているアンヘルは、事の成り行きを見守る姿勢であるのか一切微動だにせず、また、視線は床に落としたままだ。
セシリヤがここへやって来てかれこれ十分は経過しているはずだ。
無言のまま、ただ時間を無駄にする訳にも行かず、フシャオイは意を決して口を開く。
「あの少年は、とても素直で良い子だったな」
しかし、自分が思っていた以上に出した声は小さく掠れ、独り言のような呟きにしかならなかった。
セシリヤを見れば、一応聞こえてはいたのかじっとフシャオイの顔を見つめたまま、
「……はい。私もそう、思います」
そう短く答えた。
再び訪れる沈黙。
先程とはまた違う気まずさを持ったそれを振り払うかのように、フシャオイは言葉を続けた。
「私がこの世界に来てお前に出会うずっと以前に、もう一人、異世界人と思われる人物がいたと言っていただろう?」
ストラノ王によってこの世界へ召喚され、身一つで魔王を倒して来いとつまみ出されて道に迷っていた所、偶然にも森の奥深くで生活していたセシリヤと出会った時、彼女は確かにフシャオイの生徒手帳に記載された本名のカタカナを読み上げ、その読み方を教えてくれた人がいたと言っていた。
(日本特有のカタカナを読めたのだから、確実に自分と同じ異世界の人間であると断言出来る)
「当時、魔王を倒す為に旅に出ると言った私に、お前はその人を探しながら手伝うと言って共に旅に出てくれた。あの時は、本当にお前の存在が心強かった」
右も左もわからない世界で一人放り出されたフシャオイにとって、セシリヤは唯一の拠り所でもあった。
故に、彼女の探し人を見つける事も目的の一つとして共に旅立ったのだ。
例えその旅で見つからなかったとしても、魔王を倒せば今度はその探し人を見つけると言う目的の為だけに動くことが出来ると、その時は前向きに考えていた。
「行く先々で新たな仲間にも恵まれ、魔王の居場所を突き止め倒すことが出来た。これで”勇者”の旅は終わり、後はお前の探し人を見つけるだけだと……、そう思っていた」
しかし、蓋を開けて見ればフシャオイが倒した”魔王”とは彼女の探し人の事だったのである。
それに気が付いた時には、既に魔王の身体は封印され始めていた。
――――どうして、お前なんだ。
頭の中に流れ込むたくさんの記憶と共に、そう何度も恨み言のように呟きながら封印されて行った魔王。
しかし、そんな魔王の声はどう言う訳だか異世界から来たフシャオイ以外には届いておらず、セシリヤでさえも魔王が彼であるとは気がつかなかったのだ。
「セシリヤ……、お前の探し人こそが、”魔王”だ。お前に不老不死の呪いをかけ、長い間苦しめていたのも……」
唇を噛み締め絞り出すように言い放ったフシャオイは、セシリヤの顔を見る事が出来なかった。
長い間言えなかった秘密を暴露した今、彼女は自分の事をどう思いどんな目で見ているのか、知るのが怖かったからだ。
しかし、事実を話すと決めた以上逃げるわけには行かないと今一度覚悟を決め、震える手を抑えるように握り締めながら顔を上げれば、
「……知っています」
予想外にもセシリヤの瞳は穏やかで、けれど今にも零れてしまいそうな程に涙で滲んでいた。
だがそれよりも何よりも、彼女の返答に驚きを隠せない。
セシリヤは確かに「知っている」と答えた。
魔王の正体が"彼"である事を、「知っている」と。
「魔王が……、彼……、ハルマである事は知っていました。三代目勇者……、アイリ様からそう聞いていました。……今まで黙っていて、申し訳ありません」
そう言って頭を下げたセシリヤの手に、涙が一粒零れ落ちる。
隠し切れていると思っていた事が既に本人に知られていた事にも驚いたが、それを暴露したのが三代目勇者の少女だった事にも驚いた。
けれど、冷静に考えて見れば三代目勇者も同じ異世界人であるのだから、気づかない訳がないのだ。
三代目勇者も自分と同じように、あの魔王の持つ記憶と恨み言を聞いてしまったのだろう。
二代目勇者も、恐らくきっと……。
(何も言わなかったのか、言えなかったのかは今となってはわからないが)
それにしても、魔王が”彼”であると知っていながら、何故セシリヤはそれを言わなかったのだろうか。
事実を伏せていた事を知った彼女は自分を詰ることも出来たはずなのに、何故この二十年の間、ずっとそれを一人で抱えていたのだろうか。




