本屋さんのお仕事 ② /鬼沢晃
四季ノ国屋超時空支店、観測所。
四季ノ国屋標準図書番号――SSBNを作業員に伝える。それを聞いた作業員が端末を操作し、ゲートを起動。しばらくすると、本棚のような見た目のゲートが、奥から自動で運ばれてきた。機械式の立体駐車場で、待機場所に車が出てくるのに似ていた。
これから出発する書店員、戻ってきた書店員。いくつもある待機場所は、書店員でいっぱいだ。それに比例するように、たくさんの作業員があちこちを走り回っている。観測所がいちばん慌しくて忙しいというのは、本当だなと思った。
運ばれてきたアンティークな本棚を見る。正面の空間がたわんでいて、本棚が歪んで見えた。
このゲートの向こう側は、四季ノ国屋書店のバックヤードになっている。すでに開店作業が行われたあとなので、いきなり砲弾を撃ち込まれたりすることはないだろう。
「それじゃ、お先に」
「はい」
常盤坂さんが、軽い足取りでゲートをくぐった。水がはねるように、空間が波打つ。
二森さんに頼まれた仕入れ作業は、俺ひとりで行うつもりだった。でも、まだ新人だからと、常盤坂さんが同行を申し出てくれた。とくに断る理由もないし、心強い。
「どうぞ」
作業員に促され、俺は一歩前に出る。そして、腕に装着した八九二を確かめた。これがないと、移動負荷で大変なことになる。
八九二に表示されている時刻は、午前十時三十分。今回の物語世界は、四季ノ国屋標準時間――SSTと変わらないので、時計合わせは必要なかった。
「いってきます!」
「はい。お気を付けて」
作業員の会釈とともに、俺はゲートに体を投げ入れた。
水の壁を突き抜ける。そんな感覚。思わず息を止めた。
飛び込んだゲートと、向こう側のゲート。その間にある一瞬の場所。水中のような、得も言われぬ静寂と薄闇の場所。
向こう側にたどり着く前の、ほんの一瞬。足元には、真っ暗な底がある。底、と言っていいのかわからない。ただただ、暗闇がどこまでも続いている。俺は、その真っ黒な場所が怖かった。一瞬だし、そこに落ちることもないだろう。見なければいい。だけど、妙に気になってしまう。ゲートをくぐるとき、俺はいつも下を見てしまう。真っ黒な底なしを見てしまう。
水の壁を突き抜けると、紙とインクの香りだろうか、本屋さん独特の匂いがした。蛍光灯の明かりに照らされ、大量の本がラックに収まっている。四季ノ国屋書店のバックヤードだ。
「ふぅ……。物語世界間の移動は、なかなか慣れませんね」
「そう? すぐ慣れますよ」
パソコンが置かれたデスク。その椅子に腰かけて、俺を待っていた常盤坂さんは、穏やかな笑顔でそう言った。
「さっそくだけど、収集プログラムを起動しましょうか」
言いながら、常盤坂さんはパソコンを操作する。俺の後ろで、たわみが消えた。ゲートを一時的に閉じたのだ。
「これって、どういう仕組みで小説を集めてるんでしょうね」
俺は腕の八九二を操作しながら、常盤坂さんに尋ねた。決まった手順でボタンを押すと、ディスプレイ部分に文字列が走る。そして、八九二が一度だけ緑色に光った。収集プログラムが起動した証だ。
「仕組みとかは、わたしにも分からないんだけど――」
常盤坂さんのハチクニも緑色に光る。
「――例えるなら、ネット上のデータをダウンロードして、オフラインでも参照できるようにする、というイメージらしいですよ。近隣で発生しているストーリーを検知して、一時的に収集。そのなかから、書店員が欲しいストーリーを選んで、メインに据えて追跡。ほかは破棄」
「なるほど。すると、ストーリーはなにかしらのデータとして世界に存在するってことですよね。無線通信みたいにアクセスして、データを獲得。それを支店に戻ってから編集して、一本の小説にすると。うーん、オーバーテクノロジー……」
「わたしたちみたいに、標準世界から来た人間からすれば、そういうものだと納得するほかないですよね。しかも、ストーリーによって文体が変わったりしますから。どういうこっちゃ、ですよ」
「たしかに」
八九二は、近隣で発生しているすべてのストーリーを自動で収集する。いくら文字のみとはいえ、データ量が膨大になるため、範囲は狭いし、古い順に破棄される。だから、定期的に確認する必要がある。
「どんなジャンルにしましょうか、鬼沢くん」
常盤坂さんは、外した八九二をデスクに置き、プロジェクタのように壁に映像を出力する。
「さっそく、いろいろ集まってきてますね。恋愛ものが多い。秋だからかなー」
「ははっ。季節とか関係あります? 常盤坂さん、占いとか好きそうですね」
「なにそれ。占いとか関係ある? ねえ、鬼沢くん、ホラーもありますよ」
無表情になった常盤坂さんは、映像にそって壁をタップ。ジャンルからホラーを選択する。
「いや、ホラーはちょっと……。まだ危険なのは、お腹いっぱいです。帰還不能にはなりたくないですし」
「ミステリは? これとか、どうですか?」
「え。ミステリも死ぬ可能性モリモリですよね……。あれ、なんか、怒ってます?」
「なんで?」
「え、いや……あの」
やばい。
二森さんが青い顔で常盤坂さんを恐れていた理由が、なんとなくわかった。彼女は怒ると、とても怖い。なにがどう怖いのかうまく表せないが、新品の剃刀みたいだ。鋭くて緊張してしまう。
「ま、まあ、実は俺も好きなんですよ、占いとか。ええ、ホントに……」
「あ。そうだそうだ。日本国外に出れば、戦争ものもあると思いますよ。リベンジどうですか? 鬼沢くんだけで」
「いやあ、ちょっとそれは……。ごめんなさい。馬鹿にしたような言い方をして、本当にすみませんでした」
穏やかな笑顔に戻り、俺を見つめる常盤坂さん。もはや言葉も出ず、ただ涙目で見つめ返す俺。
「ぶふっ」
常盤坂さんは、口を押さえて吹き出した。
「ごめんなさい。あまりにも見事にオロオロするものだから、つい面白くなってしまって」
「か、勘弁してくださいよ。二森さんに負けず劣らずじゃないですか」
「ごめんねー……ふふっ。ふふふふ」
まだお腹を押さえて笑っている常盤坂さん。よほどツボにはまったようだ。新たな一面を見た気がする。
「あ! そうだ。常盤坂さん、コメディにしましょうよ。ラブコメとかどうですか? 好きですか?」
「良いですね。好きですよ。そうしましょうか」
壁に映った小説のカテゴリのなかにも、ラブコメはいくつかあった。ラブコメに限定して、もっとそれらしい場所に出かけることになりそうだ。
「やっぱり、ラブコメといえば学園ものですかね? 常盤坂さんは、どういうのが好きですか?」
「わたしは、オフィス系が好きですかね」
「なるほど。いろいろ回ってみましょう」
「うん。そうしましょう」
そこで、俺は自分の八九二を確認する。収集プログラムをラブコメ限定に設定しようとしたのだ。
「あれ?」
一瞬、ディスプレイに見慣れない文字列が流れたように思えた。収集プログラムは、なんどか研修でも起動した。いま流れた文字列は、いままで見たことがないように思う。
「鬼沢くん? どうかしました?」
「なんか、いま……収集プログラムとは、べつのプログラムが走ってたような……」
「え? いつからだろう……。変な操作しました?」
「いえ、ぜんぜん」
顔を見合わせ、二人で首を傾げていると、バックヤードの倉庫に男が入ってきた。
「あぁ、いらしてましたか! いきなりで申し訳ないんですが、なにかしましたか!?」
細越、と書かれたネームプレートを付けた書店員が、大慌てで俺たちに尋ねた。
「い、いえ。なにもしてないと思いますけれど……」
そう返すしかなかった。タイミングがタイミングだけに、すこしドキリとした。しかし、俺たちはなにもしていない。少なくとも、俺たち自身が能動的になにかを行ってはいない。
常盤坂さんも困惑した様子で、俺と細越を交互に見ていた。
「なにか、あったんですか?」
尋ねてみるが、細越は煮えきらぬ様子で言いよどんでいる。
「まだ、関係あるともないとも、なんとも言えないんですが……」
「はい。なんでしょうか?」
「木が……」
「木?」
「あんな奇妙なことが、自然に起きるわけないんですよ。木が生えるなんて……」
細越は頭を抱えてしまった。木は生えるものだし、別段おかしな事態とは思えない。
「落ち着いて――」
それまで黙っていた常盤坂さんが、立ち上がって細越の肩に手を添える。
「――きちんと説明してください」
「きちんとって言われても……。えっと、私は買い物のために、地元の商店街に行っていたんです。食料の買出しです」
「なるほど、ご飯は大事ですね。それで、そこでなにかが起きた?」
「はい、見たんです。木が生えてました。帰り際に、市民病院の横を通ったんです。そしたら、病院から木が生えてて……」
「病院から木が? 敷地に生えているというわけではなく?」
「そうです。病院の建物のなかから、木が生えていたんです。おかしいでしょう? ここは標準の物語世界ですよ? 病院の職員たちが、地下がまるで森みたいになってきたって、慌てて……」
標準物語世界――。四季ノ国屋の本店がある世界。そこと変わらない世界観を有した物語世界のことだ。
俺と常盤坂さんの出身もそういう世界だ。だから、わかる。病院から木が生えるなんてことは、ないはずだ。それこそ、自然に起こるわけがない。ましてや、森のようだというほどの木が、地下から偶然に生えてくるなんて、起こりえないだろう。
「お二人とも、ホントになにも知りませんか?」
細越はすがるように俺たちを見たが、ただ首を横にふることしかできなかった。
「とにかく、いったん落ち着きましょう。――鬼沢くん。悪いんだけど、支店に戻って、観測所に確認してもらえますか? なにか感知しているかも知れません」
「わ、わかりました」
この書店は、ゲートとゲートを安定させるアンカーでもある。支店に戻るためのゲートは、パソコンの操作ですぐに開く。俺はパソコンに飛びつき、所定の操作を実行する。
「あれ?」
応答がない。
アプリケーションがビジーになっているわけではなさそうだった。快適に動く。ゲート開放のリクエスト。その操作自体は受け付けるが、それだけ。そこから先、支店からの応答がない。本棚のようなゲートが、観測所で動き出したという応答がこない。
「応答がないのか、そもそもこちらのリクエストが届いてないのか……」
「鬼沢くん、どういうことですか?」
「ゲートが開きません」
「そんな……」
「なにしやがったんだよ、お前ら!」
常盤坂さんを突き飛ばし、細越は声を荒げた。
「あの木はなんだ!? ゲートが開かないってなんだよ!? 閉じ込められたってことか!?」
「落ち着いてください。ただの不具合ですって。すぐ直りますよ」
「ええ、そうです。彼の言うとおりです。そこまで取り乱すことではないですよ」
「じゃあ、なんだよ……? なんだっていうんだよ!?」
「きっと、ちょっとした不具合ですよ」
泣きじゃくり始めた細越は、よろよろと尻餅をついた。まるで、ししおどしだった。竹筒に溜まった水が流れ出て、竹筒の尻が石を叩く。そんな音がした。
細越が尻餅をついたとき、ししおどしの音がした。乾いた木を叩いたような、そんな音だ。
「じゃあ、なんだよ……。なあ、これはなんだ? 取り乱すことなんて、ないって?」
エプロンをはぎ、シャツをたくし上げた細越。彼の体は、樹皮に覆われていた。きしきしと音を立て、いままさに成長しているかのようだった。わき腹から萌芽し、小枝が生えてくる。
「と、常盤坂さん、これは、いったい……!?」
「わからない。わからないよ……」
そのとき、この世界全体が、たわんだ気がした。
「いぃぎぃあああ!!」
細越が絶叫し、根をはった。
「な、なにが……。なにが起こってるんだ」
「もしかしたら――」
蒼白になった常盤坂さんが、ぼそりとつぶやく。
「物語世界崩壊……、かも知れない」




