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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第二章 ポストクリスマス
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非同一性総合人格 ①

 嶽優衣子は、墓守になった。

 埋葬林。墓守のロッジで、俺は信じられないような話を聞いている。

 事故で前の墓守が死んで、それに巻き込まれた優衣子も死んだ。しかし、優衣子は新しい墓守として蘇ったというのだ。


 そして、優衣子には思い出がない。

 脳に記録されている“感情と結びついた情報”、それを思い出とするならば、墓守には思い出がない。

 一度死んで、墓守として蘇った優衣子は、思い出を消失した。


 墓守遺伝子とやらの影響で、死んだ優衣子の体は再構築され、脳に記録された情報から感情が削げ落ちた。紐付けが断たれた。

 それどころか、普段でさえも感情は抑制されるらしい。新たな思い出すら、獲得することはないのだという。思い出などという感傷的なものを持っていては、長寿である墓守のメンタルは崩壊してしまう可能性がある。それを防ぐための自己防衛機能だと考えられているらしい。


「だから、あなたのことは憶えていても、そこになんの感慨もない」

「なんだ、それ……」


 淡々と説明をしてくれた優衣子。

 あれほど墓守様が大好きだった彼女が、これほど落ち着いて説明できるはずがない。目を輝かせ、早口で、あふれ出る熱意を抑えられないはずだ。俺の知っている優衣子は、もう死んだ。それが現実か。いまここにいる優衣子は、墓守の優衣子。まったく違うものだというのか。


 ――僕だって、そうだよ。実感なんて持ててない。でも、受け止めていかなくちゃならないんだ――


 いつか、墓参用の社で、不魚住がそう言った。その言葉の真意に、俺はいまようやく辿り着いた。

 不魚住は、俺とはまた別の形で、厄介な現実を突きつけられていたのだ。やはり、不魚住は優衣子が生きていると知っていた。でも、それは不魚住の知っている優衣子じゃなかった。俺がいま突きつけられた現実に、俺よりも早く立ち向かっていたのだ。


 話したかっただろう。でも、馴鹿として、話すわけにはいかなかった。優衣子が生きている気がすると寝言を言う俺をなだめ、不魚住はひとりで現実と戦っていた。


 細長くて、頼りなさそうな不魚住。だけど、林宮を任された立派な宮司だ。ほかにも林宮で働いている人はいるけれど、いわゆる神職は不魚住だけだったはずだ。同じ立場だったとして、俺は頑張れただろうか。正直、わからない。不魚住の胆力には驚かされる。遅まきながら、俺も現時と向き合っていかなくてはいけない。


「そっか……。優衣子は死んだって、みんな俺にそう言った。本当だったってことか。もう、優衣子は死んじゃったのか……」

「そうかもね」

「なんで……、優衣子なんだよ」


 しまった。

 そう思ったときには、もう手遅れだった。ぽたぽたと涙がこぼれてきた。

 現実と向き合っていくと決意したそばから、これだ。自分が情けなくて、余計に泣けてくる。不魚住がたったひとりで、これを抱えていたかと思うと余計に泣けてくる。


「ふふっ……。巽は、けっこうすぐ泣く。泣き虫め」

「う、うるせえな」


 そこで、ハッとした。

 いまの優衣子の物言いは、俺の知っている彼女のものだった。

 涙に落ちた顔を上げると、優衣子の頭に花が咲いていた。白くて小さな、可愛らしい花だ。葬儀のときにも見た、花壇いっぱいに咲いていた花――ハカマモリの花。


「墓守って、花が咲くんだよね……。墓守になってみないと知れないこと、多い」


 また、優衣子の声は無表情に戻っていた。はらはらと、ハカマモリの花が散る。彼女は頭を軽くふって、花びらを落とした。


「いまの……」

「すぐ散るよ。感情が高ぶったときの熱量とか脳内物質とかを消費して咲く、と聞いた」

「いや、そうじゃなくて。まあ、それもビックリしたんだけど……」

「なに?」

「いま、すこし優衣子じゃなかったか?」

「ぼんやりしたこと言うな。すこしでいいなら、わたしはたしかに優衣子だよ」

「喋り方、俺の知ってる優衣子に戻ってた」

「気のせい。というか、喋り方なんて、変わってない」


 気のせいではない。と、思う。

 喋り方は変わっていないかも知れないが、感情はのっていたように思う。俺の知っている優衣子と、さっきの優衣子は一致した。懐かしい感じがして、目頭が熱くなる。

 もしかしたら、花かも知れない。ハカマモリの花が、ふたたび結びつこうとした感情を断ったのだろうか。


「それに」


 と、優衣子はロッキングチェアから立ち上がる。彼女の脚の間にあったライフルに気付いて、俺はいまさら狼狽した。ガスマスクに、催涙弾や発煙弾。それに赤いライフル。優衣子は――墓守は、いったいなにをしているのだろうか。


「それに、“俺の知ってる優衣子”って、なに? まあ、わたしも便宜上、“あなたの知っている優衣子”とは言ったけどさ」


 ライフルを立てかけ、優衣子は調理スペースでコーヒーを入れ始めた。俺はベッドから体を出し、端に腰かける。いつのまにか、外はもう明るくなっていた。


「えっと、そりゃあ、墓守になる前の優衣子だろ」

「巽のなかにはさ……。あ、巽って呼んでいい?」

「いいよ」

「巽のなかには、嶽優衣子という人間の人物像があるでしょ? それと、実際の嶽優衣子は同じだったかな?」

「え? それは、どうかな……。そう言われると、まったく一緒ではなかったんじゃないかなと思う……」


 俺のなかの優衣子という人間のイメージ。それは、実際の優衣子とは乖離していたかも知れない。

 そう言われると、たしかにイメージはイメージでしかない。頭のなかの人物像と、実際の人物との間にある距離は、ゼロにはならない。親子だろうと兄弟だろうと、同じだ。どれほど近付いたとしても、詰められない距離がある。


 つまり、優衣子が言いたいのは、

「お前に、わたしのなにがわかるっていうんだ」

 と、そういう話だろうか。そう言われてしまったら、俺はなにも言えなくなってしまう。


「まったく一緒ではなかったかも知れないけど、結局はそれも優衣子なんじゃないだろうか?」


 ケトルからお湯を注ぎながら、優衣子はそんなことを言い出した。

 予想と違う方向に話が進み、俺は面食らってしまった。


「ど、どういうことだ?」

「想像と実像が完璧に一致するわけがない。巽のなかの優衣子は、結局のところ、前の優衣子とは違う。とうぜん、いまのわたしとも違う。じゃあ、巽のなかの優衣子は、誰? 優衣子とは違う人間?」

「いや、うーん……。実像とは違うかもしれないけど、優衣子だと思う」

「うん。わたしもそう思う。わたし自身でさえ、知らない自分が見えたりする。わたし自身を含めた誰かのイメージしている優衣子は、どれもこれも実像とは違う。じゃあ、実像ってなんなのか、という話は置いておいて。前の優衣子も、いまの優衣子も、誰かのイメージの優衣子も、ぜんぶ別人。だけど、みんな優衣子。優衣子の枠からは決して外れないんだと思う。その枠が、非同一性総合優衣子という概念で――」

「ちょ、ちょっと待て。最後なんだそれ」

「ごめん。勢い余った」


 優衣子は、また花を咲かせていた。


「うーん。まあ、わからないではないけど、気持ちが散漫になりそうというか、寂しいというか、あまりにもドライな考えじゃないか?」

「そうかな? ぜんぜんドライじゃないと思う。むしろ逆だと思う。巽の脳があまりにもロマンチックすぎるのでは」

「いやいや、そんな馬鹿な」

「泣き虫ロマンチスト野郎」

「うるせえぞ!」


 俺は笑った。

 優衣子が普通に生きていたころと同じように、優衣子とくだらない話をして、俺は笑った。


 あぁ――。

 そうか。同じだ。なるほど。奇妙なほど腑に落ちた。安心した。


 前とか今とか、そんなこと、どうでもよくなった。

 俺のなかの優衣子も、墓守以前の優衣子も、きっと不魚住のなかの優衣子も、そして、いまここにいる優衣子も、みんな結局は優衣子なんだ。彼女の言う非同一性総合人格から外れることのない、優衣子なのだ。


「お前、優衣子だわ」

「そうなんだよ。わたし、嶽優衣子。はじめまして」

「あぁ、よろしくな。俺は外ヶ浜巽」

「知ってる。よろしく」

「ははっ。なんだこれ」

「わからん」

「……まあでも、よかった。本当によかったよ。優衣子が生きててくれて、俺は嬉しいよ」

「お、おう」


 もちろん、いま俺に温かいコーヒーをくれた優衣子は、墓守以前の優衣子とは違う。だけど、話してみると、いままでより感情の起伏が平坦なだけで、ただの優衣子だった。違うけど、優衣子だった。


「というか、なにが非同一性総合優衣子だよ。なんだそれ。お前の脳はオモチャ箱か」

「うるさい。そんなことない」

「袖口から、めちゃくちゃ花びら落ちてますけど」

「見るな。サタハラだし。まじで」

「なんだよ、サタハラって……」


 俺は思わず吹き出した。

 優衣子は薄っすらとだけ笑って、掃除が面倒だと愚痴をこぼしながら、花びらを払っていた。

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