死は、こんなにもあっさりとやって来るものなのか -Yuki-Ⅱ【絶望】③
こうなってしまうと、優希には成す術もない。
剣も扱えず、魔術も使えず、ただ運良く誰かが助けてくれるのを待つだけだ。
だが、今は騎士達も多くの魔物に応戦するのに手一杯で、どうにかして自力でこの場を切り抜けるしかない。
そう思い直すと、優希は目の前の空を切るように術式を描いて呪文を詠唱しはじめた。
イヴォンネから教わったばかりの魔術は、基本中の基本と言わんばかりの初心者向けのものだが、万が一にでも発動してくれれば、多少の時間稼ぎにはなってくれるはずだ。(うまく行けば、騎士がこちらに気づいてくれるかも知れない)
時間にして十数秒、何とか詠唱は終わったが、案の定魔術は発動してくれない。
水の魔術はダメなのかとすぐに頭を切り替え、それならば次は火だと、先程とは異なる術式を描き呪文を詠唱するが、これも全く発動する気配がない。
だったら風は、土はどうなのか。
時折、懸命に試行錯誤して抵抗を示す優希を甚振るかのように飛んで来る炎の妨害を避けながら、覚えている限りの術式を描いて呪文を詠唱し続けるが、ものの見事に全滅だった。
……こんな時だからこそ、発動してくれないと困るのに!
苛立ちながらももう一度、水の魔術から順番にチャレンジしたが結果は変わらない。
優希の苛立ちが明確な怒りに変わり、それから絶望に変わるまで時間は掛からなかった。
幾度も発動しない術式を描いて詠唱を繰り返し、その内焦りと緊張で喉が乾いて咳込むと、その隙を狙って再び炎が降り注ぐ。
なんとか降り注ぐ炎を避けたが、一部が肩や足に当たったのか服が焼け焦げて穴が開いていた。
肌に走るピリピリとした刺激はおそらく、火傷だろう。(火傷程度で済んだのならまだマシだ)
魔物から距離を取るように、また一歩と下がった所で瓦礫に足を取られよろめいたが、背に当たった壁のお陰で転ばずに済んだ。
そして、ようやくそこで気が付いた。
じりじりと、魔物に追い詰められていた事を。
逃げ惑い抵抗する様を空から見下ろしながら遊ばれていたのだと気づいた時には、既に手遅れだった。
あと一噴きでも炎が降り注げば、避けられない。
運良く直撃を避けられたとしても、立ち上がることは不可能だろう。
一瞬、炎に包まれる自分の姿を想像して震えあがった。
もしここで自分が息絶えてしまったら、この世界はどうなってしまうのか。
また新たな勇者を召喚し、何事もなかったかのように世界は自分を忘れてしまうのだろうか。
親切にしてくれた人達の期待を裏切って、こんな所で一人寂しく死んで行くのか。
ふと、今まで親切に接してくれた人々の顔が走馬灯のように脳裏に駆け巡り、
―――実は、王も魔術は苦手だったんです。
どう言う訳か、そんな話を思い出した。
セシリヤと交わした他愛もない会話の一端。
―――信念を持ってひたすらに努力して、今の王がいるんです。
しかし、意外にも印象深かったのか、彼女の声と共に鮮明に浮かび上がって来るのだ。
並々ならぬ努力と信念で魔術を己のものとした王の話。
彼は年老いた今でも、努力し続けている。
己の信念を持って。
それなのに、自分はどうなのか。
まだこの世界に来て半年も経っていないのに、こんなところで全て諦めてしまうのか。
信念すらまだ模索し始めたばかりだと言うのに、こんなところで死んでしまって良いのか。
―――どちらも自分が裏切らない限り、裏切る事はありませんから。
これでは、裏切る以前の問題ではないか。
何も成し遂げないまま死んだ勇者など、笑い話にもならない。
歴代勇者たちの名を穢す、恥さらしになどなりたくはない。
ぐっと唇を噛んで余裕を見せる魔物を睨みつけると、再び右手で術式を描く。
描いたのは、読めなくても目を通しておけば良いと言われた、あの本に乗っていた術式のひとつだ。
呪文は文字が読めない為に何と書かれていたかはわからないけれど、無意識に右手が動いてその術式を描いていた。
今までのものとは異なり、複雑な術式だった為に隙は大きく、魔物もそこを狙って今までとは違うひと際大きな炎を生み出す準備に入ったようだ。
アレを食らえば一瞬にして消滅する自信がある。
せめて相討ちにでもなってくれればと、捨て身同然で術式を描ききった。
けれど、やはり発動しない。
もうどれでもいいからと、半分自棄になって知り得る限りの術式を描いて見たが、全て無駄だった。
やはり呪文がなければ……、いや、それ以前に、自分に何かが足りていなかったのかも知れない。
空を見上げたまま、両膝が地に着いた。
「何で……っ、何で発動してくれないんだっ……! 何も出来ない、ただの役立たずじゃないか!」
そう吐き捨て拳を握り、唇をきつく噛み締めると、薄い皮膚が傷ついたのか血の匂いが漂って来る。
最早、万事休すだ。
魔物が生み出した炎はこれでもかと言う程までに膨れ上がり、そして無情にも優希に向かって吐き出された。
……何も、成すことが出来なかった。
ただ後悔ばかりが優希の頭と胸の内を支配する。
死ぬ覚悟すら出来ていないまま、ここで果てて行くのだ。
いや、常に死ぬ覚悟をしなければ戦場に出てはならなかったのかも知れない。
炎が吐き出されて優希へ届くまで、あと僅か。
その一瞬、何かが頬に当たった感触を最後に優希の視界は白くなり、意識を失った。
死は、こんなにもあっさりとやって来るものなのか。
そう、考える暇もなく。
【END】




