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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第三章 ロストワールド
49/51

故郷にさよならを ④

 四季ノ国屋超時空支店の観測所には、大別して二つの部門が存在する。

 一つは、書店員が世界間を行き来するためのゲートの運用、保守を担当するゲート部門。彼らは作業服組と呼ばれ、警備を兼任している者もいる。

 二つ目は、四季ノ国屋の把握している物語世界を観測する観測部門。また、物語世界に移動している書店員の動向を把握し、様々な事態に対処する部門でもある。彼らは私服組と呼ばれていた。


「こっちだ」


 観測所、観測部門。

 正面には大型のスクリーンがあり、そこに向かって階段状に下がっていく座席には、私服の書店員たちが着席している。各々、忙しそうに端末を操作していた。

 現場担当であるエプロン組のボス――二森時雄に促されるまま、優衣子は部屋の隅で端末を操作している男のもとへと向かった。男は時雄と沙兎に片手を上げ、軽く挨拶をする。優衣子を視界に収めると、気まずそうに会釈をして見せた。


「その子が、件の物語世界から?」

「あぁ、そうだ。で、状況は?」


 男の問いに、時雄はなんの感慨もなさそうに答えた。逆に、男はすこし申し訳なさそうな表情になる。


「本人を前にして言うのはすこし憚られるんですが、“ククノチ”ではCODE:991が発生中です。もう、……手遅れですね」

「ククノチって? コードキューキューイチって、なに?」

「ククノチは、優衣子ちゃんたちの世界の通称。CODE:991は、物語世界崩壊。ハザードのことだよ」


 緊張した面持ちの優衣子の問いに、沙兎は目を合わせずに答え、ずっと端末のモニタを睨んでいる。


「手遅れ……」

「奇跡でも起きない限りは、無理ですね」


 優衣子のつぶやきに、男は律義に答えた。


「物語を遡って確認したら、外ヶ浜巽は鬼沢晃の忘れ形見だったろ? だから俺たちは、あいつだけは御神木に近寄らせまいとした。ハザードを起こさないためにな。だが、鬼沢晃の忘れ形見だからこそ、二度目の奇跡も起こるかも知れんぞ」


 時雄はすこし楽しそうだった。そんな彼に目を向け、沙兎は胡散臭そうな顔をする。


「八九二もないのに?」

「もしかしたら、御神木に鬼沢の八九二があるかも知れんだろ」

「それは希望的観測にすぎるよ。それに、たとえあったとしても、もうバッテリー切れでしょ」

「まあ、そりゃそうか」


 二森親子の会話をじれったそうに聞いていた優衣子。患者服のポケットに入れている手が、拳を形作る。


「どういうこと? わたしにも理解できるように話してください」


 わるいわるい、と悪びれた様子もなく、時雄は優衣子に顔を向ける。


「お前の友達が、世界の命運を握っているかも知れないって話だよ」




 ◆




「まじかよ……」


 おそらく鬼沢晃のものであろう八九二は、どこをどう触っても反応を示さなかった。すこし大き目のデジタル時計といった趣のそれは、たんなるブレスレットに成り下がっていた。バッテリー切れか、故障か。バッテリー切れなら充電すればいいのだが、ここに電気が通っているとも思えない。なんにしろ、現状、この八九二は役に立ちそうもない。


「まいったな……っと!」


 嘆く間もなく、また浮遊感に包まれる。

 天井を足で蹴り、体を捻って振り戻しとともに床を蹴る。人間、慣れてくるもので、度々の落下を最小限の被害に抑えられるようになってきていた。とはいえ、体力はいずれ尽きるし、無理な体勢を取るせいで体も痛い。そしてなにより、世界のほうがさきに終ってしまうかも知れない。


 どうする。どうする。ほかに手立てはないか。

 俺は八九二を無暗に振り、生き返れ、と念じる。我ながら無意味な行動だと理解しているが、これで生き返ったら儲けものだ。しかし、実際は生き返るわけもなく、真っ暗なディスプレイが俺を焦らせる。焦燥感ばかりが募り、頭は一向に冴えない。意味もなく腕時計で時刻を確認する。十五時三十分だった。こんなときに時刻なんてどうだっていいのに、と自分の間抜けさに呆れ果てた。そのとき――。

 ――ぞわりと、背筋が凍った。産毛を逆立て、うなじまで震えが上ってくる。知らず知らず、喉が唾液を嚥下する。


「う、嘘だろ……」


 八九二をまじまじと見つめる。側面のボタンの位置、大きさ、ともに似ていた。重さもほとんど変わらない。違いと言えば、バンドが皮製か金属製かの違い。そして、表面の装飾の有無だった。


「ばあちゃん、じいちゃん、ごめん!」


 俺は左腕から腕時計を外す。

 見慣れた祖父の腕時計。銀色で渋い光を反射している。表面には装飾が施され、時間と日付、曜日が見えるのみだ。

 俺は、思い切って装飾部分をテーブルの角に打ち付けてみる。本体ごと壊してしまわないよう細心の注意を払いながら、装飾部分を削り取るように打ち付けていく。

 そして、一部分が欠けた。

 銀色の装飾部分が割れ、本体からわずかに浮いた。大切な腕時計を傷つけてしまった罪悪感と、活路を見出した高揚感とで、俺は気が狂いそうになった。しかし、それは束の間で、頭から白い花が落ちてくるころには気分が平坦に戻る。

 いまとなっては、ただの硬実とは言えないこの腕時計。あの外ヶ浜銀次郎と常盤坂園美、そして俺の両親との繋がりの証明。なにより、現状を打開できるかも知れない唯一の手段。

 俺は腕時計の装飾部分を引っかいてみる。ぱきぱきと、簡単に装飾が剥がれ落ちる。


「やっぱり……」


 ()()()()()()のデジタル時計、ワイヤレス充電。いくら傷がついて古ぼけていたって、そんなとんでもない違和感にいままで気付けなかったのが恐ろしい。

 鬼沢晃の記憶を思い出す。あのあと、外ヶ浜銀次郎と常盤坂園美になにが起こって、俺の祖父母になったのかはわからない。どうして、祖父の腕時計ということになったのかも不明だ。システムによる自浄があったのかも知れない。

 でも、これはもともと常盤坂園美が――俺の祖母が身に着けていた八九二だ。


 そして、また御神木が沈んだ。油断していて、俺は受け身を取り損ねた。痛みにうめきながらも、考えることはやめない。

 鬼沢晃の記憶と知識は受け継いだ。こんなにもはっきりと俺のものにできているのは、俺が彼の硬実だからかも知れない。


 暗号化、仮想トンネル、V(ヴァーチャル)P(プライベート)N(ネットワーク)。そういったイメージが頭のなかを駆け巡る。俺と御神木――鬼沢晃が、暗号化と復号を利用し、まるでトンネルのように繋がり、公のネットワークに仮想的な専用回線を構築。その専用回線を介し、俺は鬼沢晃の記憶と知識を受け取った。そういうイメージ。

 そう考えると、俺だけは本当に御神木に近づいてはいけなかったんだ。それと同時に、来て欲しくもあったんじゃないのか、とも思う。まるで、俺だけに真実を教えるための仕組みのように感じたからだ。

 物語世界の自殺。ふと、そんなことが頭を過った。自動的なシステムが、自死を選択することがあるのだろうか。ただの直感に頼った推測でしかないが、妙に収まりが良くて背筋が寒くなる。


 ともあれ、記憶と知識、そして、手段も手に入れた。あとは、なにをするべきか。それだけだった。

 俺はなにを選ぶべきだろうか。俺が選んだ答えを、許容してもらえるだろうか。たぶん、この物語世界の人々は、問答無用で受け入れざるを得ない。だったら――。


 俺は八九二を操作する。鬼沢晃の記憶と知識を頼りに、物語を収集する。俺自身の物語だ。小さな電子音が鳴り、物語収集プログラムが動き出した。これで、おそらく四季ノ国屋超時空支店なる場所にも、俺の物語が届くはずだ。

 二森沙兎が四季ノ国屋の書店員なら、きっと優衣子もそこにいるはずだ。俺がどういう選択をするにしても、せめて優衣子にだけは見ていてもらおう。俺と同じで、嘘が苦手で不器用な親友。不魚住亡きいま、俺の親友は優衣子だけだ。優衣子なら、俺をジャッジしてくれるだろう。

 一瞬、不魚住のふにゃりとした笑顔が頭に浮かび、張り裂けそうな悲しみが襲ってくる。鼻が痛み、目頭が熱くなる。でも、俺は墓守だ。すぐに感情が消えてしまう。いまはそれがありがたかった。冷静に頭が回せる。


 悪戸の言った通り、俺の生きていた世界は嘘で固められていた。順守すべき信号機自体が狂わされていたのだ。

 俺は、その嘘に憤っていた。嘘つきな世界に腹を立て、過酷な運命を背負わされた友達を嘆き、一緒にここまで来た。払った犠牲も大きい。胸に開いた大穴は、いかに墓守であろうと消せはしない。寂しさや悲しさは、すぐに消えてしまうけれど、穴が開いている事実は消えない。失ったものは戻らないのだ。

 そうやって犠牲を払い、嘘をかいくぐり、真実を知ったいま――俺のなかに怒りはない。物語世界を守るため、奮闘していた彼らを見たからかも知れない。あるいは、いまも体から落ちる白い花びらのせいかも知れない。

 でも、怒りを失ったとはいえ、嘘への嫌悪感はある。往来のない赤信号は、きっといまでも俺は渡らないだろう。青になるまで頑なに待ち続ける。思い出がただの記録になっても、感情が抑制されようとも、俺という根幹はブレていないらしい。その人物の枠からは決して外れない――優衣子は非同一性総合人格とか言っていたっけ。つまり、俺は外ヶ浜巽で間違いはないのだ。人間じゃなかろうが、鬼沢晃の硬実だろうが関係ない。両親に愛されて育ち、不魚住や優衣子という友人に恵まれた、非同一性総合巽だ。


 だれも他人のすべてを知ることはできない。他人に自分のすべてを見せることもできない。近づいても近づいても、薄い膜は残り続ける。それでも、意思疎通をはかろうとする。瞳をのぞきこむ。相手の意思を読み取ろうとする。人間も、墓守も、犬や猫、鴉でさえも、ひとかけらの意思を宿している。結局、だれもかれもが、(かいぶつ)にすぎないんだ。

 ならば、俺は一個の(かいぶつ)として、成すべきことを成せばいい。そして、語ろう。このあとの行動を、俺がどうして選択したのか。意思と決断と実行を、優衣子に届けよう。理解してもらえるかはわからないが、そうすることが、いまの(かいぶつ)が唯一取れる意思疎通の方法なのだ。


 そして、俺がいま取れる選択は、思いつく限りでは四つ。


 ひとつ。この物語世界を本来の姿に戻す。人が死んだって木にはならない世界だ。嘘偽りのない世界。

 ふたつ。俺の知っている物語世界のまま、崩壊を止める。人が死ぬと木になることが常識の世界。嘘つき世界。

 みっつ。俺という異物に辻褄を合わせ、崩壊を止める。まだ誰も知らない世界。嘘に嘘を重ねた世界。

 よっつ。俺という異物をこの物語世界から排除する。それで崩壊が止まるのか、そのあとの世界がどうなるのかは不明だが、一番手っ取り早い。緊急信号を出せば、四季ノ国屋が回収してくれるかも知れない。


 俺は、どれを選ぶべきだろうか。




 ◆




 四季ノ国屋超時空支店、観測所、観測部門。その片隅で、端末を囲む四人は騒然としていた。いままさに崩壊しようとしている物語世界から、支店のサーバに小説が一時データとして送信されてきたのだ。


「言い方は悪いかも知れませんが、これは物凄く貴重なサンプルになりますよ、時雄さん!」


 端末を操作する私服組の男が、興奮した様子で声を上げた。


「まったくだ。巽少年は、八九二を手に入れたみたいだな。この支店のことも認知してる。なんらかの方法で、鬼沢晃から情報を受け継いだのかも知れんな」


 時雄はディスプレイに表示されていく文章を読み、「――俺だ。緊急信号があるかも知れん。回収班を組んで待機させといてくれ」と、電話で指示を出した。


「小説……。これ、巽はまだ生きてるってことでいいんですか?」

「あぁ。多少のタイムラグはあるが、いまも生きてる。こうなると、本当に二度目があるかも知れないぜ」


 優衣子たちは、崩壊していく物語世界から届けられた小説を食い入るように読んでいた。一文字ずつ、ときには一行ずつ、ディスプレイに表示されていく文字。落下を繰り返す部屋のなか、独り悩み、奮闘する巽の姿が描写されていた。


「これが、ハザード……」


 まるで騙し絵の展覧会のごとき世界の終わりを見て、優衣子は顔を青くする。


「崩壊したら――あの暗闇に落ちたら、どうなるんですか?」

「有り体に言えば、死ぬ。生物だろうが非生物だろうが関係ない。あの狭間の真っ暗闇に落ちたら、なにもかもが黒歴史だ。存在として死ぬ」


 時雄の言葉に、優衣子の眉根は狭くなる。拳を握っていた手は、開かれて口を覆っていた。


「ごめんなさい」


 優衣子の口から、不意に謝罪がこぼれ落ちた。覆っている手の隙間から、ため息が漏れる。


「ごめんなさい。わたしに、責める資格なんてなかった」

「優衣子ちゃん……」


 優衣子の視線は、傍らに立つ沙兎へ向けられていた。


「わたしも、真実が欲しいという理由ひとつで、それ以外を犠牲にすることを選んだ。天秤を自分で傾けたんだ」

「実感が湧いたか? もしものときのために、さよならの準備をしておけ」


 時雄の言葉を背中で聞いていた優衣子。体中で白い花が咲き乱れる。私服組の男が、それを見て驚いていた。

 感情の嵐が優衣子のなかで吹き荒れて涙腺を刺激したが、彼女の目から涙が落ちることはなかった。瞳を湿らせ、室内灯の光を反射するにとどまった。


「泣かないんだ?」

「う、うるせえな」


 という、沙兎と優衣子のやり取りを、時雄は口の端を釣り上げて見ていた。


「やっちまったもんは仕方がねえ。動物殺して食ってる人間様だ。だれだって、大なり小なりの犠牲を強いて生きてる。だから、問題はその犠牲へどう向かい合うのか。そして、そのあと、どうやって生きていくのかだ」


 時雄はディスプレイに視線を戻し、そう言った。


「払った犠牲への向き合い方と、その後の生き方……」


 優衣子がつぶやき、沙兎も難しい顔で考え込む。


「ちなみに、俺はビーガンなんざ真っ平御免だ。動物殺して、美味い肉を食う。美味い肉のために、あらゆる手段を講じる。そんで、手を合わせたら、うめえうめえと肉を食う。手前勝手だと言われるだろうが、生きるってのはそもそも手前勝手なもんだ。気にせず、思う通りにやってみろよ」

「時雄はもうちょっと気にしろよ」

「んん? お前はウジウジしすぎなんだよ、沙兎。俺の娘なら、手前勝手、好き放題に生きろよ」


 二森親子のやり取りを、優衣子は茫然とした顔で眺めている。


「おじさん見てたら、自分が馬鹿みたいに思えて恐ろしい……」

「優衣子ちゃん、時雄はバカだから、あんまり影響されたら駄目だぞ」

「親をバカ呼ばわりするなよ……」




 ◆




 鬼沢晃の記憶と知識を用い、俺はいま“世界のシステム”にアクセスしていた。鬼沢晃が書き換えたファイルを、俺も開いている。意味不明な文字列と、日本語が混在したファイルだ。

 準備は整った。あとは、俺の選択次第だった。そして、まるでそれを察知したかのように、御神木の落下が緩やかになった。ゆっくりと、じわじわ沈むようになった。操作中に跳ね上げられ続けたら、さすがにファイルの書き換えなんてやっていられない。


「不魚住……」


 投影キーボードを見つめながら、亡くした親友の名を呼んだ。

 一番古い友人。なにをするにも一緒だった。俺たちのブレーキ役でもあった。

 不魚住はもういない。死んでしまった。俺が扇動し、先頭を切った真実への道程。その道すがら、死なせてしまった。ほかにも、俺の知らないところで、俺のせいで死んでしまった人たちはいるだろう。この物語世界すべてに関わることだ。それでも、俺にとってやはりもっとも存在感の大きい犠牲は、不魚住の死だった。

 不魚住を筆頭に、あらゆる犠牲に対して、俺はどう向かい合えばいいのだろう。どう報いればいいのだろう。死を、犠牲を、無意味にしてはいけない。そういう気持ちは大きい。だけど、そもそも真実を求める俺の行動が間違いだったとしたら、犠牲は無意味だったということになる。


 間違っていたのだろうか。嘘の上で生きていくのが正解だったのだろうか。

 もし、そうだとしたら、俺は自分の間違いを認めたい。間違いを認め、謝罪し、行動を改めたいと願う。いくら潔癖と言われようと、俺はそうやって馬鹿正直に生きてきた。嘘を嫌悪して生きてきた。

 でも、俺の生きてきた世界は、嘘に守られていた。間違いを認めるということは、これまでの犠牲を無意味なものだったと認めることでもある。いま、圧倒的な自己矛盾という壁が、俺の前に立ちはだかる。


 間違いを認めれば、嘘を許すことになる。嘘を嫌悪しながらも、嘘を享受して生きることになる。ここまで払ってきた犠牲も、すべて無駄になってしまうのだ。

 ならば、嘘を暴き、本来の姿を求めるべきか。それが正しいのだろうか。あらゆる犠牲を払ってまで、不魚住を失ってまで求めるべきものだったのだろうか。それが、正しいとは思えなくなっていた。間違いだったと思うようになっていた。後悔、というものだろう。だから、真実の姿を追い求める行為は、自分の間違いを認めないということになる。自分の過ちを認められない人間には、なりたくなかった。


 世界の根幹に手をかけた俺という怪物は、自己矛盾の壁を登っている。ここで、俺はどう行動するべきなんだろうか。俺は、俺の心の根は、なにを望んでいるのだろうか。


『巽くん、世界五分前仮説って知ってる?』


 不意に、二森さんとの会話を思い出した。四季ノ国屋で初めて会ったあと、カフェでした会話だ。


『ラッセルさん。きっと、五分前にできた世界の思い出や知識でも、大切だってことを認識しようとしたんですよ』


 二森さんには、ロマンチックすぎると笑われたっけ。


『だって、もし世界が五分前にできたんだとしても、この俺の思い出は大切ですもん』


 あぁ。

 そうか。

 そうだよなあ。


 林宮の縁側で、不魚住と優衣子の三人で、桜を見た。サンタクロースの実在を論じた。甘いジュースが良いと暴れる優衣子、嬉しそうに笑う先代馴鹿――不魚住の爺さん。埋葬林。遊歩道。緑に濁った堀の水。神秘的な天候。しゃらんしゃらんと響く鈴の音。

 すべてが懐かしく、鮮明に脳裏に蘇る。いままさに崩れ行く世界の景色。感情が削ぎ落とされ、色を失いつつある思い出。たんなる記録に成り下がろうとも、大切だということだけは理解できている。


 そう。たとえ手前勝手だと罵られようとも、答えはずっと前から出ていたんだ。

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