優しい収奪者 ② /外ヶ浜銀次郎
「サンタクロースなんて、いるわけない」
嶽優衣子は、墓守など信じていなかった。
「なんでそういうこと言うの!?」
「サチコは子供っぽい」
「優衣子ちゃんだって、子供じゃん!」
「うん。子供だよ。でも、サチコは、子供っぽい子供だよ」
「意味わかんないよ!」
小学校の体育館。友人であるサチコと喧嘩してしまった日。やけに体育館の天井が高く感じられて、照明が眩しかったことを優衣子は憶えている。その日を境に、優衣子の日常は姿を変えてしまった。
「優衣子。ランドセルどうしたの、これ? もしかして、イジメられてるの?」
「ぜんぜん。めいよのふしょう」
「あんた、意味わかって言ってるの?」
母に問われても、優衣子は強がった。中途半端に強かったからだ。
無視されるくらいでは音を上げなかったし、ランドセルを水浸しにされても、怯まず実行犯の男子に踊りかかった。蹴られても、叩かれても、トイレに閉じ込められ、ものを投げ入れられても、優衣子は音を上げなかった。
「墓守様――」
ある日、優衣子は岩木林宮に赴いていた。
参拝用の社で、彼女は手を合わせる。相変わらず、墓守様など信じてはいなかった。しかし、“もしも”、ということを疑ったのだ。もしも、本当にサンタクロースがいたら、と。信じるのではなく、あくまでも、疑っただけだった。
優衣子は、あたりをきょろきょろと見回して、誰にも見られていないことを確認し、ぼそぼそとお願い事を呟いた。
「墓守様――。どうか、しつこいあいつらを、退治してください」
そのとき、境内に敷かれている砂利が音を立てた。優衣子は驚きのあまり、跳ね上がる。背後に立った人物を倒すしかない、とさえ思った。
「不魚住。ここって普通のごりえき、あるんだっけ?」
「ご利益ね。ないよ。まったくない」
「お前さー、もっとこう、なんていうの? ちょっとはあるよ、くらい言っとけばいいんじゃないの? おさいせん、増えるかもよ?」
「怒るよ、巽」
「お……。ご、ごめん」
「ここは、墓守様に感謝を捧げて、埋葬林の守護をお願いする場所だから」
「だってさ? お前、普通の神社の場所わかる? 連れて行こうか? というか、お前誰だ?」
「お……、お、お、おぅ」
優衣子は、中途半端に強かったが、初対面の緊張感にはめっぽう弱かった。
「お、お前こそ誰だ。し、親切にしやがって、なんのつもりか。まさか、ツツモタセか!?」
「なにそれ、わからん。まあ、いいや。俺は外ヶ浜巽」
「不魚住将です」
「あ……、はい。ど、どうも。嶽優衣子です」
のちの、“いつもの三人”が、初めて顔を揃えた日である。
「行こうか」
「ど、どこに!?」
「神社。どこの誰をどんな理由でやっつけたいのか。お願いは細かくな」
そう言って、なにも考えてなさそうに笑う巽。頭を抱えて呆れる不魚住。二人を見て、優衣子は思わず笑った。変なやつらだな、と笑った。
そして、その日を境に、優衣子の日常はふたたび姿を変えた。
岩木林宮で出会った彼らが、同じ小学校に在学しており、ことあるごとに優衣子の前に立ちはだかったのだ。
「俺はサンタクロース」
「ぼ、僕はトナカイです」
どこで手に入れたのか、サンタのコスプレをした巽と、トナカイのお面をつけた不魚住は、優衣子をイジメていたやつらを次々に襲撃していった。そして、ことごとく返り討ちにあった。二人は優衣子と共に、その後の小学校の数年間を、イジメ抜かれることとなる。
はたから見れば、犠牲者が三人に増えただけ。しかし、優衣子にとっては、ひとりだったときと比べて、苦痛は三分の一以下になった。それどころか、楽しいとさえ思える日もあった。
「え。墓守様……?」
そんな優衣子たちが、“三バカ”と呼ばれ初めていた、ある雪の日の夕方だった。林宮の境内は、一面が茜色に染まっていた。表参道に立ち上がる、巨大な一之鳥居。その陰に、優衣子は思わず隠れた。
巽たちと遊ぶ約束をしていた優衣子。遅れて林宮に到着してみると、巽が社務所の縁側に座っていた。茜さす雪景色のなかで、巽はぼんやりと虚空を眺めている。優衣子と不魚住を待っているのだろう。
しかし、いつもの三人とは違う人物が、巽の隣に座っていた。白いファー付きの赤い装束を着た青年。黒い革ベルトで、上着を腰の位置で止めている。長い髪を一本に結わいているその人物は、どこか巽と雰囲気が似ていた。優しく巽を見つめる眼差しは、兄のようであり、父のようでもあり――。
優衣子は確信した。巽はどうやら気付いていないようだったが、きっと彼はいつも巽を見守っていたのだと。
ひとりぼっちの日々を変えてくれた、巽と不魚住。サンタ姿の巽と、トナカイのお面をつけた不魚住。そして、尋常ならざる赤い装束の男。彼らの姿が、優衣子のなかで重なり合う。
巽を優しく見守る青年は、墓守様である。
優衣子は、そう確信した。
そして、その日を境に、優衣子は墓守様が大好きになった。
◆
顔にしたたり落ちる温かいものを認識して、優衣子は目を覚ました。
優衣子の視界は暗かった。夏の青空と入道雲をさえぎるように、赤い男が立っている。透明な雫と、赤い雫を、それぞれ顔と手からこぼして、赤い装束の男が立っている。
「あ……。泣いてるの? 墓守様、つらいの……?」
優衣子は笑った。やはり、墓守様は実在したのだと。
本来は春先であるはずの季節は、まるで真夏の様相を呈している。いまにも蝉の鳴き声が聞こえてきそうだった。ここは死者の森。すべては、真実だったのだと。
「そんな顔をしないでくれ。俺はお前を殺すものだ。お前を愛している者から、根こそぎお前を奪い取るものだ」
赤い男から落ちる雫は、透明度を増した。
「馴鹿は……、知ってるんでしょ? なら、いいの……。これで、いいんだと思う」
こほっ、と咳き込んだ優衣子の目は、もう見えていなかった。彼女から流れ出た血は、そばで横たわる一級河川へと注がれている。
嶽優衣子は、もうすぐ死ぬ。血を流しすぎた。胴体に風穴を開けて、苦しそうにしている呼吸も、まもなく止まるだろう。
「ごめんな。下手くそで。本当に……ごめんな」
赤い装束の男――銀次郎の右目に、白くて小さな花が狂い咲いた。いくつも、いくつも、彼の体のあちこちで、榊に似た花が顔を出す。
「あぁ、そんな。泣かないで。泣かない……で。優しい墓守さ……ま――」
額にあてられた銃口が、優しく火を噴いた。優しく微笑んだ少女の頭を、吹き飛ばした。




