そんな関係が心地良かった -Margret- 【変貌】①
容姿も生まれも、育ちも関係ない。
対等に向き合って、ただ真っすぐに自分を見てくれる、そんな彼女に惹かれていた。
本音も建前も、腹の探り合いもない、そんな関係が心地良かった。
【06】
セシリヤの瞳には、悲しみの色と絶望の色が混在していた。
彼女は、安置室で眠る騎士の姿を静かに見つめている。
その拳は固く握られ、深く食い込んだ爪が皮膚を傷つけ血を滲ませ、けれど彼女は痛みなど微塵も感じていないかのように、ただその遺体の傍らに佇んでいた。
床にできた小さな血痕に、側にいたユーリが痛々しそうに眉を顰める。
「セシリヤさん……、手当を……」
「ユーリ……、今は、そのままでいさせてあげて下さい」
セシリヤに治療を施そうとしたユーリをマルグレットは静かに制すると、席を外すように指示を出して安置室を出た。
彼女は今、命を救うことが出来なかった現実と、自分自身を責める心との狭間で戦っている。
医療団に所属している限り、幾度となく乗り越えなければならない壁の前に、セシリヤは立っているのだ。
誰が見ても、あの騎士の死は確実だった。
マルグレットでさえ延命は望めないと判断を下した彼に、セシリヤだけは最後まで諦めることなく治療を施し続けた。
けれど、結果は変わらなかった。
固く閉じられた瞼は二度と開くことなく、騎士は永い眠りについた。
誰が見ても、死は確実であると判断されていた、彼の最期。
たったそれだけの現実が、セシリヤにとっては大きな壁なのだ。
マルグレットや、他の団員にとっても悲しい現実ではある。
しかし、その現実に直面する度に心を痛め挫けていては仕事にならないことも事実だ。
<慣れ>と表現するにはあまりにも不謹慎ではあるけれど…。
医療団での任務は、今のセシリヤには重荷だったのかも知れない。
今の彼女は、以前までの彼女とは違うのだ。
*
*
*
貴族としてこの世界に生を受け、傍から見れば決して不自由な生活をしていなかったマルグレットだが、エルフであった母親を物珍しさから強引に娶った父を嫌い、また母親譲りの美しさを讃えられ人形のように扱われる事や、貴族特有の腹の探り合い、下心を持って近づいて来る者たちに疲れてしまった彼女は、その世界に見切りをつけ、初代勇者の建国したロガールへと逃げるようにやって来た。
この国ならば、身分や種族も関係なく受け入れてくれると、そう思ったからだ。
多くの種族が通うと言う騎士学院の門をくぐり、新しい世界での生活に胸を弾ませていたマルグレットだったが、現実はそう甘くはなかった。
表面上は平等に見えるものの、元々この世界に根付いていた価値観の刷り込みを完全に覆すことは難しく、マルグレットの名を聞けば、どこかよそよそしくなる者、お近づきになろうとあからさまに媚び諂う者、遠巻きにあらぬ噂を流す者など、嫌悪していた貴族の世界とたいして変わらない事に落胆した。
しかし、ここであの貴族の世界へ戻ると言う選択肢の無かったマルグレットは、日々疲弊して行く心を抱えながらも懸命に学び、卒業を待った。
皮肉にも貴族の社会で培った微笑みを張り付けて。
念願の卒業後、実力を認められ医療団への入団が決まったマルグレットであったが、そこでもまた容姿や身分による弊害が彼女を待っていた。
美しい容姿への嫉妬や好奇の目に晒され、実力は権力と金の力で買ったと揶揄されることもあった。
<大切に育てられた人形のように美しい貴族のお姫様>
これが、マルグレットに貼られたレッテルだった。
悔しさに眠れない夜を過ごした事もあったが、何事もなかったかのようにふるまう事は彼女にとっては簡単で、そうしてやり過ごして行く内に、心を護るために張り付けていた微笑みは、とうとう外れなくなってしまった。
そんなある日、マルグレットの元へ剣の稽古中に負傷したと言う一人の騎士が運ばれて来た。
名前は、セシリヤ・ウォートリー。
当時の騎士団に女性の騎士は珍しく、中でもセシリヤは好戦的な騎士が多くいると言う第七騎士団に所属し、ただそこにいるだけでも目立つ存在で、何かと好奇の眼に晒されることも多かったためか、自ずとその名を耳にする機会があった。
実際、こうして会うのはこれが初めてだったのだが、セシリヤの怪我を確認したマルグレットは、その様に絶句してしまった。
通常、稽古で使う剣は木で作られたものか刃をつぶしたものを用いるのだが、どう見ても彼女の傷はそれらを使ったとは思えないものばかりだ。
更に身体ばかりか顔にまで容赦なく傷がついているのだから、思わず目を覆ってしまう。
「騎士とは言え、女性の顔にまで傷をつけるなんて……、第七騎士団の団長様は、部下にどう言う教育をされているのですか?」
率先して顔の傷に治療の魔術を施し綺麗に消すと、きょとんとしたセシリヤと視線が合い、どこか痛い所でもあったのだろうかと訊ねると、
「だって、魔物は相手が女だからってわざわざ気を使って顔に傷つけないように攻撃して来るなんてあり得ないでしょう?」
「それは……、そうだけど……!」
「魔物に襲われた時、複数と対峙した時……、色々な状況を想定した上での訓練だし、怪我をしたのは私の実力不足だから」
思ってもみない答えに、マルグレットは口籠ってしまった。
確かに訓練と言われればそれまでなのだが……、それにしても……。
どうにも納得が行かないまま、止まっていた治療を再開する。
彼女の様子を見る限り、騎士団の待遇に特に悩んでいる様子もなければ嫌がっているような様子もなく、むしろ、これが普通だと言わんばかりで、今はマルグレットの治療する様を興味深そうに眺めていた。
何がそんなに面白いのだろうかとセシリヤの視線を極力無視しながら治療を続け、最後の傷口が塞がった事を確認すると、どこか他に異常を感じる箇所はないか、気分が悪くないかを訊ねて見る。
マルグレットの問いかけに、セシリヤは治療で傷の消えた場所をまじまじと観察し、
「うん、異常なんて全然ないし、気分も最高。あなた、本当に治療が上手なのね!」
雑な人に当たると悲惨なのよ、とこっそり耳打ちするセシリヤの言葉に、マルグレットの胸がひどく騒めいた。
けれど、それは決して不快な騒めきではなく、気恥ずかしさに似た騒めきで、
「ありがとう! あなたに治療してもらえて良かった! また、よろしくね」
いつの間にか着衣を整えていたセシリヤが去り際に残して行った言葉に、初めて褒められ感謝された事に気が付いたマルグレットは、紅潮する頬を抑えることが出来なかった。
この偶然の出会いから始まり、セシリヤが怪我をすれば必ずマルグレットが治療を担当し、他愛もない会話をしたり、時には叱責したり、自然とお互いを友人と呼べる関係になるまでに時間は掛からなかった。




