そう遠くない未来の話だ -Silberto-【黎明】④
「例え少年がそれを望んでいたとしても、私の一存で規律に背くことは出来ない」
「……はい、その通りです」
「セシリヤ・ウォートリー。私にそうさせようとするお前には、それ相応の覚悟があると思って良いのだろうな?」
静かに、けれど威厳を損なうことのないシルベルトの声が僅かに空気を張り詰める。
それでも、彼女の瞳には一切の迷いは見えなかった。
「はい。何なりと」
セシリヤの発した短い返答は、服従するも同然の意味だ。
浅慮であるのか、したたかであるのか。
「発言には気を付けるんだな。人間としての尊厳を踏みにじられるような事を強要されても、文句は言えないぞ」
「シルベルト団長は、そんなこと、なさいませんでしょう?」
余裕のある微笑みを浮かべてそう答えた彼女は、間違いなく後者だ。
勿論セシリヤの言う通り、シルベルトに尊厳を踏みにじるような事をする気は毛頭ない。
けれど、自分だけがリスクを負うのはどう考えても不公平だ。
それならば……。
「秘密にすると約束しても良いが……、一つだけ、お前に聞いておきたい事がある」
「……答えたくない事だったらどうなさるのですか?」
勘が良いのか、セシリヤは警戒を含ませた瞳で問う。
今からシルベルトがセシリヤに聞こうとしている事は彼女の出生の秘密に迫る事で、もしも、万が一それがどこかから漏れたとしたのなら、規律を破ったシルベルト以上に大変なことになるかも知れないからだ。
亡国ストラノの血縁などと知れたら、どんな目で見られるかは想像に難くない。
例え、ストラノ王の腹違いの弟であるテオバルドの血筋だとしても、あまり良い顔はされないだろう。
(獣人達はもしかすると、その限りではないだろうけれど)
そう考えると、彼女の反応は当然と言えるものだ。
しかし、
「答えなくても構わない。だが、その時は約束はしないものと思え」
だからと言って、シルベルトも引く気はなかった。
死を目前にしている曾祖父の願いを叶える手助けをしてやりたいと言う気持ちも少なからずある。
(唯一シルベルトを理解し騎士団に入る事を後押ししてくれたのだから、少しでもその恩を返したいのだ)
僅かな沈黙の後、小さな溜息を吐き出したのはセシリヤの方で、彼女は一度目を伏せると再びシルベルトを真っすぐ見つめ、
「では一つだけ……でしたね。どうぞ、何なりとお聞きください」
ひとつだけと念を押すように答えると、シルベルトの言葉を待った。
「……では、聞こう。セシリヤ・ウォートリー。お前の両親の名は?」
もしかしたら、その答えがテオバルドの娘に繋がるヒントになるかも知れないと期待したシルベルトだったが、セシリヤの答えは思いもよらぬものだった。
「私は実の父と母の事は何も知りません。恐らく何か理由があって、育ての親の元へ預けられたのだと思います。育ててくれた父の名はイデオン・ヴァリマー、母の名はレイヤ・ヴァリマー。どちらも私が幼い頃に……、これも推測ですが、亡くなっていると思います。ウォートリーと言う姓は、育ての親が亡くなった後、遺品の中から私宛の手紙を見つけて知りました。もしもストラノが滅びた時には、堂々とウォートリーの姓を名乗るようにと書かれていて……、抵抗はありましたが、ストラノが亡国になって以来そう名乗っています」
私が両親について知っている事はこれだけですと、それ以降口を閉じたセシリヤの目は嘘を言ってはいないようだ。
思っていたような答えとは全く異なっていたが、彼女の個人情報は、アルマンと少年のことを秘密にするには十分な対価と言えるだろう。
(あくまでもシルベルトの感覚ではあるが)
それにしても、セシリヤはシルベルトが考えていたよりも複雑な環境に置かれていたようだ。
本当の両親の顔も知らず、育ての親も幼い頃に亡くなり、その後、彼女は一体どのような幼少期を過ごしたのだろうか。
「シルベルト団長。私は同情される程、不幸せではありませんでしたよ」
考えていた事が顔に出ていたのか、不意にかけられた言葉に何と返せば良いのかわからず、ややあって口から零れたのは、溜息とも取れない短い同意だった。
そんなシルベルトに気分を害した様子もないセシリヤは、「約束、お願いしますね」と頭を下げ踵を返すと振り返る事もなくこの場から離れて行く。
その小さな背中に何か声をかけねばと手を延ばすが、適切な言葉は浮かばずに、延ばした手もただ空をかくだけだった。
……結局、セシリヤはテオバルドの娘に繋がるヒントを持ってはいなかった。
そして恐らく、これ以降、その話をシルベルトが彼女に振る事はないだろう。
(そもそも話す機会などほどんどないに等しいのだから)
曾祖父の恩返しへの道は、早々に閉ざされてしまった。
とんだ約束をしたものだと自身に呆れ、鍛錬場の二人に視線を移す。
いつの間にか彼らの間にあった不自然な距離は無くなっており、アルマンは少年に正しい剣の持ち方や振り方を教えていた。
その熱心な指導は、副団長らしい威厳を放っている。
「……珍しい事もあるものだな」
時折聞こえて来る二人のやりとりは、噛み合っていないようで噛み合っていて、やはり相性も悪くはなさそうだ。
いっその事、接近禁止命令を下したアロイスとアンヘル、そして王へ事情を話しアルマンを勇者専属の剣技指導役にしてもらうのも良いのではないだろうか。
容赦なく頭に拳骨を落とすアルマンと、それでも嬉しそうに指導を受ける少年。
彼らが奇妙な友情を育み始めるのは、そう遠くない未来の話だ。
【END】




