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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第二章 ポストクリスマス
28/51

その瞬間のために

 なにもない。自己も存在しない。誰も知覚できない。命の終わり。覚めるはずのない眠り。

 しかし、優衣子は目を覚ました。


 体は、鉛になったかのように重い。思考は、ぼんやりとして焦点が定まらない。胡乱なまま、優衣子は傍らの気配に目を向けた。

 畳の上。少年が正座している。浅葱色の袴を着用した少年は、うつらうつらと、座ったまま舟をこいでいた。西日に照らされ、オレンジ色に染まる少年の短髪。その柔らかそうな髪に、優衣子は手を伸ばす。


「う……」


 出そうとした声はかすれ、優衣子は激しく咳き込んだ。しばらく捻っていなかった蛇口みたいに、げほげほと喉がカラ回る。


「あ! 起きた? 大丈夫?」


 そばで居眠りをしていた少年が、慌てて跳ね起きた。


「水。優衣子、水だよ。飲んで」


 少年は、優衣子に水を差し出した。グラスを噛み砕きそうな勢いで、彼女は水分を求める。


「ゆっくり。ゆっくり飲んで」

「ん」


 干上がっていた喉をうるおして、ようやく優衣子の頭は回り始めた――。


「あ、ありがとう」

「うん」


 ――そして、少年のことを思い出した。記憶に深く刻まれた、仲の良い友人だ。

 ただ、その記憶へのアクセスが、あまりにも客観的すぎた。まるで、嶽優衣子という人物に関する本を読んでいるようだった。嶽優衣子にまつわるあらゆることが、著者のフィルターを通して記されている。もちろん、著者は嶽優衣子である。そして、それを客観的に読んでいる読者もまた、嶽優衣子である。そのことに、彼女はすこしだけ戸惑った。


「不魚住……。わたしは、いったい、どうなったの?」

「ええと……」


 名前を呼ばれ、一瞬、顔が強張った不魚住。しかし、ぎこちなく、彼は微笑んで見せた。


「ひとまず、目を覚ましてよかった。体に違和感はない? 苦しいところは?」

「ある。とにかく、全身がだるい」

「そうだよね。数日間、眠ったままだったから。それに……いや、それは、徐々に良くなるはずだよ」


 そう、と呟いて、優衣子は横たわった布団から周囲を見回した。

 古めかしい和室。綺麗に掃除され、片付けられた部屋。普段はめったに使われないのか、物はほとんど置かれていない。生活感のない部屋だった。


「ここ、林宮の離れ?」

「うん」

「どうして?」


 優衣子の脳裏には、泣きじゃくりながら自分を殺した男が焼きついている。赤い装束の男。あのときの優衣子は、目がかすんでいて顔の造詣までは認識できなかった。それでも、はっきりと理解できたことがある。それは、彼が墓守様であること。そして、彼が突きつけた銃口の意味だ。


「わたしは、死んだはず」

「そ、それは……。僕のことは、憶えているんだよね?」

「ん? そりゃあ、憶えてるけど……」


 そこで、優衣子の眉間にしわが寄る。乱暴に千切られ、部分的に短くなった髪の毛の間から、白い花が顔を出した。


「憶えてる。憶えてるけど、なんていうか……うまく言えない」

「いや、いいんだ。大丈夫。それが、普通なんだ」

「なに、普通って? わたしは、どうして生きてる? 墓守様に撃たれたと思ってた。それとも、撃てなかったのかな、墓守様は」

「いや……、撃ったよ。たしかに優衣子は撃たれて、死んでしまった。でも、事故があって、先代の墓守様も逝去された」

「……どういうこと?」

「優衣子が、新しい墓守様なんだ」


 すこし目を見開き、不魚住を見つめる優衣子。その、驚きと困惑を含んだ彼女の表情は、みるみる色を落としていく。まるで、中身の少ない砂時計だ。引っくり返せば、たまった感情はあっという間に落ちていく。


「そうなんだ。いろいろ説明して」

「……わかった。その前に、連絡しなくちゃいけない人がいるから、もうすこし休んでて。食事も用意します」

「え……。はい」


 言い残し、不魚住はそそくさと部屋から去ろうとした。


「不魚住将――」

「え!? は、はい!」


 呼び止められ、驚いて振り返る不魚住。その顔を見つめる優衣子の表情には、なんの感情も見当たらなかった。


「――そう呼んでたよね、わたし。面白い名前だから、フルネームで呼びたいって思ってた」


 声を出さず、不魚住は静かに頷いた。


「また、そう呼んだほうがいいよね?」


 迷うように、大きく息を吸い込んだ不魚住。優衣子は、黙って返答を待った。


「僕は優衣子の友達で、林宮の宮司なんだ……」

「答えになってない。ように思う」

「ごめん……。どうぞ、墓守様の呼びやすいように」

「そう……。わかった。迷惑かけて、ごめんね、馴鹿」


 口を真一文字に結び、不魚住は部屋をあとにした。その後姿を見送って、優衣子は天井の隅っこへ視線を移す。


「間違えた。気がする」


 優衣子の呟きは、白い花と一緒に畳へ落ちた。




 ◆




「あの子、普通だったね」

「そうですね……」

「やっぱり、サンタちゃんは――外ヶ浜銀次郎は、特殊だった」


 墓守は思い出を持てず、感情も抑制される。

 新しく生まれた墓守である優衣子。彼女と顔を合わせた二森は、そこに銀次郎の面影を見つけることができなかった。


「これから、いろいろ大変だとは思うけど……」

「そうですね……」


 社務所の居間。

 二森の言葉が途切れる。出されたお茶が立てる湯気の向こう、不魚住の様子がおかしいことに気が付いた。


「ねえ、カリブー。平気?」

「そうですね……」

「おいおい」

「え……? なんですか?」


 ハッと、虚ろな顔を崩した不魚住。いままでの会話など、なかったかのようだった。まるで、スレイベルを鳴らされた人々のようだと、二森は思った。


「ちゃんと、トナカイの角、飲んでる?」

「あ……。今日は、まだ」

「ちゃんと飲んで」

「ニモリさん」

「どうした?」

「僕は、このまま――」


 不魚住の瞳から、大粒の涙が落ちる。


「――いっそ、忘れてしまいたいです」


 木目が美しい大きなテーブルに、不魚住の涙は落ち続ける。彼の許容の皿は溢れ、もう限界なんだと訴えているようだった。


「優衣子が……。どう接したらいいのか、わからなくて。巽に、なんて言ったらいいのか、わからない。僕は、どうしたら……!」

「な、泣くなよ」


 ――いっそ、AIKOに殺されていればよかった――


 二森のなかで、不魚住と自分の弟がオーバーラップする。いまでは、名前さえ言葉にすることのできない弟。二森が認識できない二森の名前を呼ぶ、年老いてしまった弟。


「泣かないで、カリブー。ねえ、泣かないでよ。わたしまで……」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「……くそっ。謝るのは、もっとダメだぜ。カリブーが謝ることなんて、ないんだから」


 取り出したハンカチで不魚住の目元を拭い、二森は優しい声で語りかける。


「わたしはさ、カリブーの辛さを真に理解することはできない。その辛さも痛みも、カリブーだけのものだから。わたしはカリブーじゃないから、持ってあげることができないんだ。どれほど難しくても、その悲しみを乗り越えられるのは、カリブーだけ。他人には、ぜったい無理なんだ。どうしたって、他人事。責任なんて持てるはずがない。別人である以上、方法がないんだ。でもね――」


 幼い頃、怪我をして泣きじゃくる弟にそうしたように、二森は不魚住の頭を抱き寄せる。


「――このまま忘れたら、きっと後悔する。辛さや痛みを乗り越えるチャンスを失ってしまうんだぞ。なにもかも憶えてなかろうと、忘れてしまったら、きっと後悔する」


 余計に涙が止まらなくなった不魚住を見て、複雑な笑みをたたえる二森。彼女は内ポケットからタバコを取り出し、かるく口にはさんで火をつけた。


「わたしはね、甘いんだ。甘ったれのクソガキなんだ。父親代わりみたいな人に、よく叱られた。なのに、いまでも直らないみたい。いつか、わたしはカリブーの敵になるかも知れない。でも、甘ったれのクソガキだから、わたしはカリブーが泣くと辛い」

「それは……、なんの話ですか?」


 へへっと、二森は笑うだけ。

 不可解そうに見つめる不魚住に、彼女はタバコを向ける。


「もし、わたしが敵になったとき、なにもかもを忘れていたら、カリブーは闘うこともできない。そんなのは嫌でしょ?」

「ニモリさんは、僕の敵になんてならない」

「ありがと。でも、そうとは限らないんだよね。敵と味方の線引きなんてね、あっという間に変わってしまうことがある。その瞬間のために、カリブーは、いまを乗り越えなきゃね」


 薄い緑色の煙をあげるタバコ。不魚住は、二森に頷き返し、それを受け取った。


「ニモリさんのほうが、後悔するかも知れないじゃないですか。なんのことかはわかりませんけど、敵だとしたら塩を送ったことになります」

「そうだね。でも、もし後悔することになったとしたら、甘ったれのわたしには、似合いの結果だよ」

「……ありがとうございます」


 タバコを勢いよく吸い込み、激しく咳き込む不魚住。それを、二森は微笑んで見つめた。いまにも泣き出しそうな、複雑な笑みだった。

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