誰かを失望させてしまわないだろうか -Yuki-【当惑】④
「……逃げても良いんですよ? 王なら、きっとユウキ様の気持ちを汲んで元の世界に帰してくれるでしょう」
そう告げられた優希は、元の世界へ帰りたいのかどうかを改めて考える。
確かに、帰りたくないと言えば嘘になる。
けれど、帰った所でいつもと変わらない日常が待っているだけだ。
虐げられ、我慢しながら日々が過ぎることを待つしか出来ないあの日常に……。
そう考えると、手探りにはなるだろうがこちらの世界で少しでも剣を扱えるようになって魔術を習得し、勇者として誰かの役に立ちながら生きて行く方が良いのではないだろうか。
ふと顔を上げれば、セシリヤの瞳が優希を真っすぐに捕らえ、
「少し、意地悪になってしまいますが……、今から私が話す事は、ユウキ様には知っておいて欲しい事なので正直に言いますね」
きっと他の誰も教えてはくれない事ですと前置きするセシリヤに、優希は首を傾げた。
「ユウキ様はこれから、否が応でも剣を習う事になるでしょう。でも、剣を持って戦うと言う事は魔物だけではなく、時には人を斬る……、つまり、殺さなければならないと言う事です。そう言う世界でやって行ける覚悟と自信はありますか?」
「人を……、殺す?」
セシリヤの言葉を反復すると彼女は頷き、壁に飾ってある剣を取ると優希に差し出した。
本物の剣を間近で見るのは初めての優希がおずおずと両手で受け取ると、見た目よりも冷たく、ずっしりとした重さが腕にのしかかって来る。
「例えば、魔王を倒しに行く道中に襲って来る賊や、立ち寄った村や町を襲う賊。彼らを手にかけなければならない場面に遭遇するかも知れません。もしかすると、賊である彼らにも愛する家族がいるかも知れない。家族を養うために、仕方なく賊に身を落とした人が中にはいるかも知れない。斬ったことでその家族が悲しむかも知れない、恨まれるかも知れない……。でも、もしそこで躊躇すれば、ユウキ様が斬られてしまいます」
この世界で情けをかけること、躊躇すると言うことは死に直結するのだと暗に言っていることくらい優希にも理解できた。
しかし、それに対する答えを優希は持っていない。
元の世界の"どんな理由があっても人を殺す事はいけないことだ"と言う倫理感を持っている優希には、答えられるはずもなかった。
「あの……、説得するとかは……、出来ないんですか?」
「説得に応じるのなら、最初から賊などにはなりません。彼らも命懸けです。例え説得に応じたとしても、改心したと見せかけて、後日命を狙いに来る可能性もあります」
隙を見せれば一瞬で首が飛ぶと続けるセシリヤの言葉には妙な説得力があり、ただその言葉に耳を傾ける事しか出来ずにいれば、今度はもっと意地悪な質問をしますねと、彼女は目を閉じて一呼吸置き、
「もし、私が何らかの理由であなたの前に敵として立ち塞がった時、あなたは私をこの剣で斬る事が出来ますか?」
「そんなこと……っ、出来る訳、ないじゃないですか……!」
思いもよらない質問に思わず椅子から立ち上がって否定した優希だったが、セシリヤは真っ直ぐに優希を見つめたまま微動だにせず、
「そんな事もあり得る世界です。人を殺す覚悟、殺される覚悟がなければ、安易に剣を持ってはいけません。魔術も同じです。逃げるのなら、あなたの手が汚れていない今の内です」
覚悟が出来ないのなら元の世界へ帰って今まで通りに生活をするべきだと続けたセシリヤに、返す言葉が見つからない。
膝の力が抜けたように椅子へ座ると、セシリヤは意地悪が過ぎましたねと謝罪した。
「ただ、知っておいてほしかったんです。この世界の現実を……。ユウキ様のいた世界とは違うと言う事を」
それでもこの世界を救おうと思えますかと問うセシリヤは、とても悲しそうに笑い、何故そんな顔をするのだろうかと思った優希だったが、上手く言葉に出来ないまま俯いてしまった。
「剣は、振るう度に重くなります。命の重さです。……それを、背負う覚悟はありますか?」
「僕は……、」
手渡された剣の重みに軽々しく答えるべきではないと口を噤んだ優希は、セシリヤからそっと視線を逸らす事しか出来なかった。
【END】




