サンタクロースが死んだ夜に ② /■■■■
「銀次郎! ニモリさん!」
ホースを掴んで車庫に戻った馴鹿は、水道の栓をひねっていなかったことに気が付き、内心で舌打ちをした。しかし――。
「止められなかった。ごめん、カリブー。……ごめん」
「そ、そんな……」
――もう、手遅れだった。
トナカイの角の毒性にやられた墓守は、錯乱状態に陥る。ゆえに、訳あって墓守を殺害する際は、ストレッチャーなどに固定して行われるべきものだった。
車庫の外で馴鹿が聞いたのは、錯乱した銀次郎の怒号と、マークスマンライフルの発砲音だった。
銀次郎はライフルをくわえ込み、引き金を引いたのだろう。ストレッチャーから落ちた優衣子の遺体に重なるようにして、倒れていた。呆ける馴鹿と、シャッターに背を預けた二森。ふたりのほうへ投げ出された銀次郎の足は、ぴくりとも動かない。
朱色のライフルが、流れてきた血に濡れる。変形した弾頭と、空薬きょうが馴鹿の足元に転がっている。その弾頭に、銀次郎の長髪が、鉛の変形に巻き込まれて絡まっていた。
圧倒的な死の気配。とぷり、と空薬きょうの中に血が入り込んだのを見て、馴鹿は意識が朦朧としていくのを自覚した。
「カリブー。いったん座って、目を閉じて。過呼吸みたいになってる」
二森の声は、馴鹿には届いていない。よろよろと、覚束ない足取りで二つの遺体に向かって歩き出した。
優衣子のものか、銀次郎のものか、判然としない血溜まり。子供の水遊びのように、あちこちに飛び散っている。馴鹿はふたりの遺体を見下ろし、くしゃっと顔を歪ませた。やがて、ごそごそと、壁をこすり始める。その壁には、銀次郎の頭部――その破片が、噴射されたかのようにへばり付いていた。
「やめるんだ、カリブー。いますぐ眠れ。あとのことは、わたしに任せて、なにも考えずに寝るべきだ」
「集めなきゃ……」
うわ言のように呟いて、吹き飛んだ頭の破片をかき集める馴鹿。
「無理。無理なんだよ。カリブー……。だから、もう……」
「わかってるよ……!」
焦燥にかられていた馴鹿の頭が、思わぬ二森の涙声に、落ち着きを取り戻し始める。
馴鹿も、ある程度までの知識は持ち合わせていた。
国葬連の実験によれば、たとえ五体四散したとしても、足りないものまで掻き集めて、身体が修復するという。墓守が視認できるという粒子が、身体修復に関係していると推測されていた。しかし、トナカイの角を摂取した墓守は、その限りではない。細胞やDNAを破壊され、やがて生命としての機能を停止するのだ。
「だったら……! カリブー、おねがい。やめよう? ね?」
壁をこする馴鹿の手が、止まった。
「わかってますよ。僕にだって……。一緒に連盟で講義を受けたじゃないですか」
「そうだね。カリブーは、わたしと違って優秀だった」
致死量でなくとも、トナカイの角の大量摂取は、墓守にとっては危険である。細胞の正常な修復が難しいほど、DNAが破損する。それでも、軽傷であったなら、損傷箇所が致命的でなかったなら、まだ修復の見込みはあったろう。しかし、中身がほとんど空になるほどの頭部の損傷は、修復など見込めない。
「銀次郎は、自分をカラスと言いました」
二森の碧眼は、大きく見開かれた。出ようとした言葉は、吐息と消える。
「そうじゃないって。カラスなんかじゃないって。銀次郎は人間だよって、伝えなきゃいけなかった。僕たちと、そんなに変わらないって……。あんなに思いつめてたなんて、気付かなかった……!」
馴鹿は二つの遺体の前で、くずおれた。
「わたしのせいだ。わたしが余計なことを言ったから。べつに、人間である必要なんてない。言葉をかわして、互いを理解しようと努められるなら、心を持つカラスだっていいじゃないか、って。かわせる言葉があるんだったら、それでいいじゃないか……って、わたしは言いたかったんだ」
くしゃっと、赤く濡れた金髪をつかみ、二森は吐き出すように、知られたくなかった懺悔のように、言葉を搾り出した。
「それ、もっとはやく聞きたかったと思いますよ。茶化さずに、きちんと言うべきだったんだ」
珍しく、すこし怒気を含んだ馴鹿の声。
「ホントに、ごめん。わたしが追い詰めたようなものだ……」
「あっ……。いえ、それは僕も――」
きしっ。
と、軋むような、すれるような音。瑞々しい樹木の柔肌が、身じろぎをするような音。
「……なんの音?」
「な、なんでしょう……。まるで、遺木が成長するときみたいな……」
不意に、馴鹿の手の中でなにかが蠢いた。ずるり、という肌を這う感触に、馴鹿は悲鳴を上げて自分の手のひらを覗き込んだ。
「こ、これって……!?」
我を失いかけ、かき集めた銀次郎の頭部の破片。血液や灰白質などが、ずるずると、なにかに引っ張られるように移動を始めた。
「たぶん、墓守の身体修復……じゃないよね、これ。死後の身体再構築じゃないか!?」
「え? それって、つまり……!」
二森の言葉に、馴鹿は息を呑んで振り返る。移動しているのは、銀次郎の肉片だけではなかった。
「カリブー! そっちのドア閉めて!」
言い放ち、二森は寄りかかっていたシャッターを叩き下ろした。
「は、はい!」
「余計なものは混ぜたくない!」
ずるずると這うように移動する、血液や肉片。なかには、空中を浮遊しているものまであった。幾筋もの破片の大移動は、死体袋で横たわっている嶽優衣子に収束していた。
周囲がやや緑色の薄明にかすんでいるような気がして、馴鹿は震えた。墓守の見ている景色。墓守の視界。その一端に触れ、畏れを抱かずにはいられなかった。
社務所へのドアと、外へのシャッターが閉じられ、車庫の中は握り締めたような静寂に包まれた。
静寂と薄明のなか、渦巻く肉片。それらが、口や鼻、目や耳、額の穴から、嶽優衣子の中に吸い込まれていく。
ぐちゃぐちゃと水っぽい音。そして、きしきしという樹木の絡むような音。馴鹿と二森は、閉じられた空間のなかで、この世のものとは思えない音を聞いていた。
「優衣子が……。そんな。優衣子が……」
「そっか……。そっかそっか……」
馴鹿も、二森も、高揚と動揺がない交ぜになった、えも言われぬ表情になる。
「カリブー。いまここで、新たな墓守が誕生しようとしてる……!」
[interrupt request]
[hideout669]
「変異異常個体の死亡、および新たな異常個体の発生を確認。
変異異常個体の亡骸の処遇を請う。
また、今回の件によるハザードの兆しは確認できない」
サークル構成員No.669からの報告
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