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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第三章 ロストワールド
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故郷にさよならを ③

 吐瀉物には、血が混ざっていた。

 俺は嘔吐の余韻で息を切らしながら、脇腹の怪我を確認する。破れた服の下で、いつの間にか傷は塞がっていた。墓守だから治ったのか、墓守になるときに治ったのか、それはわからない。だが、優衣子が一度死んでいるということを考えると、後者だという気がする。

 あまりにもショッキングな出来事があったせいか、自分がいつ墓守になったのかわからない。変容の瞬間を把握していない。怪我をしたあとだと考えると、不魚住の遺木を抱いて泣いていたときだろうか。そのときのことを思い出そうとすると、急激に感情が冷却されていく。大切な友人の死が、まるで他人事のように変質してしまいそうな気がして、俺は思い出すことをやめた。視界では、はらはらと白い花が散っていた。


「それにしても……」


 膝に手を当て、ぐっと体を押し上げるようにして立ち上がる。

 ひとまず、現状を把握しなければならない。どうして、俺はこの廃墟にいるのだろうか。

 埃の積もったテーブル、カウンター。色あせて皮の破けたソファ、椅子。割れたボトルやグラス。きちんと片づけられることもなく、打ち捨てられた廃墟。

 鬼沢晃の記憶で見たスナック、よしえ。

 割れた窓やドアから薄っすらと日の光が射しこんでいて、埃がちらちらと舞っているのが見える。まだ真っ暗闇に落ちたわけではないのだろう。ドアを開ければ、なにかわかるかも知れない。

 そっと、薄暗い店内を歩く。鬼沢晃の記憶がフラッシュバックし、目の前の景色とオーバーラップする。必死の形相で世界を書き換える鬼沢晃と、背後で見守る外ヶ浜銀次郎と常盤坂園美。もしかして、鬼沢晃の硬実っていうのは……。


「お、おっと」


 気付かず、床に転がったボトルを蹴ってしまう。ボトルは大きな音を立て、座席の下へ飛んでいった。

 思わず溜息が出る。

 いまは考えないほうがいい。自分がなにものであるのか、それを考えている時間はないかも知れないのだ。鬼沢晃の記憶で見た剥離現象。それは、すでにこの物語世界でも起こっている。“崩壊”は始まっているのだ。

 真実を知ったいま、この物語世界にとって、俺は扱いに困る異物だ。システムが俺という存在の辻褄を合わせられなくなり、物語は崩壊する。俺たちが御神木へ行くのを阻んだ二森沙兎や愛子。彼女たちの言っていたことは本当で、俺に真実を悟られないよう注意しながら引き止めていたのだ。


 ならば、俺は間違っていたのだろうか。愚かだったのだろうか。

 鬼沢晃の記憶にも出てきた悪戸という男、あいつに俺たちは唆されていたということになる。だとしても、嘘を暴く行為は、赤信号を渡る行為だったのだろうか。真実を知りたいという欲求は、悪いものだったのだろうか。


 俺はドアに手をかける。

 ノブを回すと、金具が錆びているのか歪んでいるのか、擦れる音がした。手前へ引くと、すこしの引っかかりとともに、ドアが開いた。


「ど、……どこだよ、ここ」


 その光景に、思わず口を開けて、呆然としてしまった。

 目の前に広がるのは、霧にけむる草原だった。緑が風に揺れ、立ちこめる霧がゆっくりと動いている。それ以外は、なにもない。建物も、木も、人も、動物も、見える範囲には、なにもない。真っ白な霧に包まれた草原が、ただ静かに広がっている。


「剥離現象……」


 ときおり、草原の一部が、いや、視界の一部がばりばりと雑に破れる。間違いなく、物語世界崩壊が始まっている。俺が生まれ育った世界が、崩壊してしまう。ほかならぬ、自身の行動の結果によって。

 俺はへたり込む。

 自分の出生。不魚住の死。行方不明の優衣子。そして、世界の崩壊。扇動してしまった己の責任。

 重かった。あまりにも重い荷物だった。そして、それを捌くには、あまりにも時間が足りなかった。世界が真っ暗闇に落ちて諸共に消えてしまう前に、俺は考えなくてはいけない。俺になにができるのか。俺はなにをするべきなのか。

 正直、ここに座り込んだまま、不気味で美しい草原を眺めて死んでしまいたいと思った。すべて投げ出せたら、どんなに楽だろう。でも、頭に浮かんでくるのは、一緒に走ってくれた友達の顔だ。

 嶽優衣子。不魚住奨。二人の奮闘と犠牲を、俺は無意味にしてはいけない。俺だけの問題ではないのだ。


「ごめん。ボケっとしてる場合じゃないよな」


 ここにはいない二人への謝罪を口にし、俺は震える脚で立ち上がろうとした。

 しかし、震えているのは俺の脚ではなかった。

 慌てて周囲を見渡すと、積もった埃や、ボトル、グラスが震動で細かく跳ねている。部屋全体が震えているようだった。


「な、なんだ!?」


 そう叫んだ瞬間――俺の体は跳ね上げられ、天井に背中を打ちつけてしまう。突然のことに、俺は目を白黒させる以外にできることはなく、そのまま床に落ちる。埃が舞い上がり、口のなかにも埃のカビ臭さが広がった。

 ぺっと、唾を吐き捨て、俺は仰向けになった。思い出したかのように体中に痛みが戻ってきて、しばらく悶絶する。


「くっ……。なんだったんだ……?」


 痛む体を起こしたとき、俺は違和感を覚えた。さっきより部屋のなかが明るくなっている。窓や開け放っていたドアからの光量が増していた。

 ドアに近付き、外を見る。ずっと薄暗い部屋のなかにいたから、眼球が射すような痛みに襲われた。


「そ、空が……」


 さきほどまで草原を覆っていた霧が晴れ、頭上には青空が広がっていた。身を乗り出してみると、後ろのほうに壁のように巨大な幹が見える。見間違いようがない。御神木だ。広く大きな雲をまとい、空へ空へと伸びている。もしかしたら、いま頭上をゆっくりと流れている雲が、さっきの霧だったのかも知れない。


「落ちたのか?」


 足元に視線を移すと、霧が晴れたことにより、はっきりと草原が確認できる。足元に広がっているのは、よく見れば榊のような葉の集まりだった。つまり、草原だと思っていたのは、御神木から伸びた枝の集まりだったのだ。


「あぶねえ……」


 普通の草原だと思って踏み出していたら、真っ逆さまに墜落していたところだった。

 いや、しかし、待てよ。

 草原のように見えていた枝がまだ見えているということは、この部屋自体の場所は変わっていないのだろうか。それとも、べつの枝の上に落下したのだろうか。


「おわっ!」


 ふたたび、震動が部屋を細かく鳴らす。

 放り出されないよう、俺はドア枠に腕を突っ張らせた。浮遊感が部屋全体を襲い、俺は天井に向かって持ち上げられる。ドア枠の上部に掴まり、天井への激突を防いだが、振り戻しで床に激突した。


「くっそ……」


 思わず悪態が口をついて出た。

 でも、いまので理解できた。枝の草原の向こうに見えていた雲が、さっきよりも上方に見える。間違いなく落ちているのだ。そして、雲以外の景色が変わらないということは、御神木自体が落下――沈んでいるということになる。


「もしかして、枯れてきてるのか?」


 よく見れば、剥離現象の狭間に見える葉が、だんだんと茶色く変色してきていた。御神木が枯れ、沈んでいる。どこへ向かって沈んでいるのか。それは、おそらく真っ暗闇だろう。鬼沢晃も恐れていた、剥離した景色の向こう側。物語の墓場に向かって、沈んでいるのだろう。


 時間がない。

 俺にできること。俺がやるべきことを見つけなければならない。

 このままハザードに飲み込まれるのだとしても、払った犠牲に見合う納得を得なければ、死んでも死にきれない。


「なにか……」


 なにかないのか。

 つぶやいて、辺りを見回す。

 二度の落下で、ぐちゃぐちゃになった店内。ガラスの破片などに混ざって、見覚えのあるものが目についた。埃の跡を見るに、ソファの下から転がり出てきたようだった。


「八九二!」


 記憶で見た、八十九号二型――通称“八九二(はちくに)”だ。




 ◆




 四季ノ国屋超時空支店、医療棟。

 優衣子は病院の患者が着るような服を着て、簡易ベッドに座っていた。さきほどまで、身体検査や採血など、いろいろと体を弄り回されていた。

 拘束を解かれた優衣子は、自分が連れてこられた理由や、自分たちの世界がどうなっていたのかを知らされた。変異墓守遺伝子を採取させてもらえれば、二森沙兎の弟を救えると聞き、優衣子は指示に従った。

 人を助けるためとはいえ検査がよほど嫌だったのか、優衣子はうんざりした顔でベッドに横たわった。ちょうどそのとき、部屋のドアが開き、二森沙兎が入ってきた。


「グッタリしてるね」

「最悪だった。好き勝手あちこち触りやがって……」


 優衣子は体を起こし、湿気の多い目で沙兎を睨んだ。


「そ、そうなんだ。本当におつかれさま。ありがとうね」

「まあ。でも、これで弟さんが助かるんだよね?」

「それは……。まだ、わからない。可能性はある」

「わから……ない?」


 優衣子は目を伏せ、唇を噛む。袖口から白い花が顔をのぞかせていた。


「ごめん……。でも、わたしは弟を救うために、そのほかのすべてを犠牲にしたっていい。そう決めたんだ」

「だからって、世界ひとつを丸ごと……!」


 優衣子は沙兎のタクティカルベストを掴み上げ、壁に押し付ける。近くにあった医療器具が、音を立てて床に落ちた。

 身長差のある二人。優衣子は沙兎を見上げる形だ。


「不魚住奨も! 巽も! お父さんも、お母さんも! あの世界にいた人たち、みんな騙されていたんだぞ! 墓守様は、泣きながらわたしを撃ったんだぞ……」

「ごめん」

「もう頭のなかぐちゃぐちゃだよ。弟を助けたいなんて言われたら、断れないだろ。なんなんだよ。好き勝手しておいて、あとは自分で考えろってなんだよ。ふざけるなよ……」


 沙兎の胸に顔をうずめ、優衣子の声は震えていく。


「どうしたらいいんだよ。なにが悪かったんだよ。わたしは……。わたしのこの感情は、どこに向ければいいんだよ!」

「……優衣子ちゃんだったら、どうしてた?」

「え?」


 壁を背に、ずりずりと座り込んだ沙兎。力なく優衣子を見上げる。


「物語世界が犠牲になるかも知れない。そこにある営みがすべて消えてしまうかも知れない。それでも、その犠牲で大切な人を――巽くんやカリブーを助けられるかも知れない。そんな状況に置かれたとしたら、優衣子ちゃんは、どうしてた?」


 まるで嗚咽を漏らすかのような沙兎の問いかけに、目に見えて動揺する優衣子。息をのみ、視線がふらふらと彷徨う。


「そ、それは……」


 優衣子の手がタクティカルベストから落ちる。沙兎を見下ろし、言葉を失っていた。

 身近で大切な人たちと、それ以外。両者を天秤にかけ、傾きを自分で決められるとしたら。お前はどちらに傾けるのか。沙兎は前者に傾けた。大切な弟のために、それ以外を犠牲にした。すくなくとも、そうしようと決めて行動した。


「だれかの大切なものを奪うのは、悪いことだ」


 優衣子は苦しそうに、吐き出すように、そう答えた。


「わかってる。それは、わかってるんだよ。でも、わたしの大切なものはどうなるの? 優衣子ちゃんの言う悪いことのなかに、わたしの大切なものを奪うことは含まれないの?」

「わかってるよ。それこそ、わかってる。でも、それで良かったって思ってるのかよ?」

「どういう意味?」

「天秤を傾けなかったほうを犠牲にして、いま、心の底から良かったと思ってるのかよ!?」


 優衣子の言葉を聞いて、沙兎は金髪おかっぱを両手でくしゃくしゃにする。まるで、言葉という拳で殴られ、委縮している子供のようだった。

 そんな沙兎に、なおも優衣子の爆発したような言葉が降り注ぐ。


「あのときの国道で、どうして問答無用で巽を撃たなかった!? どうして、不魚住奨やわたしに優しくした!? どうして、あのロボットにわたしたちを殺せって命令しなかった!? どうしてなんだよ!」


 どうしてだよ、と繰り返しながら、優衣子は崩れ落ちた。


「あんたが、もっとちゃんとやってくれていれば、こんなに……」

「ごめん」

「またそれかよ。謝るぐらいなら、最初からやるなよ」

「そっちこそ」


 沙兎は優衣子の胸ぐらを掴み上げた。優衣子の涙目が、面食らったようにまばたきを繰り返す。


「な、なんだよ」

「泣くくらいだったら、黙って嘘を享受しとけば良かったろうが!」


 沙兎の怒声を受け、言葉に詰まる優衣子。さっきまでの勢いはどこへやら、しゅんと目を伏せた。それを見た沙兎は、ばつの悪そうな顔で、掴んだ胸ぐらを離した。思わず口をついて出てしまった言葉に、後悔しているような表情だった。


「もう駄目なんだ。途中で投げ出したら、犠牲がすべて無駄になる。謝りながらでも、進むしかないんだ」

「……間違いだったと、わかっていても?」

「もし、間違いだったとしても……。うん、そうだよ。今更やめるわけいにはいかない」


 すこしの戸惑いのあと、沙兎はそう答えた。

 それきり、部屋には沈黙がおとずれた。優衣子はのそのそとベッドに戻り、沙兎は散らかってしまった部屋を片づけている。視線は合わず、会話もない。だが、背中越しに互いを意識している気配。気まずさだけが、締め切った部屋に充満していた。


「バチバチのとこ悪いんだが、いよいよだ」


 無遠慮にドアが開かれ、二森時雄が部屋に入ってきた。時雄という特大の風穴で、気まずく淀んだ部屋の空気が入れ替わった。


「ノックくらいしろよ」


 そう言った沙兎を無視し、時雄は優衣子に視線を向けた。


「いよいよ故郷が崩壊する。遠くからだが、別れを告げさせてやる。観測所へ行くぞ」

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