何も望めない日々から逃げ出したかった -Aloys-【理解】②
屋敷の使用人も変わり、誰もがアロイスをいないものとして扱い始めてから数年、アロイスは二十五歳になっていた。
年齢的にどこかの令嬢との結婚話が持ち上がってもおかしくなかったが、既にいないものとして扱われていた為に悩む必要もなく、毎日暇を持て余し街をうろつく日々だ。
時折気が向いた時には絵を描き、路上に置いて物好きな貴族と思しき人物に売り、欲しくもない小銭を稼いでは酒と女に散財し、空虚な心を満たそうと足掻いていた。
そんなある日、いつもは近くの街へ行くアロイスだったが、その日に限っては遠くの街へ足を延ばして見たくなり、自らの気まぐれさに苦笑しながらも、安い乗合馬車に乗ってロガールへ向かった。
噂には聞いていたが、ロガールの城下は随分と賑やかに発展していて、何より驚いたのは異種族が普通に混在し生活している事だった。
ロガールの王は異種族関係なく受け入れていると言う噂は本当だったのかと、感心しながら噴水のある大広場まで歩き、広場の端へ椅子とカンバスを置いていつものように腰を下ろす。
ロガール城とこの異種族の混在する街の風景を描き残したいと筆をとり、時間を忘れて作業に没頭した。
筆を動かし始めてどれくらい時間が経ったのか、気づけば陽も傾き、アロイスは同じ姿勢で固まった身体を伸ばして深く溜息を吐く。
こんなに没頭して絵を描いたのは久しぶりだった。
この国には、自分を惹きつける何かがあるのかも知れないと、僅かな期待に胸を躍らせながら持っていたパレットと筆を片付けようと視線を下に落とした時だ。
いつの間にそこにいたのか、見知らぬ子供がじっとアロイスの顔を見上げている事に気が付いた。(見た所、まだ三~四歳くらいだろうか?)
どうしたのかとアロイスが訊ねる前に、膝によじ登ってちょこんと座った子供はカンバスに描かれた絵を眺めて手を叩き、喜んでいるようだった。
実際、この子供が絵を見て喜んでいるのかどうかはわからなかったが、何となくその行動が愛らしくて思わず頭を撫でると、子供はアロイスの顔を見上げてニコリと微笑んで見せる。
「キミ、お母さんは一緒じゃないの?」
アロイスの言葉を理解しているのかいないのか、無言のまま短い腕を伸ばして子供が指差す方向へ視線を寄越せば、美しい髪をなびかせながらこちらへ向かって駆けて来る女性の姿が見えた。
「アレス、勝手に一人で外へ出ちゃダメって言ったでしょう?」
随分と走っていたのか息を切らしながら子供に駆け寄り、「ご迷惑おかけしました」と頭を下げる彼女に首を振って大丈夫だと答える。
「今日初めてここに来て、少々心細かったので彼が来てくれて助かりました」
「本当に申し訳ありません」
「お子さんも人見知りしないでくれたので、何も迷惑なんかじゃありませんでしたよ」
そう言うと、膝の上から降りた子供は抱っこを強請るように彼女に両手を伸ばし、彼女もそれに応えるように抱き上げる。
「帰ろう、アレス。明日はお休みだから、一日一緒に時間を過ごせるわ。あなたのお気に入りの本も沢山読んであげる」
彼女の口ぶりから推察すると、恐らく、片親なのだろう。
若いのに随分と苦労をしているのだなと、ぼんやりその横顔を眺め、けれど、不思議と彼女からは苦労していると言う悲愴感は感じられず、むしろこの状況であっても幸せだと言わんばかりの笑みがこぼれていた。
自分の両親とは違って、純粋に子を愛しているのだろう。
ふと、彼女の視線が何かにとらわれている事に気が付き、同じようにそれを辿って見る。
その先にあったのは、アロイスの描きかけの絵だった。
「まだ描きかけでお恥ずかしい。趣味なもので……」
「お上手ですね。街並みも生き生きとしていて、ロガール城の存在感もあって。詳しいことはわかりませんが、とても素敵な絵です」
そこまで話すと、彼女の腕に抱かれた子供が急にぐずり出してしまい、そのまま彼女は一礼し来た道を戻って行ってしまった。
彼女たちの姿が見えなくなるまで見送ると、止まっていた後片付けを再開する。
―――とても素敵な絵です。
お世辞だろうが、その言葉がいつまでもアロイスの耳から離れる事はなかった。
半年後、義兄の結婚が決まった事を知ったアロイスはその日を境にレミーエ家を出た。
二度とここには戻らないと、誰にも読まれはしないだろう手紙を一枚置いて。
描きかけのカンバス一枚を抱えたアロイスが目指した先は、あのロガールだった。
【33】




