今更、訂正のしようもないくらいに -Dino-Ⅳ【距離】①
「ジョエル団長、本日が提出期限の書類はこれで全てです」
「ありがとうディーノ、お疲れ様」
一纏めにした書類をジョエルの元へ提出すると、彼は労いの言葉と共にディーノへ休憩を促す。
ふと時計を見やれば随分前に昼の休憩時間は過ぎていて、時間の流れの速さに少し驚いた。
どうりで腹も減る訳だと、先程から控えめに鳴いて空腹を訴えている部分に手を当てると、ディーノを急かすように更に大きな声を上げる。
ジョエルの言葉に甘えて休憩を取ろうかと一瞬考えては見たものの、彼の机の上に積まれてある手付かずの書類の束を視界の端に捉えてしまい、もう少し書類を片付けてからにすると答えた。
この様子なら、ジョエルは暫く休憩に入るつもりはないのだろう。
剣の訓練よりもこう言った細かい書類整理の方が、実はかなり負担になる。
少しでも団長の負担を軽減する事が副団長である自分の仕事だと、ディーノは積まれてあった書類に手を伸ばしたが、ジョエルは少し困ったように笑って左右に振って見せ、
「私の事は大丈夫だよ。先ずは、第一に君自身の事を考えてやってくれ。ここの所少し、根を詰め過ぎているんじゃないのかい?」
まさか、気づかれているとは思わなかった。
ジョエルに指摘された通り、最近のディーノは空いた時間の隙間を埋めるように、訓練や書類整理などを詰め込んでいた。
理由など、知れている。
ジョエルとセシリヤのまるで恋仲であるかのような姿を、忘れたかったからだ。
悪気は無かったとは言え、覗き見に近い行為に後ろめたさを感じているのと同時に、同団の上官であるジョエルとはほぼ毎日顔を合わせるのだから、否が応でもその光景を思い出してしまう。
脳裏にそれがちらつくと、らしくもなく仕事が疎かになると言う現状で、結果、そんな事を考える暇が出来ないくらいに躍起になって連日仕事を詰め込んでいた。
ディーノの胸の内まで気づいているかは解らないけれど、ジョエルならば悩んでいる事くらいお見通しなのだろう。
口にこそしないが、いつでも部下の身を案じ、いつでもその変化に気を配っている。
ディーノの知るジョエル・リトラとは、そう言う人物だ。
だから、セシリヤも彼には安心して全てを見せる事が出来るのかも知れない。
二人の間にある絶大な信頼関係と、埋めようのない時間の差に嫉妬する情けない自分を、心の中で軽蔑する。
「ディーノ……?」
物思いに耽りぼんやりしてしまったディーノに、ジョエルが心配そうに様子を窺っている事に気が付いて、取り繕うように休憩を取らせてもらいますと言い放ち執務室を出た。
扉を閉めると同時に、深い溜息が洩れる。
「……何やってんだ、俺」
望んではいけないと思えば思うほど心は渇望し、燻り続け醜く爛れて行くと言う悪循環にすっかり嵌まってしまって、身動きが取れない。
一度意識してしまうと、どうにもぎこちない態度になってしまう自分に呆れて乱暴に頭を掻き毟りながら、とりあえずは場所を変えて食事でも取ろうと足を踏み出した丁度その時だった。
「ディーノ先輩!」
「どうした、クレア」
何をそんなに急いているのかと思うほど足早に駆けて来たクレアに向き直ると、彼女は薄っすらとかいた汗を手の甲で軽く拭い、数回深く呼吸を繰り返してから言葉を続ける。
「今夜、お花見しませんか?」
「は?」
桜の季節などとっくに過ぎていると言うのに、目の前にいる彼女は一体何を言っているのだろうか。
予想外の彼女の発言に、ディーノはいよいよ自分がおかしくなってしまったのだろうかと、真剣に悩む。
やはり、無理をして仕事をつめ過ぎたのが良くなかったのだろうか。
これは早急に医療団で診察でもしてもらった方が良いのかも知れない。
そう、思い始めた頃、
「第一騎士団兵舎の前に季節外れの桜が咲いたので、今夜そこでお花見しようと皆さんを誘ってるんです」
と言うクレアの言葉が耳に入り、まだ感覚が正常であった事にディーノは人知れず安堵の溜息を洩らした。
それにしても、季節外れの花見とは随分お気楽な話だ。
心の中で毒付きながら、ディーノはその誘いを断る理由を考える。
皆で集まって何かをすると言うのは嫌いではなかった (むしろ好きな方だ)けれど、生憎今日はそんな気分ではない。
やらなければならない仕事があるからと適当な理由でもつければ、同じ副団長と言う立場にあるクレアもすんなりと納得して諦めてくれるだろう。
ディーノが首を縦に振る事を期待している彼女を裏切ってしまうのは些かの罪悪感を抱くが、気が乗らないまま酒の席に顔を出しても、場をシラケさせてしまうに決まっている。
気付かれない様に小さな溜息を吐いて、まさに言葉を発そうとした瞬間だった。
「季節外れのお花見って言うのも悪くないわね」
「エレインさん!」
片手に書類を持ったまま興味津々で会話に参入して来たエレインによって、その場の微妙な空気は一転し、男には理解し難い女性特有の華々しい雰囲気へと姿を変えて行く様をぼんやり眺めながら、ディーノはこの誘いから逃れる術はない事を理解して、心の中で白旗を上げた。
エレインが、花見と言う催事を断るわけがない。
そして、エレインもそれと同じ事をディーノに対して思っているだろう。
盛り上がりを見せる二人の会話が途切れた瞬間、間髪入れずに話を振られたディーノは、素直に頷くことしか出来なかった。
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