決して臆病と評して良い人物ではない -Yuri-Ⅳ【確信】②
「……術式を描いたら、それに応じた呪文が必要です。……えーと……、慣れたら詠唱しなくても発動するんですけど……、それはごく一部の先輩や団長レベルにならないと中々難しいので……。ま、まずは、発動させることを目標にしましょう……!」
騎士学院を卒業して医療団に配属されてからと言うもの、先輩の指示や治療を見て学ぶ機会が多く、これまで様々な場面に立ち会って来たユーリだったが、他人に教えると言う行為は生まれて初めてではなかろうか。
一介の新人が何故、と言う疑問が浮かぶが、これは間違いなく現実であるのだ。
今、目の前に座っている少年は先日召喚されたと言う勇者であり、その彼の目の前で講義を行っているのは、一介の新人医療団員ユーリ・クロスリーである。
何故こんなことになっているのかと言えば、今朝方へ時間を遡る。
不慮の事故でユーリが昏倒させてしまった勇者を一時的に自らの部屋で保護する事となり、アンヘルからセシリヤとマルグレットを呼ぶように促され、急いで彼女たちを連れて戻って来た所で何故か王までもが部屋におり、状況が飲み込めずに困惑するユーリを他所にとんとん拍子で話が進んで行く。
中々重要な話をしていることは解っていたが、なんせあの王が兵舎内の狭いユーリの部屋にいること自体あり得なさ過ぎて、話が頭の中に入って行かないのだ。
結局、最後まで話について行けなかったユーリの為に、セシリヤが後から説明をしてくれたの内容は次の通りだった。
勇者には少々臆病な所もあって未だに現実を受け入れられず、そんな状態で人目に晒せば更に混乱を招くだろうと言う配慮で、お披露目は当分先にしたこと。
軟禁状態の生活だと、いつまでもこの世界には慣れずにまた脱走してしまう可能性が出て来る為、しばらく医療団に籍を置き、治療魔術を教えるついでに少しずつこの世界について理解させること。
他団の団長・副団長には後程説明をするが、他には何が何でも秘密にすること。
至ってシンプルであるが、よもやその治療魔術をユーリが教える事になろうとは、この時は思っていなかったのである。
そして現在。
「あの……、ええと……、ここまでで、わからない事はありましたか?」
ユーリの問いかけにフルフルと首を横に振った勇者は、同じような動作で術式を描き、慣れない呪文をややつっかえながら唱えて見せ、結果、ほんの一瞬だけ術式が反応して光ったが、それはすぐに消えてしまった。
通常、かすり傷程度を治す初級の治療魔術ならば誰でも使えるはずなのだが(呪文もつっかえようが、唱えられていれば発動するのだ)、この反応を見る限りおそらく、彼には魔術自体の適性がないのだろう。
肩を落とす勇者を慰めるように、子猫が彼の肩に手を置いた。
「ええと……、きゅ、休憩にしましょう! いきなり実践するには、尚早かも知れないですし……」
はははとユーリの乾いた笑いが部屋に響く。
まさか魔術の才能はありませんなどと、口が裂けても言えず、非常に居た堪れない空気が部屋を支配する。
そもそも何故自分が勇者に魔術の手解きをする事になったのか、その理由すらわからない。
厄介ごとを押し付けられたとも一瞬考えてしまったが、まさか勇者を相手にそんな待遇をするわけがない。
何か理由があるはずだと無理矢理自分を納得させると、まだ彼の名前を聞いていなかった事に気づいたユーリは、落ち込む勇者におずおずと話かけた。
「あの……、今更で申し訳ないんですが、お名前を伺ってもよろしいですか? 僕はユーリ・クロスリーと言います。医療団では……、その……、まだ新人です」
「……佐瀬 優希……」
今にも消えそうな声で彼が名乗ると、傍らにいた猫も自己紹介するように小さく鳴いて主張する。
「この猫は、ユウキ様の猫なんですか?」
「……僕のじゃないけど……、いじめられてるのを放って置けなくて、抱いてひたすら逃げてたら……いつの間にか一緒にここにいて……」
そう言われてよく見れば、子猫の尻尾や後ろ足に小さな傷がいくつもある。
出血は止まっているようだが見るからに痛々しく、見兼ねたユーリは子猫が動かないよう抑えて欲しいとユウキへ頼み、簡単な治療魔術を施した。
詳しい状況はわからないが、いじめられている子猫を助けるのには、そうとうな勇気が必要だったろう。
仮に自分が現場を目撃したとしたら、果たして彼と同じように助ける事が出来ただろうか。
いくら助けたいとは思っても、咄嗟にその場から動くことは出来なかったかも知れない。
目の前の彼はそれをやってのけたのだから、その行動力は賞賛に値する。
勇者としては(おそらく)必要な素質ではないかと、他人事ながらに思えた。
子猫の傷が塞がった事を確認してユウキにお礼を言うと、彼は目を輝かせながら感嘆の溜息を吐き、
「すごい……、傷が綺麗に治ってる……!」
「もっと高度な魔術になると、ひどい怪我をした人を治療する事も可能です。ただ、完治させるには時間がかかってしまうので、本人の回復力に頼らざるを得ない部分はありますけど……」
「……これ、僕もたくさん練習したら使えるようになりますか?」
非常に痛い所を突かれてユーリは口ごもる。
先程の魔術の反応を見る限り適正はないと、新人であるユーリにすら判断できてしまったのだが、こうも瞳を純粋に輝かせながら希望に満ちている彼に、どうしてその事実を伝えられようか……。




