それは静かに、日常へ迫っていた。-Yvonne-Ⅱ【不安】①
セシリヤに呼び止められたイヴォンネの目の前には、怯えた小動物のような少年が立っている。
この少年こそ、王に召喚された勇者だ。
彼の隣にはセシリヤが立っており、彼女の話を聞けば、どうやら勇者の魔術の適性を見てもらう為に魔術塔へ向かう途中だったらしく、すれ違いにならなくて良かったと胸をなでおろしていた。
どの適正を見れば良いのかと訊ねると、今勉強中の治療魔術の適性についてが特に気になっているそうで、練習を続けても一切発動する気配がない事に不安を抱いているようだった。
ついでだからここで全適正を見ても構わないと答えて (適正を見るだけなら数分で終わる)勇者に視線を寄越せば、彼は緊張した面持ちでよろしくお願いしますと頭を下げる。
怯え具合が気になるが、それなりに礼儀は正しいようだと心の中で"礼儀"の欄にマルをつけると、彼の頭のあたりに手を翳した。
まずは魔力と言うものが備わっているかどうかを確認しなければならない。
初級の治療魔術が発動しないと言うのであれば、彼には適正どころか魔力が備わっていない可能性もある。
この世界には魔力の強さの差はあれど備わっていない人間はおらず、もしかすると、勇者が生まれ育って来た世界の違いも原因の一つではないかと考えた。(勿論、例外もあるが)
もしも魔力が備わっていなければ、どんなに努力をしても魔術は一切使えない。
一瞬、勇者の酷く落胆した顔を思い浮かべてしまい、慌ててそれを振り払うと、全身を巡っている魔力を吸い出すイメージで、勇者の頭に翳した手に自らの魔力を集中させた。
魔力があれば、イヴォンネの魔力に何らかの反応を示してくれるはずだ。
僅かに、緊張が走る。
暫く手を翳した後、不安げな勇者の瞳を見たイヴォンネは溜息を吐き出し、
「魔力は備わっていない訳じゃないみたいね。適正も特にこれと言って相性の悪いものは無し。一応、一通り扱えるようだけど、逆に言えば特別抜きん出ているものも無いわ」
そう告げてもう一度、勇者のつま先から頭までじっくりと眺めた。
思いの外大きな反応に驚いてしまったが、勇者の魔力はイヴォンネが思っている以上に備わっているようだ。
初級魔術くらいなら、初日で簡単にクリアできてもおかしくはない程に。
「ただ……、"何か"があなたの魔力の流れを阻害しているような印象があるのよね」
「"何か"が……、ですか?」
首を傾げる勇者に代わってセシリヤがそう問いかけて来たが、イヴォンネは具体的には答えられないと首を横に振り、勇者に向き直る。
「それがあなた自身の問題であるのか、外部の問題であるのかはわからないけれど、初級の治療魔術が発動しないのは多分、その"何か"のせいじゃないかしら」
原因を見つけて取り除かないと魔術は使えないままよ、と翳した手を降ろして再びセシリヤを見れば、彼女は誰かに会釈してから視線を勇者へ戻し、良かったですねと声をかけた。(恐らく背後に野次馬でもいるのだろう)
セシリヤに声をかけられて我に返った勇者は、頭を下げて何度もお礼を言うと「頑張ります!」と決意表明して見せ、イヴォンネの中で"怯えた小動物"から"小動物"へと印象が変化する。
それと同時に、彼の身体に流れる魔力がほんの僅かではあるが強まったような気がして、なんとなく、彼を阻害している原因に気が付いた。
彼に足りないものは、"自信"なのかも知れない。
どんな人生を歩んで来たかは知らないが、彼を見る限り、あまり胸を張って堂々とは生きて来なかったのだろう。
その自信のなさが、彼の魔力の流れを阻害している可能性として十分にあった。
加えて現在治療魔術に躓いていると言うのだから、余計に自信が持てなくなっている状態だ。
思い切って治療魔術の練習を中断し、気分転換に他の魔術を学び自信をつけるのもひとつの手ではないだろうか。
そう思い至って、
「今度、魔術塔に来ると良いわ。治療魔術以外にも魔術はあるんだし、気分転換にそっちをやってみたら? 意外と合ってるかも知れないわよ」
「……い、良いんですか?」
「毎日って言う訳にはいかないけれど……、まあ、空いた時間になら協力してあげる」
「あ……、ありがとうございます……っ! ありがとうございますっ!」
目を輝かせ、また何度も頭を下げてお礼を言う随分腰の低い勇者の姿に苦笑しながらセシリヤに視線を移すと、彼女も同じように苦笑していた。
「セシリヤ……、そんなに心配しないで大丈夫よ。この素直さがあれば、意外とすんなり魔術も使えるようになるかも知れないわ」
「イヴォンネ団長がそう言うのなら、心配はいらないですね」
そう答えつつも、どこか不安そうな顔を隠し切れないセシリヤを安心させようと彼女の肩に触れると、その瞬間、肩に触れた手にゾワゾワと何かが這いまわるような感覚が襲って来て思わず手を離してしまった。
この感覚は一体何だろうかと自分の手を見つめていれば、セシリヤが不思議そうに顔を覗き込んでいる事に気が付き、肩に埃がついていたと言うお粗末な台詞でその場を凌いで医療棟に戻ると言う二人を見送った。(幸いにしてセシリヤに気づかれてはいないようだ)
途中、セシリヤが後ろを振り返って何かを目で追っていたような気がしたが、そんな事よりも、彼女に纏わりつくような不穏な気配が気になって仕方なかった。
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