その涙を拭う事すら出来ないまま -King-Ⅳ【落涙】①
異界から召喚した少年・佐瀬 優希がその力を発揮したのは建国祭の当日、魔物の襲撃に混乱し怯える多くの人々の目の前であった。
優希が発動させた魔術の輝きを城内の寝所から目にしたフシャオイは、いよいよ覚悟を決めなければならないと長い間心の中に描いていた"最良の結末"に思いを馳せる。
……最良の結末。
魔王たる”根源”を滅し、”彼”とフシャオイの恩人である”彼女”を救う事。
その結末の中に、”世界を救う”と言う名目は含まれてはいない。
正確に言えば、”世界を救う”と言う名目は最良の結末を迎えるにあたって附随して来るものであって、そこにフシャオイの意思は関係ないのだ。
フシャオイにとって、この世界はあくまでもただの”異世界”であり、そこに何の感情も持ち合わせてはいない。
何十年も昔に、勝手な都合で召喚され強烈なトラウマを植え付けられたフシャオイを救ってくれたのは、セシリヤだった。
フシャオイは、セシリヤから受けた恩を返す為だけにこの異世界に残り、人生の全てをかけて来たと言っても過言ではない。
人々はフシャオイを、”魔王の悪しき手から世界を救った勇者だ”と讃えているが、それは大きな勘違いである。
フシャオイは、”勇者”などではない。
そもそも、この世界には最初から”勇者”や”魔王”など存在していなかったのだから。
フシャオイはこの世界にとってただの”異世界人”であり、本来ならば存在してはいけない”異物”である。
行く先々で”勇者”と名乗ってしまったが為に業を背負い、また、知らずに多くの人々に業を背負わせる事になってしまった、無知な男。
それが、ロガール国王・フシャオイ……、伏谷 葵の正体なのである。
さて、そんなフシャオイの目の前にいるのは冒頭にあった少年、佐瀬 優希だ。
フシャオイと優希が対面したのは召喚後に目覚めた時以来数ヶ月ぶりで、あの時とは別人のように彼の背筋はピンと伸び、常に瞳に浮かんでいた不安の色はすっかり消え去っていた。
「召喚したまま、今まで何もしてやれずに申し訳なかった。先日の建国祭の活躍も耳に入っている。この国を守ってくれて、ありがとう。今更ではあるが、何か生活する上で不自由な事や困った事はないか?」
「いいえ、心配ありません。皆さんにとても良くしてもらってますし、特に不自由な事も困った事もありません」
優希の返答から察するに、騎士団の人間が思うように動けないフシャオイに変わって色々と手を尽くしてくれたのだろう。
(彼らの存在に感謝してもしきれない)
そんな彼らに支えられている優希の素直で純粋な心に触れる度、フシャオイに大きな罪悪感がつき纏って来る。
彼はフシャオイの本来の目的の為に運悪く召喚されたと言うのに、建前上の”世界を救え”と言う目標へ向かって日々努力しているのだから。
……何一つ、疑う事もしないままに。
心の中に渦巻く感情を押し殺しながら、フシャオイは優希の話に耳を傾けた。
「建国祭の日から、条件はありますけど魔術も使えるようになりましたし、剣技の方も良い先生が見つかりました。毎日覚える事がたくさんあって、それから時々ヘコむ事もあって……。でも必ず誰かが励まして背中を押してくれるので、辛くはありません」
「そうか……。それは良かった」
そう話す優希から感じ取れる魔力や生命力は、努力の成果なのか元々あった素質なのか、最早歴代の勇者たちを陵駕している。
これだけの力を持ってすれば、今度こそ確実に”彼”を助ける事が出来るだろう。
しかし、それを成す為には必然的に優希を命の危険に晒す事になってしまう。
万が一失敗する可能性もある事を考慮し(するつもりもないのだが)、この残酷な事実を伝えなければと思ってはいるのだが、果たしてここからどうやって話を持って行けば良いのか頭を悩ませる。
(やはり、全てを知らせた上で優希に了承を得るべきだろう。そこまで非情にはなり切れなかった)
この会話から自然と魔王討伐の話に持って行くべきか、改まって話を切り出すべきか。
二人の間に僅かな沈黙が訪れたこの瞬間がチャンスではとフシャオイが口を開きかけた直後、
「それよりも、王様の体調はどうですか?」
「……っ……、今は安定しているようだ。この分なら、勇者としてお主を国民に紹介する日にも立ち会えそうだと……」
「そうなんですね! 良かった! この国の人達は、王様の事を尊敬していて本当に大好きだって言うのが伝わって来るので、きっと元気な姿を見たら皆さん安心しますね!」
心の底から安心したと言わんばかりの顔をして笑う優希から目を逸らし、言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。
何も疑う事無くフシャオイの告げた建前を信じて突き進むこの純粋で優しい少年に、言える訳がなかった。
自らが受けた仕打ちと同じ事を、何の罪もない少年にしようとしている現実がフシャオイの心を苛んで行く。
「王様? 気分が優れませんか?」
ふとかけられた優希の声に慌てて笑みを浮かべると、首を横に振って否定しそれらしい理由をとってつける。
「知っての通り、私もお主と同じ”異世界人”だ。久々にその世界の事を思い出してしまってのう」
自分がいた頃とは随分と様変わりしているのだろうと続ければ、優希は何かを考えた後、良ければ僕のいた世界の話をしましょうかと申し出た。
その話をさせる事で元の世界を恋しく思わせてしまうのではと訊ねたが、優希は「この世界も自分にとって現実であると受け止める為に話を聞いて欲しい」と頭を下げ、それを無下にする事も出来ないと了承すれば、彼は知っている限りの事を話してくれた。
(自分よりもずっと年下の少年に気を遣わせてしまったのが申し訳なかった)
結論から言えば、優希のいた世界はフシャオイが"伏谷 葵"として存在していた世界と寸分違わぬものだった。
(多少なりとも異世界との時間の流れが違うのか、自分がこの世界に来た時からそこまで大きく時代が変わっているようには思えなかった)
通っていたコーヒーショップや好んで読んでいた小説の出版社 (既に無くなっているところもあった)、食べ物、地名、芸能人、乗り物その他……、どれをとっても懐かしいものばかりで、思わず頬が緩む。
それと同時に、元の世界に帰る事は出来ないと改めて実感し、少しだけ寂しくなった。
魔王を倒したあの日、元の世界には帰らないと決めたのは、他でもない自分自身であるのに。
せめて、巻き込んでしまった優希にはこんな思いをさせたくないし、必ず元の世界に帰してやりたい。
しかし、優希の力なくしては魔王たる”根源”を消滅させることは不可能で、どう足掻いても彼の命を危険に晒す事は免れない。
堂々巡りする思考に終止符を打てないまま優希の話に相槌を打っていれば、控えめなノックの後、アンヘルとセシリヤが部屋に入って来る。
どうやら、面会時間は終わりのようだ。
結局、大事な話は何一つ出来ないままに。
話をしていた優希へアンヘルが面会の終わり告げると、彼はどこか話し足りない様子だったが「話を聞いて下さってありがとうございました」と丁寧にお辞儀する。
礼儀正しくお辞儀をして見せる姿に親近感を抱きながら彼の背を見送り、続いてその後ろをついて出て行こうとするセシリヤを呼び止めた。
「どうなさいましたか、王?」
体調が優れないのかと続けるセシリヤに首を振って否定すれば、彼女は不思議そうな顔をしながらもフシャオイの言葉を待ってくれる。
……フシャオイには優希だけでなく、セシリヤにも話しておかなければならない事があるのだ。
「セシリヤ……、……折り入って話したいことがある」
その言葉に一瞬時間が止まったような沈黙が流れたが、すぐに彼女は頷くと今夜寝所へ来ることを約束し退室して行った。
優希に話す事は出来なかったけれど、せめて彼女にだけは、魔王について打ち明けなければならない。
長い間、ずっとフシャオイが抱え続けて来た秘密。
先も長くない今、何も言わず墓まで持って行くのが正しいのかも知れないが、それは”彼”に対して不誠実だ。
セシリヤの出て行った扉とフシャオイを交互に見ていたアンヘルが何か言いたそうにしていたが、結局、口を開くことはなかった。
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