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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第一章 ロストサンタクロース
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鈴の音を鳴らすもの ② /外ヶ浜銀次郎

『銀次郎。どうですか?』


 社務所の方角が光って、馴鹿の声が届いた。銀次郎はトランシーバーを掴み取り、それに応答する。


「賊は三人だった。二人は予想通り南西に迷い出る」

『了解。連絡があって、警察が南西側で待機しています。その二人は警察に任せましょう――』


 ――それで、と馴鹿が言いよどんだ。


「あぁ。もう一人は、どうやら耐性がある。この場合、素質があると言えばいいのかね」

『そうですか……』

「連盟お手製のこのスレイベル、壊れてないよな。さっきからずっと警告がてら鳴らしてるんだが、あいつには効きそうにない」

『今朝、メンテナンスしたので問題はないはずです。本来なら、埋葬林に関する記憶や興味、意識を薄められて朦朧とするはずなんですけど……』

「脳神経がどうとか、受容体がどうとかは、よくわからないが、他の二人はそんな感じだったぞ。近距離で鳴らすとああなるのか……」


 墓守が鳴らすスレイベルは、聞き続けることによって、徐々に墓守や埋葬林に関する記憶や興味が希薄になっていく。シンプルに言うならば、あまり気にならなくなるのだ。したがって、本来ならば埋葬林に入った者は意識を薄められ、なにもかも朦朧としたまま外に迷い出る。そして、もう迂闊に近寄ろうなどと思いもしなくなるのだ。


『例外はあります』

「まあ、そうだな」


 例外はある。墓守と馴鹿だ。

 そして、稀に一般人の中にもそういう人物がいる。そんな人たちが、運悪く――または悪意をもって、迷うことなく埋葬林を闊歩できてしまったとしたら。


『その人の様子は?』

 バギーにまたがり、空中にとどまっている銀次郎は、改めてスコープを覗き込む。拡大された視界の中に、一心に走る男の姿が映った。

「中心部に向かって走ってる。背中のリュックから手斧が見える。他の二人もスコップやら担いでたし、間違いなく墓荒らしだな」

『なるほど……』

「あいつ、やっぱり迷ってないな。このままだと禁足地に入るぞ」


 埋葬林の中心部。墓守でさえ迷うといわれる禁足地。


『御神体に近づけるわけにはいきません。……いけますか、銀次郎?』

「それも、墓守の仕事なら」

『お願いします……』


 スコープに人影を捉えながら、銀次郎は馴鹿の絞るような声を聞いた。雑音交じりの音声でも、たしかに伝わる馴鹿の言葉の重さ。


 馴鹿は馴鹿で、彼の仕事を果たすのだ。高校生という若さで重い責務を背負い込んだ彼の心中は、決して穏やかな日々とは相容れなかっただろう。逃げ出すという選択肢も考えたはずだ。それでも、彼は逃げずに林宮の宮司をやっている。彼は彼の仕事を果たしているのだ。そして、銀次郎にもやれと言うのだ。お前はお前の仕事を果たせと、自身の振る舞いをもって喚起するのだ。

 そうだ。俺は墓守なんだから。と、すこしの逡巡のあと銀次郎は小さく呟いた。


「わかった。以後はこっちからの連絡を待っていてくれ」

『了解しました』


 墓守と馴鹿、または、サンタクロースとレインディア。世界中の埋葬林で、彼らは彼らの仕事を果たしているのだ。


 赤いライダースジャケットを着た男は、埋葬林の中心部へと向かっている。捨て鉢になった兵士のように走る彼からは、高揚も、獰猛さも、勇敢さも感じられない。やはり、という思いが銀次郎の頭をよぎる。彼はもう逃げ出しているのだ。もう、彼には墓を荒らそうという意思はない。

 しかし、その男に意思があろうがなかろうが、踏み入ることは決して許されない。禁じられた地。人が越えてはならない一線。埋葬林は死者の園なのである。


 もし、その一線を越える者が存在した場合。迷うことなく闊歩できてしまった場合。


「墓守による警告なしの殺害が許可されている、か。そんなことが――」


 ――許されていいのか。

 銀次郎は、手の震えごと言葉の続きを握り締めた。


 迷いを振り切るように、銀次郎はバギーの鼻先を思い切り下方へ押し込んだ。連結された(そり)も粒子を巻き上げながらついてくる。ときおりブレーキをかけながら、流れ星のように尾を引いて、八葦一号(やつよしいちごう)は埋葬林に飛び込んでいく。接地後、木々の隙間を縫うようにして、粒子と雪を巻き上げて、銀次郎は男を追いかけた。


 やがて、逃げる男と銀次郎は射線で結ばれた。男の一直線上に立った銀次郎。その間にそびえ立つ死者の木々は、きしきしと音を立てて右へ左へと枝を動かしたのだ。まるで、銀次郎の意思や意図が伝わっているかのようだった。

 そうして、マークスマンライフルのスコープの中に、ライダースジャケットの男が捉えられた。


 大きく息を吸い込み、大きく吐いた。そしてまた大きく吸い込み、半分ほど吐き出して息を止めた。そんな、どこかで聞きかじったような方法で、意図せぬ体の動きを最小限に抑え込もうとした銀次郎。皮製のグローブに包まれた彼の人差し指が、マークスマンライフルの引き金にそっとかかる。

 そして、次の瞬間、スコープの中で男の影が跳ねた。


「……うまく、当たらないもんだな」


 銀次郎は空薬きょうを拾い上げると、ストラップを引いてライフルを背中にまわす。まだ熱を放つ空薬きょうをポケットにしまい、彼は八葦一号にまたがった。


 埋葬林を荒らす者。埋葬林へ踏み込む者。それらを殺害してでも止める。それは、銀次郎たち墓守の仕事であり、法であり、義務である。銀次郎が墓守である限り、果たさねばならないのである。


 ざぶざぶと薄明のごとき粒子を巻き上げ、八葦一号は墓守を役目へと運んでいく。きつく口を結んだ銀次郎は、誰に見られるでもない歪んだ目元を隠すように、頭からゴーグルを下ろした。




 ◇




「馴鹿、終わったよ」

 銀次郎の言葉が、薄緑の粒子となって社務所へ流れていった。

『お役目、ご苦労様でした』

「あぁ。それと……やっぱり、この墓荒らしは木に変わる気配がない。俺を視認することも可能だった」

『死の間際にいる人には、まれに見えることもあるようですけど……』

「いや、“お迎えが来た”とか、そういう感じじゃない」

『そう……ですよね。連盟の研究結果によると、木にならない人間は、ある遺伝子が活性化していて、他の動植物のように腐敗して朽ちていくんだそうです』

「おかしなことも……あるもんだな」

『はい……』


 木になることもなく、埋葬林に安置されることもなく、この男は腐り果ててしまうのだ。そう思ったとき、銀次郎は自分の手が震えていることに気が付いた。男の赤く裂けた体を袋に押し込めている手が、ぶるぶると震えている。

 銀次郎は恐ろしかったのだ。墓荒らしとはいえ、人間を殺してしまったことが彼にはとても恐ろしかった。


『銀次郎、大丈夫?』

 心配する優しげな声が聞こえ、銀次郎は嗚咽を漏らした。


 水っぽい音が袋の中に充満して、銀次郎はめまいを覚える。あたりに飛び散った血痕から目を背け、遺体を収容した袋を担ぎ上げると、粘性のある液体が袋の中でたっぷりと移動した。

 こんなにも簡単に、軽く引き金を引いただけで、人間は死ぬものだと理解した。言葉の上だけでの理解が、体験をともなって深刻なまでに腑に落ちる。

 ごくりと飲み込んだ唾液が、鉄さび臭いような気がして、銀次郎は溜息をついた。


『お茶、淹れなおしておきますね』

 バギーに連結された(そり)へ黒い袋を横たえて、銀次郎はトランシーバーを引っ掴む。

「ありがとう。じきに戻る」

『はい』


 銀次郎は、橇のなかの黒い袋を見やる。

「お前は俺か。墓守になり損ねた、俺か」


 死者の木に抱かれた暗闇で、木になりそこねた男に銀次郎は自分の未来を重ねた。


 銀次郎は八葦一号の特殊機関を止め、キックスターターを蹴り込んで、通常のエンジンをかける。バギーはひとつ震えたあと、マフラーからの排気を始めた。エンジンの振動を味わうように、銀次郎は八葦一号に背中を預ける。マークスマンライフルは邪魔くさそうに膝の上に置いた。

 あたりは、バギーのエンジン音だけが響いている。緑色をした薄明のような風景。死者の木が垂れ込め、ゆっくりと雪が降り積もっていく。


 ほんの冗談だった。

 マークスマンライフルの銃口を、銀次郎は己の口腔に入れてみた。いとも簡単に、軽く引き金を引くだけで、人は死ぬ。木にならなかった赤いライダースジャケットの男であっても、銃弾の運動エネルギーで頭をかち割って死んだ。

 ならば、墓守である自分自身でさえも、この朱色のライフルは殺してくれるのではないかと、銀次郎は思ったのだ。真っ暗闇であるはずの埋葬林で、いとも容易く行動できてしまう異質でさえも、殺してくれるのではないかと、ふと、思ってしまったのだ。


「は、は……はは」


 乾いた笑いが、銀次郎から落っこちた。


 震えるその手に、腕に、そして視界の端に、白く可憐な花が顔を出している。榊に似た死者の木。それに咲く花。銀次郎の感情の高ぶりに合わせたかのように、小さな花がぽつりぽつりと顔を出す。


 埋葬林は、やはりあの世か。そこを闊歩する己は何者か。少なくとも、人間ではないのだろう。齢七十を超えてなお、あのころの姿のまま生き続けている。そんなモノを人間とは呼ばないはずだ。

 と、銀次郎は思った。


 埋葬林を守護する目には見えぬモノ。はたまた、存在などしない都市伝説上のバケモノ。あるいは、研究の対象であり管理されるべきモノ。そんな銀次郎(モノ)を人間はこう呼ぶ――墓守様(サンタクロース)と。


「まだ、人間のつもりだったのか、俺は」


 自嘲と共に銀次郎は吐き捨てて、八葦一号にまたがった。荷物の載った橇をつけての特殊走行は、存外にハンドリングが難しい。だから、彼は通常の発動機関に切り替えたのだが、それはそれで難しかった。


「というか、地面走るぶんには、あんまり変わんないな……!」


 地面のおうとつに気を配り、背後の橇があまり跳ねないようにも注意しながら、ゆっくりと社務所を目指す。橇を牽引しながらの運転は骨だった。しかし、それゆえに、銀次郎を苛んだものは、集中力と混ぜ合わさって徐々に薄れていったのだった。

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