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作者: 七海うた

初めてホラーを書きました。

じわじわくるゾワゾワ感を楽しんで頂けたら幸いです。

母が倒れた。


救急搬送後、頭の整理がつかないまま母の容体と集中治療室の説明を受けた。


ここに来るまでの間、大分吐いた。

今は鎮静剤のせいか穏やかに眠っている。


大腸ガンだそうだ。肝臓にも転移が見つかった。父に電話した。声が震えていた。


毎日普通に母が朝食を出してくれて、

毎日普通に洗濯してくれて、

毎日普通に「おかえりなさい」を言ってくれる。


普通だと思っていた。


母の血の気のない手を触ってみる。

こんなにガサガサだった?


涙が落ちた。



◇◇◇◇◇



母の手術日が決まり、私は必要品のリスト通りに買ってきた物を整理していた。集中治療室にはロッカーが無いため、私物は手元にまとめて置かなくてはならない。


術後はどうしようか。

一般病棟に移ったら、洗面用具とかいるよね?テレビも見たいだろうし、イヤホンとかもいるよね。


…移れるんだろうか。


私は無意識に、あのガサガサな母の手に目をやった。


暫くぼんやりとしていると、ふと、母の指に焦点が合った。


黒い点。ほくろ?…あんなところにあったっけ?

右手の人差し指。第一関節付近だ。

近寄ってよく見てみると、それは血豆だった。皮が薄くなっていて、今にもはち切れんばかりだ。


私は、小学生の頃のことを思い出した。


朝の会の前、全学年「ドリルタイム」というのがあって、数分間の学習時間を設けられていた。私は筆記用具を出すためにペンケースを開いたのだが、その時指の先を挟んでしまい、血豆ができてしまった。


血が出たわけではなかったので保健室には行かなかったのだが、その微妙な膨らみと赤黒い点が気になって始終親指でさすっていた。


その日は学校行事で音楽鑑賞会があり、市営の文化ホールへ移動した。

薄暗の中、演奏の最中も例の血豆が気になっていて、どうにも音楽が頭に入ってこない。


到頭私は我慢できずに、その血豆を歯で(かじ)ってしまった。その瞬間、思いの外弾けた血が服に飛び散り、膝に乗せていた感想用紙は血まみれになってしまった。


その日の夕方。母の、学校からの電話に謝罪するのと、私への怒り心頭なのと、二種類の声が家の中を駆け巡った。


そんなこともあったけなぁ、なんて、鼻の奥がツンとした。



◇◇◇◇◇



手術は無事終了した。転移していた肝臓ガンも早期であった為、同時に切除できた。


ただ、母の意識が戻らない。担当医からは、数値に特に問題はないから様子を見ましょうとのことだった。搬送された当時と比べて深刻な状況も超えたから、集中治療室ではなく個室を勧められた。


移動した病室は静かだった。

鍵付きのロッカーや洗面台、テレビや小型の冷蔵庫など、集中治療室に比べれば室内設備は十分過ぎる。問題は、これらを使う主人が未だ夢の中ということだ。


いかんせん、目が覚めたら覚めたで苦痛と戦う日々が待っている。休ませてあげるにはこれで良いのかもしれない。


こんなに母と話さない時間はいつ振りだろうか。時計の秒針ってこんなに煩かったっけ?時間って、こんなに長かったっけ?


窓際で、母の静かな呼吸にいつしか微睡んでいると、一瞬瞼の裏に異様なものが映った気がした。


ハッとして目を見開くと、窓側の一角に設置されている洗面台の鏡の上から、さっきまでは気が付かなかった何かが出ていた。


気になってそっと近付くと。


指だった。


壁からではない。鏡からでもない。


鏡の裏から、正面へ垂れるように伸びている。


私は恐怖のあまり声も出せなかった。



◇◇◇◇◇



翌日は日曜日だったので、朝から病室にいた。家にいても落ち着かない。


かと言って、病室にいても落ち着かないのは変わらない。あの“指”のせいだ。


数時間おきに検査や点滴の交換で看護師さんが行き来しているが、それについて全く気に留める様子がない。忙しそうなので、その流れを止めてまで聞く勇気もない。


私の頭がおかしいのか?


何か、患者が個室で寂しくないよう、ちょっとした悪戯で設置してあるレプリカか何かか?それにしては見た目の質感が生々しい。

鏡の裏はどうなってる?壁の外はバルコニーなんてないし、そもそもここは6階だ。壁の中?まさか。何処にも入れそうな隙間なんてない。


これは。懐かしい感覚。

あの“音楽鑑賞会血まみれ事件”以来だ。

血豆を潰したくて仕方ない、あの衝動。


鏡の裏を、見てみたい。


恐怖が興味に変わった。


恐る恐る鏡に近付いて観察してみるも、壁に直接貼ってあるようで、外せそうな箇所は見当たらない。


横から見ると、壁が指の分だけ窪んでいるわけではなく、壁と鏡の間の指は、何かに挟まったホースのような根元をしている。


勇気を振り絞って、その指を摘んでみた。


感触は、人の指そのままだ。ちゃんと関節も曲がる。体温は…ない。冷たい。


そう思って指を上下に動かすと、一瞬ドクンと脈を感じた。


「ひっ!!!」


驚いて手を引っ込めた。


同時に、その勢いで指が千切れた。


辺り一面、血の海になった。



◇◇◇◇◇



母は意識を取り戻した。


あの日、巡回中の看護師さんが血まみれの手を見つめて茫然としている母と、傍で倒れている私を発見したのだという。


側から見たら、最悪の事態を想像しただろう。幸い、その出血は何かの拍子に潰れた母の指の血豆だった。私は、思いの外勢いよく飛び散った血の様子に驚いて気絶した、という事になった。


鏡の指は、なくなっていた。


あれは、錯覚?幻覚?

母のことで、知らないうちに疲れが溜まってしまっていたのだろうか。

後味悪い、嫌な夢を見た。


そう、思っていた。



◇◇◇◇◇



その日の夜。


私は病室にスマホを忘れてきたことに気が付き、自転車で病院へ向かった。


警備員室へ事情を話し、数分間だけなら、という条件付きで通してもらった。面会理由欄に“忘れ物のため”と記入する。


急いで廊下を渡り、母の病室まで来た。

間接照明の灯りしか見えないので、もう寝ているのかもしれない。起こさないようにそっと入った。


すると。


母がこちら側に背を向けてベッドで横になっている足元に、


手があった。


手首から先は、ベッドの反対側になっていて見えない。


そして、その手から少し離れた指の先に私のスマホがあった。こちら側のベッドの端ギリギリだ。


「…お母さん」


呼んでみたけれど、振り向く気配はない。汗なのか涙なのかわからないものが頬を伝って一筋流れる。


これこそ、何かの悪戯だ。それか、不審者か何かが母を脅して隠れているのかもしれない。ゴクリと唾を飲んで、ベッドの下を確認する。暗くてよく見えないが、足らしき影はない。


頭を上げると、ベッドの上の手が腕まで伸びていた。


スマホに近い。


何なのこれ。どうしたらいいの?

夢なら早く覚めて欲しい。


仮に、“鏡の指”みたいに摘んだら千切れてしまうのだろうか。

また母のどこかから出血するのだろうか。

今度は指じゃない。腕だ。

清拭してる時、血豆なんてなかった。

じゃぁ、一体どこから出血する?


考えているうち呼吸が乱れて、意識が朦朧としてきた。

腕の向こう側は、依然として暗闇だ。

私がまた視線をずらしたら、再びこの先が伸びてくるのか?


その先は?


私は左手で勢いよくスマホを掴み、右手でベッドの上にある腕を思い切り払った。


その瞬間、その腕は払った手を掴み、ベッドの向こう側へ引きずり込んだのだった。



◇◇◇◇◇



事情はあいつのお父さんから聞いた。


入院したとは言ってもてっきり暇してるくらいの体調だと思ってメールしたら、父ですという前置きで返事がきた。


話によると、お母さんの見舞いに行った日に病室で血まみれで倒れていたらしく、検査の結果子宮筋腫だったらしい。貧血がひどいから一時的に入院となったんだそうだ。今後治療について話し合うことになるらしい。


昔、俺の母さんも患ったことがある。だから、大体どんな病気なのかは知っている。


側にいてやりたい。

この先どんな結果になったって関係ない。

俺はあいつの支えになりたい。


何が食えるかわからないから、取り敢えず鉄分補給系のパックジュースを2、3種類と、コンビニのいちごムースを差し入れに買ってきた。あいつは落ち込んでる時、いつもこれを買って食う。


面会用紙に“彼氏”と書いたのを慌てて消して、“友人”と直す。“夫”と書きたい衝動はなんとか抑えた。


病室の入り口をノックする。返事がない。

中に入ると、あいつは静かに寝ていた。

顔にかかる髪をそっとよけて、頰に触れる。

早く良くなれ。


俺は、差し入れの袋を台に置いて部屋を見渡した。

母さんが入院した時も見舞いには来たはずだがあまり覚えていない。

病室ってこんな感じなんだな。なんか無機質。


そんな中、ふと、そうではない異質なものが視界にはいった。


なんだ、あれ。


鏡に、指が垂れていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 夏のホラー2019から来ました。 鏡から指が垂れ下がって……という怪談はよく聞きますが(実際、私の友人も体験しているくらいに……)、病にかかった現実と不思議な現象が連鎖して、今後を想像させる…
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