今更、訂正のしようもないくらいに -Dino-Ⅳ【距離】④
夜もだいぶ更け、酒も途切れた頃合いを見計らったレオンの一声で、宴は幕を下ろされた。
各々の兵舎へ戻ろうと後片付けをしている最中、例によってアルマンとエレインが飲み足りないと不服を申し立て、その言葉にいち早く反応したラディムが騒ぎ立てる二人の間を割って入る。
「エレイン、お前はただでさえ仕事をしないんだから、これ以上飲む事は団長命令で禁止だ。明日の仕事に響くだろ」
「団長、しらけるようなこと言わないで下さいよう! もうちょっとくらい良いじゃないですかあ!」
酒宴の席から始終不機嫌な顔をしたままのラディムは、言い訳は聞かないとエレインにぴしゃりと言い放ち、次いで彼女と共に騒いでいたアルマンにも早々に兵舎へ戻れと一瞥を送り小さな溜息を吐くと、今度はディーノの隣に立っていたセシリヤへと視線を移した。
「セシリヤ、迷惑かけて悪かったな」
「いいえ、とても、楽しかったですよ」
「そうか……、それなら、良いんだ」
セシリヤの言葉に少し不機嫌な顔を崩したラディムだったが、すぐにその表情は元に戻り視線はディーノへと向けられる。
他人事の様に一連の流れを見ていたディーノは、ふと我に返って姿勢を正した。
(団長の手前、条件反射で姿勢を正してしまうのは習慣でもあるのだと思う)
「ディーノ、お前はセシリヤを送って行け」
「はい」
ラディムにそんなことを申し付けられ不思議に思ったディーノだったが、ふと周りを見渡せば、レオンとクレア、シルヴィオとアンジェロ、アルマンも各々の兵舎へと向かって歩き始めている事に気がついて納得をする。
不機嫌そうな顔をしたままのラディムは「気をつけろよ」と一言添え、ぶつくさと文句をたれているエレインの背を強引に押しながら兵舎へ向かって行った。
しばらく彼らの背を見送って、セシリヤと二人でぽつりと残された事に気が付くと、再び気まずい沈黙が舞い戻って来る。
視線をセシリヤに寄越すと、彼女はまだ夜風に花を散らす桜を見上げていた。
「セシリヤさん……?」
遠慮がちに声をかけると、セシリヤは小さく笑って帰りましょうとディーノの先を歩き始める。
いつもなら、彼女は必ずディーノの隣か少し後ろを歩いていたはずであるのに。
今まで一度も、彼女はディーノの先を歩いて行く事など、なかった。
予想外の出来事にぼんやりしていたディーノだったが、距離が開いて行く事に慌ててセシリヤの隣に並び歩き始める。
彼女は、隣に並んだディーノを一度たりとも見る事はなかった。
「季節外れの桜も、趣があって良いものですね」
「そ、そうですね」
「また、こうした時間が過ごせると良いですね」
「そう……、ですね……」
加えて、いつになく饒舌だ。
一瞬の沈黙の隙をついてディーノが言葉を発そうとすれば、見計らったかのようなタイミングでセシリヤから当たり障りの無い話をふられて、ただそれに頷くことしか出来ない。
どこか壁を張った様に不自然なその振る舞いに、いよいよディーノも動揺が隠せなくなる。
そんな二人の会話が楽しく弾むはずも無く、時折、夜風が微妙な二人の間にある空気を悪戯に揺らすだけだった。
医療棟に着くと、セシリヤは律義に立ち止まりディーノに向き直って礼を述べる。
けれど、彼女はすぐに頭を下げた為に視線が絡まる事は無かった。
明らかに態度がおかしい。
「あの、セシリヤさん……」
踵を返したセシリヤを呼び止めると、彼女は振り返らないままそこで足を止める。
やはり視線を合わせてはくれないが、話を聞いてくれる気はあるのかと心の中で安堵し、ディーノは詰まる言葉を慎重に選びながら口を開いた。
先ずは彼女に対する非礼を詫び、それから軽率な発言に対しての誤解を解かなければ。
「……酒の席とは言え、すみませんでした」
シルヴィオと何を話していたかは解らないけれど、唐突に二人の間に割って入った事は悪かったと思っている。
「いいえ、私の行動は軽率すぎましたから。ディーノ副団長が止めに入ってくれた事に、感謝してます」
小さく首を横に振るセシリヤは、いつも通りの様子で、一瞬感じていた違和感は思い過ごしだったのだろうかと考えた。
けれど今は、そんな事を考えている場合ではない。
すぐに思い直すと、ディーノは言葉を続けた。
「それから、あの時……、シルヴィオ団長と話してた事は」
――冗談なんかじゃありませんから。
まさに、その言葉を口にしようとしたその直後、
「冗談でも、嬉しかったです」
セシリヤの言葉と、振り返りディーノに向けられた微笑みに遮られてしまった。
あまりにも完璧なその微笑みは、やはり見えない壁を作り出していて、それ以上の言葉を受け入れる事を拒絶しているようにも見える。
「……セシリヤさ……」
「お休みなさい」
去って行く彼女に手を延ばしてみたけれど、それは届く事なく、ただ空気を攫うだけだった。
セシリヤの姿が見えなくなると、ディーノは落胆の溜息をと共に肩を落とす。
残されたものは、後悔と自己嫌悪。
いくらムキになっていたとは言え、シルヴィオの挑発に乗せられて軽はずみな言葉を口にした事を悔やんだ。
「……最低だ」
去り際に、ほんの一瞬だけ崩れたセシリヤの微笑みが、ひどく痛々しい表情へと変わったのだから。
何故、彼女がそんな表情をしたのかは指摘されなくとも理解しているつもりだ。
軽々しく口にした言葉が、ひどく彼女を傷つけたに違いない。
今更、訂正のしようもないくらいに。
【END】




