誰かを失望させてしまわないだろうか -Yuki-【当惑】③
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魔術の練習を終えて自室 (と言う名の客室)に戻ると、優希は早速部屋の隅に置いてあった鞄を漁り始めた。
いくつかの教科書が入っていたが、言葉の読み書きに使うと言うのなら国語の教科書が無難だろうと選んで取り出し、何気なくパラパラと捲って見る。
所々に中傷するいたずら書きがあり、これを書いただろう人物達の顔を思い浮かべてしまった優希は、すぐに教科書を閉じた。
元いた世界では、日陰に好んで生きていた。
時折こうして虐げられる事はあったけれど、彼らの言うことさえ聞いていれば、何でもなかった。
慣れてしまったと言った方が正しい。
戦う勇気もなく、永遠ではないとは言えただ彼らに搾取されるだけの人生だ。
だから、一生自分には"勇者"になるだなんて、縁がない事だと思っていた。
流行りの小説や漫画の中だけの話だと、思っていた。
突然この世界に呼ばれ、"勇者"だと言われても、"力を貸して欲しい"と言われても、戸惑う事しか出来なかったのは、何の力もない自分に一体何が出来るのか、わからなかったからだ。
治療魔術の存在を知り、これならば役に立てるかもしれないと練習を始めて見たが、それも思うように結果が出せないままでいる。
これから恐らく、護身の為に剣の稽古も始まるだろう。
しかし、一度も握った事のない剣など、果たして扱えるのだろうか。
剣を上手に扱えず、また誰かを失望させてしまわないだろうか。
優希の心に不安が過ったと同時にドアがノックされ、思考を中断して返事をすれば、
「ユウキ様、今日の治療魔術の練習はどうでしたか?」
「セシリヤさん……」
セシリヤがいつも通りに進捗を聞きにやって来たようだった。
優希がこの世界に来てから、彼女は何かと気にかけてくれている。
正確に言えば、そう言う役目を言い渡されたと言った方が正しいのかも知れないのだが、毎日マメに進捗を訊ねて来ては相談に乗ってくれる姿勢は、ただ言い渡された役目だからと言う訳ではなく、彼女の本心からだと言うのが窺えた。
故に、セシリヤになら本当の事を言っても失望はされないような気がして、優希は胸の内を話して見ようと決意し、出しっぱなしの教科書を手に取り何気なく捲って眺めている彼女に声をかける。
「あの……、術式は完璧に描けているし、呪文だって一字一句間違っては無いんですけど、上手く発動してくれないんです。もしかしたら、魔術を扱う事ができないんじゃないかって……、そう思ってしまって……」
一生懸命教えてくれているユーリには言い出せなくてと続けると、セシリヤは少し困ったような顔をして眺めていた教科書を置くと、
「確かに、適正の有無はあるかも知れません。治療魔術が向いていないだけで、他の魔術が使える場合もあります。残念ながら私には適正の有無を判断することは出来ないので、なんとも言えないのですが……。一度、イヴォンネ団長に相談して見ましょうか」
彼女ならば何かわかるかも知れないと続けたセシリヤは、いつの間にか膝の上で握り締めていた優希の手を取ると安心させるように微笑んだ。
「……どうして、僕が"勇者"なんですか? 初歩的な治療魔術も扱えなくて、剣も扱えないのに……。どうしてこんな僕が勇者なんだろう……? これなら、アルマンさんに認めてもらえないのも当たり前ですよね……」
いっその事役立たずと罵られた方が楽な気がして、半ば自棄になってそう吐き出せば、セシリヤはそれは違うと首を横に振った。
「勇者である事に、理由は必要ありません。魔術が使えるから、剣技が秀でているから……、それらは後からついて来るものです。あなただから選ばれた。それではいけませんか?」
……どうしてこの世界の人は、否定しないんだろう。
アルマンにはハッキリと否定されてしまったが、ユーリやセシリヤ、それからシルヴィオは少なくとも自分を否定しなかった。
何の力も持たないのに、ただ"勇者"であると言うだけで快く協力を申し出て、相談にも乗ってくれる。
元の世界ではあり得ないことだった。
失敗しようものなら、立ち直れないくらいまで否定され続け、それが周りにも伝染して行く。
例え"勇者"であっても、元の世界では何も出来なければ認められないのだ。
それなのに……。
「この先、本当に僕が役に立てるかもわからないのに……、どうして……」
「ユウキ様は優しいんですね。この世界の為に役に立とうと考えて悩んでいるんですから」
セシリヤの口から出た言葉に顔を上げると、彼女は握っていた手をそっと離した。




