周囲から向けられる好奇の視線が、ひどく不快だ -Arman-Ⅳ【落胆】③
小さく舌打ちし、廊下の角を曲がった所で何やら床に這って作業をしているらしい人影を見つけたアルマンは、思わず足を止めて首を傾げてしまう。
こんな所で一体何をしているのかとよくよく見れば、這っている人物のすぐ傍には描きかけのカンバスが置いてあり、床には細かな画材道具が散らばっている。
そう言えば、王室お抱えの画家が時折城内のあちらこちらで絵を描いている事を思い出し、何かの拍子に画材道具を落としてしまい拾い集めているのだろうと言う答えに行き着くと、興味を失ったアルマンの止まっていた足が再び前へ踏み出した。
落とした道具を拾うそのすぐ横を素通りし、けれど、ふと見慣れた制服を着た人物が画家と一緒になって画材道具を拾っている事に気がつくと、自然と視線がそれへ惹きつけられる。
見れば医療団の制服で、しかしどこか違和感のあるその姿に疑問を抱いたアルマンは、再度足を止めると対象の人物を観察し始めた。
どうやら丈も通常より長く、袖から辛うじて指先が見えている所を見ると、制服と身体のサイズが合っていないのだろう。
この中途半端な時期に新人が入った訳でもあるまいし、仮に新人が入っていたとしても、優秀な仕立て屋が常に様々なサイズの制服を用意してくれている為、合わないと言うことは余程特殊な体形でもない限りあり得ない。
だとすれば、何か理由があって他人に借りていると考えるのが妥当だろう。
例えば、
……例えば……、その制服の下に着ている服を隠す為……?
理由を考えていると、不意にサイズの合わない医療団の制服を着ていた人物が顔を上げ、それからアルマンの方へ視線を寄越すと同時に目が合ってしまった。
年齢はアルマンよりも下なのか、まだ僅かに幼さが残る顔立ちをした少年だ。
アルマンの姿を目にしても、驚くでも恐怖するわけでもなく、不思議そうな顔をして見つめて来るその少年の瞳に一瞬怯んだが、すぐに持ち直すとアルマンは少年へ声をかける。
「お前、医療団の人間か?」
「え、あっ……、その、はい……。今は、一時的に医療団へ籍を置かせてもらっています」
少年は拾い集めた画材道具を画家へ手渡しながら答え、真っ直ぐに立ってアルマンに小さくお辞儀して見せた。
案の定、制服の下から覗き見えた服はこの世界では見たことの無いもので、恐らく、この少年が今回召喚された勇者で間違いないだろう。
そう確信したアルマンは、
「少し、付き合え」
「え?」
有無を言わさず少年の腕を掴むと、当初の目的地である鍛錬場へと容赦なく引き摺って行く。
歩いている最中、特に抵抗する事もなく、少年はただただ困惑しているだけだった。
話には聞いていたが、随分と平和ボケをした軟弱そうな男だと、心の底から湧き上がって来る感情に奥歯を噛み締めた。
きっとこの少年は、異界で苦労の苦の字も知らず、恵まれた生活を送っていたのだろう。
手を見れば、傷も剣ダコもなく随分と綺麗なものだった。
争いごとも無く、魔物もおらず、自分の身を護る為に、国の人々を護る為に日夜鍛錬に励むことも無く、ただそこにいて守られるだけの存在だったに違いない。
与えられるものに何一つ疑問を抱かず、けれど、この境遇を受け入れられないと拒絶の意思表示だけは一丁前にぬかすのだから。
時には貧しさに泥水を啜るような生活もこの世界では日常茶飯事だが(昔に比べれば随分減ったと思うが)、この少年の世界ではそんな事もなく、のうのうと生きて来たのだろう。
生きて来た世界が異なるのだから仕方がないと思う反面、どうしようもない怒りが湧いて来る。
こんな軟弱で頼りない少年が勇者であると言う事実が、勇敢な勇者を望んでいたアルマンにはどうしても受け入れられないのだ。
人もまばらな鍛錬場に到着すると乱暴に掴んでいた腕を離し、勢いで転んだ少年を気にする事もないまま、壁にかけられていた練習用の木の剣を手に取り放り投げた。
カランと乾いた音が響き、少年の目の前に落ちた剣を早く拾えと顎で指示を出すが、少年は練習用の剣とアルマンを見比べるばかりで一向に握ろうともしない。
「お前が勇者なんだろ?」
「……は、はい……、そう、らしいです」
どこか他人事のようにも聞こえるその返事すらも腹立たしく、アルマンは持っていた剣を一振りして少年を挑発するような目で睨みつけた。
「それを持ってどこからでも良いからかかってこいよ、勇者様。魔王と戦うためには、剣の稽古だって必要だろ」
「あの……、僕、こう言うのは一度もやったことがなくて……、どうしたらいいのか、わからなくて……」
それでも尚、地面に落ちたままの剣を困惑しながら見つめているその姿に、最早アルマンは落胆を隠せずに深い溜息を吐き出すことしか出来ない。
目の前にいる少年は、命をかけて魔王と戦う意志など微塵もない、腰抜けの勇者だ。
一体、どうしてこんな奴が勇者として召喚されたのか。
「……ふざけんなよ」
「え……?」
アルマンの呟きに少年が聞き返して来るが、それに答えることすら鬱陶しい。
機嫌を損ねたことに気が付いたらしい少年からすみませんと言う謝罪はあれど、剣を取ろうともしないその姿勢が更にアルマンの怒りを煽った。
「俺は認めねぇ……! 剣のひとつも振れない、握れない腰抜けのお前が次の勇者だなんて、俺は絶対に認めねぇからな!」
唖然とする勇者を見下ろしそう吐き捨てると、持っていた木製の剣に怒りをぶつけるように地面に叩きつける。
気が付けば、まばらだった人影も騒ぎを聞きつけ集まった野次馬が増え、垣根を作る程になっていた。
周囲から向けられる好奇の視線が、ひどく不快だ。
「あっちゃ~……。アルマンくん、早速、何してくれちゃったの……」
ふと気の抜けた声が響き、視線を寄越せば第六騎士団長であるアロイスが人垣を掻き分けながらこちらに向かっていて、その後ろからセシリヤが焦った様子で駆けつけて来る。
恐らく、あの画家が尋常ではない事態を察して助けを求めに行ったのだろう。
(その人選は意外だったが)
「ほらほら、みんな散って散って~。あっ、ここで見聞きしたことは内緒だからねぇ」
アロイスが軽く手の平で追い払うようにして声をかければ、あっと言う間に人垣は消えて鍛錬場は元の静けさを取り戻した。
「……で、一体何があったの?」
アロイスの声音は決してアルマンを責めるようなものではなかったが、どうにも居心地が悪い。
今のこの状況は、どこをどう見ても王の意向に背く行為であることは明白で、アルマン自身もそれをよく理解しているからだ。
状況を把握しようとするアロイスから視線を逸らせば、セシリヤが少年を助け起こしている姿が目に入る。
ただそれだけの光景なのに、今のアルマンにはそんな何気ない事すらも許せなかった。
何故、勇者と言うだけでそんなにも彼を気遣うのか。
何故、そんな臆病者の肩を持つのか。
……これは最早、嫉妬だ。
幼い頃も今も、自分が欲しくても手に入れられなかったものを全て与えられている少年への、嫉妬。
それを理解しているからこそ、許せないのだ。
勇者に対する複雑な感情と嫉妬心、そしてそれらを抱く自分自身に、心底吐き気がした。
【END】




