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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第二章 ポストクリスマス
39/51

埋葬林攻防戦 ④

 猛吹雪のなか、二森は埋葬林に向かって車を走らせている。彼女の腕では、八九二がハザード警告を鳴らし続けていた。


「わかってるよ!」


 二森は叩くようにして八九二を黙らせる。

 車載テレビからはニュースが流れていて、埋葬林の拡大と、800メートル以上離れていた駅が飲み込まれた旨を報道していた。


「くそっ。モタモタしてる間に……!」


 己の踏ん切りの悪さに、二森自身、いい加減頭にきていた。

 真っ先に埋葬林へ向かえばいいものを、国葬連へ行ってしまった甘え。そして、その甘えの代償として、無用の惨事を招いてしまっているこの状況。


 フロントガラスには、二森を逆撫でするように雪がばちばちと張り付く。苛立ち任せにワイパースイッチを叩き下ろす二森。

 ワイパーは千切れんばかりの仕事をするが、目の前の雪を取り払うだけである。降りしきる雪に、視界は悪くなる一方だった。


 その悪い視界の端で、ゆっくりと地面が盛り上がるのを二森は見た。


「なんだっ……!?」


 対向車線をめくり上げるように、畑から国道に向かってなにかが地中を進行してきていた。


 前を行く車が、次々と急ブレーキとスリップを繰り返し、車道から弾け飛んでいく。対向車線はめくれ上がり、対向車はアスファルトと一緒に畑へ転がり落ちる。

 二森の右足は、一瞬、ブレーキを踏みかけた。しかし、とっさに切り替え、アクセルペダルを踏みつける。


 悲鳴とクラクションと、道路が崩壊する音が聞こえる。

 地中を進行していたなにかが、急カーブを描いて停止した。国道を分断した形だ。道路は盛り上がり、行く手は阻まれた。


 それでも、二森は盛り上がる車道に向かってアクセルを踏み続けた。中央分離帯に突っ込んで止まった車を、わずかにハンドルを左にきって避ける。そして、すぐさまハンドルを戻すと、後輪が雪に取られて車の尻が滑った。


 二森は、噛み砕かんばかりに歯を食いしばった。


 尻を滑らせたまま、二森の車は盛り上がったアスファルトを駆け上がる。車体がわずかに浮いて、車輪が空転する。

 ほとんど横滑り状態のまま、二森の車は盛り上がったアスファルトを飛び越えた。左側の車輪二つで着地。そのまま倒れて横腹を削る。中央分離帯の手前で車はひっくり返り、ガードレールに突っ込んでようやく止まった。


 逆さまでシートに張り付けられている二森。シートベルトを外して、彼女は肩から天井に落ちた。叩きつけられた長身は、痛みにうずくまる。


「死ぬかと……」


 息も荒く、二森はひっくり返った車から這い出した。スーツが雪にまみれて白く染まるなか、金髪のおかっぱ頭にわずかな赤が差す。頬まで流れ落ちてきた血をぐいと袖で拭い、彼女はよろよろと立ち上がった。


「いったい、なにが……」


 アスファルトを突き破り、いまは動きを止めているそれが、二森には()のように見えた。


「まさか、御神木の……」


 つぶやいた二森の目に、さらなる異様が飛び込んでくる。

 かろうじて事故を逃れた数人が、車を降りて巨大な根に近づいて行ったときだった。


「おいおい! なんだこのバカでかいゴボウぉおおおああ……!?」


 奇声を上げて、カップルの男が木になった。思わず男に抱きついた女も、同じく木になってしまう。そして、盛り上がったアスファルトの向こう側からも、何本かの木が顔を出した。


 二森は慌てて腕の八九二を確認する。起動していた収集プログラムは、愛子が三人組を抑えている様子が表示されていた。


「まだ、間に合うか……!」


 吹雪のなか、二森は埋葬林に向かって走り出す。しかし、彼女の平たい靴は雪を捉え損ね、地面に全身を打ち付けてしまう。


「……いっててて。くっそ!」


 呻きながら立ち上がった二森。その彼女の横を、側道を駆け上がってきたSUVが通過する。後方を確認し、国道へ合流しようとした運転手と目が合う。


「あ! 先生!?」


 運転席の男は二森に気付き、SUVを急停止。パワーウィンドウを開いた。


「沙兎ちゃん!? の、乗って!」

「林崎先生、どうしてここに?」

「どうしてもこうしても、こんな状況じゃ研究室にこもってたらハザードが起こる。僕の優先事項は、この物語世界と研究室の存続だからね」


 二森を助手席に乗せ、林崎のSUVが走り出した。いまだスタッドレスタイヤを装着しているのか、薄く積もった雪をものともしない。


「こっちとしても、この物語世界には存続してもらいたい」

「そうじゃないだろう。だから君は甘いんだ、沙兎ちゃん。君の最優先事項は、いまとなっては成果物の回収であるはずだ。この世界の存続なんて二の次だろう? あの子らに関していえばさらに下だ。CFSや新生CFSの抹殺のほうが、まだ優先順位が高いくらいだ。違うかい?」


 二森は項垂れ、ダッシュボードに頭を乗せる。


「いい加減、わたし自身ムカついてた。あの子たちに対しては、どうしても非情になれない」

「さっさと始末していれば、こんな状況にはなってないものなあ」


 林崎は、腕の八九二をコツコツと叩いた。その八九二は、いまにも壊れそうなくらい傷だらけだった。


「あの子ら自身は知る由もないだろうけど、いまやあの三人は物語世界を破滅に導く急先鋒だ」

「うん……」




 ◆




 断続的に響く銃声。そのたびに弾ける死者の木と、バギーの破片。


 慌ててハンドルをきったからか、バギーは横転し、俺たちは投げ出された。俺と優衣子は、どうにか左右の大木の陰に隠れられた。しかし、不魚住は続く銃撃に阻まれ、バギーに釘付けにされてしまった。


「不魚住!」

「まだ、大丈夫!」


 不魚住は身を小さくしながら、バギーのシートを開いている。シートの下にはちょっとした収納があるらしく、ショルダーバッグを取り出していた。


「うわっ!」


 不魚住が短く悲鳴を上げた。

 バギーの周辺に銃撃が行われたのだ。


 不意にばらまかれる弾幕は、どうにも一人の銃撃ではないように思えた。ときおり優衣子がライフルで応戦するも、相手の手数が多すぎてどうにもならなかった。それどころか、姿さえ確認できない。

 相手は、悪戸の言っていた暗い顔の女だろうか。そして、仲間だという二森さんもいるかも知れない。そうであるとして、どっちがマシだろうか。後退と前進。愛子と二森さんたち。

 愛子なら、ロジックで説き伏せられるだろうか。いや、愛子のアウトプットを変化させられるほどのインプットを、俺たちができるとは思えない。冷徹なアルゴリズムで、俺たちを叩き伏せるだろう。


「僕はこのまま、ここで引き付ける! 二人は迂回して進んで!」


 そう叫んで、不魚住はショルダーバッグから弾を取り出した。そして、震える手でグレネードランチャーに込めている。


 そうだ。

 いまさら後退なんてあり得ない。俺たちは前進するしかない。


「お前も来い、不魚住!」

「駄目だ! バギーから出たら撃たれる!」


 不魚住の言葉を肯定するように、並木道の向こうから弾丸がバラまかれる。銃撃は徐々にバギーへと集中してきていた。狙いを絞り始めたのだろう。


 反対側にいる優衣子を見ると、向こうも俺を見ていた。可哀想なくらい蒼白な顔で、花を咲かせている。


「巽! 優衣子! 行って!」


 行くしかない。どうにか進んで、どうにか撃退できれば、不魚住も助けられる。

 俺は優衣子に頷いて見せる。優衣子もまた、俺に頷いて見せた。


 浅葱色の袴。装束姿の不魚住が、朱色のグレネードランチャーを手にしている様子は、改めて見るとくらくらしてくる。

 グレネードランチャーを手にした馴鹿の向こう側には、同じく朱色のマークスマンライフルを撃つサンタクロースがいる。少し前の俺は、まさかこんな状況に置かれるだなんて、微塵も思わなかった。


 思うことさえ、できなかった。

 偽りの信号機。それを、俺たちは暴きに行く。


 相手の銃撃。そのわずかな間隙を衝き、不魚住は横転したバギーから頭を出す。グレネードランチャーの引き金が絞られた。

 俺と優衣子は、それを合図のようにして、密集した大木のなかを進み始める。


「待ってろ、不魚住!」


 前方で轟音が響く。不魚住のグレネードだろう。今回は本当に薔薇などではなかった。


 その爆発音を聞きながら、俺は大木をかき分けて進む。並木を形成したためだろう、死者の木々はぎちぎちに密集していて、ほとんど飛び越えるようにして進まなければならない。

 並木道のほうを窺うが、優衣子の姿は見えない。いくら運動神経が良いほうだとはいえ、彼女はライフルを持ったままだ。うまく進めているだろうか。


 銃声と、それに応戦する爆発音。自分の荒い呼吸。揺れる木々の葉擦れの音。

 かき分ける。飛び越える。前へ。不魚住が耐えている間に、とにかく前へ。


 ふと気付くと、断続的に響いていた銃声が止んでいた。




 ◆




「同志妙見、一人に絞りましょう」

「そうですね。では、バギーに釘付けにした彼にしましょう」


 大鳥居の柱に隠れながら、妙見と二人の男が並木道に向けて発砲を繰り返していた。


「グレネード!」


 もう一方の柱にカバーしている男が叫んだ。

 妙見たちは弾道を見極め、柱の陰に隠れる。大鳥居のやや手前で、放物線を描いて飛んできたグレネードが炸裂した。


「あの少年、けっこう慣れてますね」

「同志アンドリュー、それよりもライフルの射撃が止んだ。周囲を警戒してください。赤い子が来るかも知れません」

「了解。いざというときは?」

「巽少年以外は、射殺しても構いません」


 アンドリューは薄く笑みを浮かべる。


「我々が同志悪戸の仲間だとも知らず、三人は向かってきている。我々は御神木を守るフリをして、巽少年の仲間を殺し、彼の視野を狭める。御神木へ一直線に向かわせる」

「同志アンドリュー、いまさら任務内容の確認ですか?」


 妙見は柱から身を出し、射撃しながらアンドリューに応答した。


「いや……。この作戦も、同志悪戸が考えたものですか?」

「はい。いやらしい搦め手を考えさせたら、あの人はピカイチかと。それがなにか?」

「同志悪戸は、子供相手でも容赦などしない人だな、と」

「当然です。子供を相手にしているのは、過程で生じた事柄にすぎません。我々が相手にしているのは、あくまでも“楽園”です」


 暗く沈んだ表情で、妙見はアンドリューを一瞥した。重そうな目蓋のしたで、なんの感情も含んでいないような黒い目が動いている。


「そうですか……。いや、たしかにそうですね。すみませんでした」

「いえ。任務に集中してください」

「了解!」


 そう言い残し、アンドリューはアサルトライフルを胸元で構えて走り出した。

 そして、頭を勢いよく傾げ、そのままくずおれた。


 それを見た妙見は、咄嗟に反対側の柱に向かって駆けた。


「同志妙見! 楽園の二森です! 予想より早い!」


 柱にカバーした妙見に、男が叫んだ。

 アンドリューは、横から頭を打ちぬかれたのだ。その死体を盾にして、二森は伏せているようだった。


「やられましたね。同志イルモ、バギーの少年は?」

「数発命中しています。即死には至りませんでしたが、まもなく絶命するかと思います」


 双眼鏡を覗きながら、イルモが答えた。


「上出来です。あとは、それを巽少年に知らしめ、退却するだけです」

「はい」

「ゲートを開きます。二森の頭をおさえてください」

「了解」


 二人がカバーしている大鳥居の柱が、木くずを跳ね上げた。

 アンドリューのアサルトライフルを奪い、二森が引き撃ちで後退していく。


「GO!」


 二森の射撃の合間をつき、イルモがアサルトライフルのフルオート射撃を開始した。

 同時に、妙見は御神木のほうへ駆け出す。腕の八九二を操作しながら、御神木の巨大な根の陰に入った。そして、すぐさまサブマシンガンで二森を大木に張り付ける。


「イルモ!」


 妙見の合図を受け、イルモは射撃を止めて妙見のもとへ駆け出した。

 が、イルモの表情が歪む。

 イルモの背中に、グレネードランチャーの弾頭がぶつかった。


「グレネー……ド!」


 つんのめったイルモの間近で、グレネードの信管が作動する。火薬が炸裂し、弾殻が砕け散り、イルモの体を吹き飛ばす。


 イルモが砕けたと同時に、妙見の背後に()()()が発生した。


「お疲れ様です、同志イルモ。そして、同志アンドリュー」


 小さく呟いたあと、妙見はゲートに向かって後退していく。二森の銃撃は、巨大な根によって阻まれた。


 妙見チームの任務達成は目前であった。最後の一押し。後退の際に、妙見の視界に入った人物に向け、彼女は微笑んで見せた。

 汚されてしまった世界に生まれた不幸と、これから消えゆく世界に生きている不幸。それらに対しての、せめてもの餞のつもりであった。




 ◆




 体が燃えた。

 足の先から髪の毛の一本に至るまで火がついた。それは感情の炎だ。

 眼球が飛び出そうなほど見開いた視界に、ニヤついた女がいた。


 何日も寝ていないような光のない三白眼。乱れた黒髪。暗い相貌の女。まるで葬式に参列しているような黒尽くめの女。


 間違いない。悪戸が言っていた女だ。二森沙兎の仲間。この世界を嘘にした。信号機を狂わせた。

 その張本人たちが御神木を守っていた。真実があるという御神木。


 そして、あの顔だ。

 もやもやした透明の霧のなかに消えてしまったが、たしかに俺に向けた笑顔。頬にべっとりと泥を塗りつけられた心地だった。


 『遅かったな』


 そう聞こえてきそうだった。

 俺が勝手にそう捉えたにすぎないが、あれは嘲笑だった。俺をあざ笑っていた。大木をかき分けて、ようやく到着した俺をすぐさま見つけ、笑ってみせた。


 やめてくれ。遅かったってなんだ。俺はなにを逃した。俺の手は、なにを零したんだ。


 気が付けば、俺は駆け出していた。


「不魚住!!」


 大木の隙間から飛び出し、並木道を戻ろうと走った。

 が、横からの衝撃で俺は草むらを転がる。俺を抱え込むようにして、なにか――だれかが一緒に転がっている。


「動くな」


 うつ伏せで地面に抑え込まれた俺の頭に、銃口の気配が押し付けられた。

 ハンドガンよりも大きくて重い気がした。


「二森さん……」


 考えてみれば、そうだ。御神木を守っていた全員が引き上げるはずもない。


「動かないで」


 動いてねえよ、そう言おうとしたが、気付いた。

 砂色のタクティカルブーツ。赤いボトムス。大きくて赤いダッフルコート。白いファーが風で揺れる。

 地を這う視界に、優衣子が立っていた。


「優衣子ちゃん、銃を下ろして」

「許さないからな。狂った信号機め……」


 優衣子の顔は角度的に見えない。でも、見えなくてもわかる。はらはらと散ってくる白い花びらと、震える声。きっと、優衣子も気付いたのだ。

 遠目からでもわかる。バギーはボロボロだった。不魚住は、さすがに無傷ではいられないだろう。


「カリブーや皆を撃ったのは、わたしじゃない。わたしの敵」

「信用できるか。御神木に都合の悪いなにかがあるんだろ? 自分の都合で俺を殺すって言ったアンタを、信用できるわけない。現に、いまもこうして――」

「巽くん、すこし黙って」


 ぐいっと、頭に強く銃口が押し付けられ、顔が地面にこすれる。土と草の香りにむせ返った。


「さ。銃を下ろして。脅してでも頼みたいことがあるんだ」


 しんと静まり返る埋葬林。

 呼吸をゆっくりと二度。永遠にも感じるたっぷりとした静寂を破り、優衣子がマークスマンライフルを下げた。


「こっちに投げて」


 すこし躊躇したあと、優衣子は黙って二森に従った。


「ありがとう、優衣子ちゃん」

「頼みってなに?」

「うん……。あなたの墓守遺伝子が必要なんだ。人を助けるために。だから、わたしと一緒に来て」

「なにそれ。意味不明。断る」

「巽くんの命と引き換えだぜ?」

「この女……!!」

「お願い! 優衣子ちゃんが協力してくれれば、弟の命を救えるかも知れないんだ!」


 二森の懇願に、優衣子が息をのんだのがわかった。


 人と木は、昔から密接な関係にあるとされている。すべてが解明されているわけではないが、死者の木の存在が関係の親密さを裏付けていた。

 でも、人は死んでも木になんてならないという悪戸の言葉は、妙にすんなりと腑に落ちる。ならば、死者の木と密接な関係にある墓守もまた、嘘の世界の産物ではないのか。偽物なのではないのか。それを欲する意味とはなんだ。真贋など、関係ないというのだろうか。


 一瞬、またテクスチャが剥がれるように、視界のあちこちが四角く綻びた。


「時間がない。優衣子ちゃん、協力してくれるなら、ほかは好きにして良い。皆で一緒に来てくれても構わない」

「来てくれって……、どこに? 黒い女はどこに消えた? 不魚住奨はどうなる? どうして問答無用で攻撃した?」

「もう一回言うけど、攻撃したのは別のグループ。わたしの敵。カリブーも、間に合うなら助けたい。だから、協力して」


 また、静まり返る。

 暖かい五月の風が、埋葬林の木々を揺らした。


「ひとつ、聞いていいですか?」


 俺は、俺を押さえつける二森に言葉を投げた。緊張していたのか、優衣子は大きく息をついた。


「なに?」

「愛子は、俺たちのせいで世界が終ると言った」


 俺たちが御神木へ向かうことは、世界を破滅に導く行為。


「悪戸は、いまの有様は四季ノ国屋のせいだと言った」


 矛盾していると、最初は思った。

 世界が終わりに向かっているのが本当だと仮定して、世界の終焉を引き起こしているのが、“俺たち”だと言う者と、“四季ノ国屋”だと言う者。

 両者の言い分は矛盾していると思った。

 だけど――。


「二つが矛盾しない回答があった。信号機が狂った嘘の世界にしたのがアンタたちで、それを終わりに導いているのが俺たちだ。違いますか?」


 俺の首根っこを押さえる力が増した。


「それは――」


 二森がなにか言いかけた、そのとき。

 乾いた木が割れたような、凄まじい音が響いた。


「なに!?」


 全員が、音の発生源に顔を向ける。


 岩木の大鳥居だった。

 大鳥居の巨大な二本の柱。そのうちの一本に亀裂が走っていた。根元から、視認が難しいほど上まで、真っ直ぐにひび割れていた。

 ぞっと、理屈を超えた恐怖がこみ上げる。


「なにもかも、あとで説明する。だから急いで! 優衣子ちゃん、協力すると頷いて!」

「説明を聞いて納得できなかったら、わたしはなにを仕出かすかわかんないよ?」

「構わない!」


 優衣子が、了承した証のように両手を頭の後ろで組んだ。

 それを見て、俺も観念した。俺たちは騙されていて、牢にぶち込まれたり、ひどい扱いをされたあと殺されるかも知れない。そういう恐怖や疑念は尽きない。

 でも、話を聞いてから改めて考え、抵抗したって良いかも知れない――。


 不意に、俺を押さえ付ける力が軽くなった。

 優衣子が目を剥いている。


「後ろがお留守だ、沙兎ちゃん」


 知らない男の声と、数発の銃声。転がる金髪おかっぱと、優衣子の絶叫。


「なんだ……? なにが……」


 あたりを窺う俺の背中に、温かいものが流れ落ちてくる。そして、のしかかる重さ。知っている重さ。体重。

 体を起こした俺の視界に、浅葱色の袴が飛び込んできた。


「林崎先生……」

「まったく。気を抜きすぎだよ、沙兎ちゃん。危うく後頭部をガツンだったよ。よっぽど彼らに気を許していたんだね」


 グレネードランチャーを抱え、不魚住が血まみれで寝ている。


「おい……。重てえって。不魚住、寝るなら家帰ってからにしろよ」


 ありえないくらいに疲れているのだろう。不魚住は揺すっても起きる気配がない。


「おいおい。優衣子、なにしてる?」


 爆睡している不魚住の横で、優衣子が朱色のライフルを口にくわえた。


「馬鹿!!」


 二森が優衣子を突き飛ばす。放たれた弾丸は大鳥居を削った。


「優衣子ちゃん、思い切りが良すぎる!」

「だって、わたしが生きてたら、不魚住奨が……!!」


 暴れる優衣子からライフルを奪い、二森はがっちりと後ろから優衣子を羽交い絞めにした。


「残念だけど、カリブーは不転化個体じゃない。死んだら木になってしまう。だから、優衣子ちゃんが死んでも意味がない」


 今まで見たことがない。

 あんなに取り乱し、大泣きする優衣子を、俺は初めて見た。


「優衣子、どうした? 大丈夫か? なあ、お前もいい加減、ここで寝るのやめろよ……。なんでお前を抱っこしなくちゃいけないんだよ」


 不魚住の頭を軽く小突いた。

 どろり、と胸元から血が流れ落ちた。真っ白な上着が、赤く濡れていく。


「あぁ……」


 驚くほど、静かだった。

 自分でもびっくりするほど、俺は静かに受け入れた。


「不魚住が死んだ……」


 そして、不魚住を殺した林崎と呼ばれた男は、今度は俺に銃口を向けている。


「それだけハカマモリの花を咲かせていながら、その取り乱しよう。たしかに彼女は普通の墓守ではないね。博打に勝ったというわけだ……。沙兎ちゃん。いや、“楽園”。ここは痛み分けとしよう。その子を連れだすことを僕は見逃す。だから、ここにはもう関わらないでくれ」

「……いいよ。わかった」


 そう言うと、ぐったりとした優衣子を引きずるようにして、二森は立ち去ろうとした。


「待て。どこに行く!」

「動くな、少年」


 林崎は俺に銃を向け、申し訳なさそうな顔をして見せる。


「悪いね。世界のために死んでくれ」


 どこか、ぼうっとしていた俺は動けずにいた。林崎の手にしている拳銃。その引き金が絞られる。

 そのとき、間の抜けた音が俺の腕のなかで鳴った。筒からなにかが飛び出したような、そんな音。


「嘘だろ……!」


 林崎は驚愕の表情で、後方に駆け出した。

 俺は押し倒され、強く押さえつけられた。


 轟音。びりびりと体に響く音。

 土や小石が跳ね飛び、死者の木々は枝や幹を弾けさせる。

 そして、林崎は土煙の柱と一緒に宙に舞った。


「巽、怪我はない?」


 爆発の余韻が収まると、耳鳴りに紛れて、声が聞こえた。


「不魚住?」


 俺に覆いかぶさっていたのは、不魚住だった。

 俺は慌てて自分の体を眺めたが、おかしいところは見当たらない。ただ不魚住の血にまみれているだけだった。


「大丈夫。俺は大丈夫だぞ。それよりお前だ!」

「よかった……。ちょっと至近距離すぎたよ……ね」

「不魚住……?」


 見てしまった。はっきりと。

 不魚住のすこし茶色い瞳。その真ん中にある瞳孔が、すうっと開いた瞬間を。


「あぁ……ああ!」


 林崎はボロ雑巾のようになって動かない。

 不魚住も似たような有様だった。


 こぼれてしまう。

 俺は訳もわからず、不魚住をかき抱く。こぼれ落ちないように、必死で抱きしめる。


「やだ、嫌だ! 不魚住!」


 こぼれる。

 どんどん、こぼれる。

 強く抱いても、傷口を押さえ付けても、こぼれてとまらない。

 のっぽな不魚住の体から、どんどん、こぼれて抜けていく。


 血が。力が。命が。不魚住が。

 こぼれていく。


 嘘を暴くと息巻いた。

 正しくあるために――信号機の正確性を確かめるために、いまある信号を無視した。

 その道行きの正しさを願った。


 なにも賭けずに、なにも失わずに、達成できるだなんてどうして思っていたのだろう。

 対価。代償。それらを支払うときが来たのだ。


 ――不魚住が死んだ。

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