何も望めない日々から逃げ出したかった -Aloys-【理解】④
第六騎士団の執務室へ戻るとちょうどシャノンが書類の整理を終えた所で、先程あった事の顛末を話し終えると、彼はすぐに勇者への協力者を募る書類の作成をし始めた。
シャノンの仕事の速さに関心しながら、アロイスも自分の机に積まれた書類の山に渋々手を付ける。
大半はシャノンが既に目を通してあるのか、後は可否を決めるだけの状態になっていた。
「そう言えばさぁ、セシリヤちゃんって覚えてる?」
書類に目を通したままシャノンに話しかけると、肯定の返事が聞こえて来る。
以前、知り合いの伝手で預かった子供が兵舎で迷子になり彼女に保護されていた事を覚えていたようで、続けてそれがどうしたのかと問う声が返って来た。
「……彼女の事、怒らせちゃったかも~」
「良い年をした男が何をやってるんですか? シルヴィオ団長じゃあるまいし、むやみに女性に手を出すのはどうかと思いますよ」
「え、誤解誤解! それに、僕は流石にあそこまで盛んじゃないからねぇ……って、そうじゃなくて! 若い時はさぁ、もうちょっとこう、上手くやってたと思うんだけどな~」
「一体、何の話をしてるんですか? 要点をまとめてからどうぞ」
ぴしゃりと放たれたシャノンの言葉に肩を竦めると、アロイスは溜息を一つ吐いて椅子の背もたれに寄りかかる。
脳裏を過るのは、昔、あの噴水のある広場で見かけた彼女の顔と、今の彼女の顔だった。
前者は眩しい程に明るく、そして幸福に満ちた笑顔を浮かべていたのに対し、後者はまるで別人のように空虚な瞳をし、張り付けたような笑顔が痛々しかった。
あの時一緒にいた小さな子供は彼女自身の子供ではなく、引き取った孤児だと言うことも数年前に知った。
(彼女が騎士団に所属していたと知った時は更に驚いた)
そして、その子供が騎士学院での演習で亡くなってしまったことも。
それを切っ掛けに、(恐らく)心の支えを失くした彼女の鳥籠での生活が始まったのだ。
悲しみに暮れるセシリヤを必死に説得するマルグレットに、彼女を自由にしてあげるようにやんわりと伝えたつもりだったが、結局意図は伝わらず、セシリヤもそれに甘んじてしまった。
どうして騎士団を辞めて自由になると言う選択肢があったにもかかわらず彼女がそれを選んだのか、理由は未だにわからない。
あの鳥籠から空を見上げている彼女の姿は、とても悲し気だった。
ふと、すれ違いざまに見せた彼女の悲し気な笑顔に抱いた違和感を思い出して、シャノンに問いかける。
「ねえ、シャノン……。彼女、いくつだと思う?」
「見る限り、二十代くらいだとは思いますけど……って、団長! 女性の年齢を推測するなんて、紳士のする事じゃありませんよ」
そりゃあ怒られるのも当然だと呆れた溜息を吐いたシャノンに、女性の扱いは繊細だってもっぱらの評判だよと呟けば、間髪入れずに繊細と言う言葉の意味を調べた方が良いと言われてしまい項垂れた。
彼女に再会した時に感じた違和感。
それは、一番最初の邂逅から実に二十年近くの年月が経過しているのに、彼女からは一切の衰えなど感じられない事だ。
自分はそれ相応に年を取っているのに、何故か彼女は何一つとして変わってはいなかったのだ。
長寿種族でもない、混血でもない、ただの人間であるはずの彼女がだ。
今にして思えば、騎士団に所属する一部の者たちが彼女を気味悪がって避けているようだった。
絶えない噂や陰口は日に日に彼女の精神を削り、そしてとうとうあの日の面影を、輝きを失わせてしまったのだ。
ご丁寧にも、彼女が大切にしていた"子供の死"を添えて。
「鳥籠の鳥ってさぁ……、飼い殺しになるのを知らずにそこに居るんだよね~。逃げ出そうと思えばチャンスはいくらでもあるのにね」
「野生の鳥でもない限り、自由に空を飛べる事を知らないんですから、飼い殺しになるなんてわかるはずもないでしょう」
脈絡のない話で作業の邪魔をしないで下さいと息巻くシャノンに苦笑すると、アロイスは理解を示すように同意する。
「そっかぁ……、初めから鳥籠の中にいる鳥は、自由に飛べる空を知らないもんねぇ」
もしかするとセシリヤは、自分が思っている以上のもっと大きな見えない鳥籠の中に囚われているのかも知れない。
それこそ、ずっと昔から。
勿論、それをアロイスが知る術もないのだけれど。
「それでも、彼女にまた笑った顏を見せて欲しいだなんて、僕も随分烏滸がましいこと考えたもんだな~」
独り言ちて視線を寄越せば、執務室の隅に置いてあるカンバスに描かれた顔のない女神が、寂し気にその存在を主張していた。
―――とても素敵な絵です。
例えセシリヤが何者であろうとも、彼女の言葉に少なからずとも救われた事は、アロイスだけが知っている。
【END】




