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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第一章 ロストサンタクロース
17/51

殺意の証明 ① /外ヶ浜巽

 時刻は二十四時をまわった。

 静まり返った公園は、自分の足音や呼吸音さえ驚くほど大きく響く。

 埋葬林の北東。その広い公園で、俺は乱れた呼吸を整えていた。家から走ってきたら、思った以上に息が上がってしまった。帰宅部の浅い底が見えた。

 大きく呼吸するたび、ウィンドブレーカーが擦れて音を立てる。寒いかも知れないと、羽織ってきたものだ。


「ミスったな……」


 公園から、かすかに見える埋葬林。街灯の明かりでぼんやりと浮かび上がる死者の園は、激しい吹雪に見舞われていた。厚手のコートを持ってくればよかったと後悔した。


「まあ、いいか」


 いまさら、家に戻る気も起きない。

 俺は左腕の時計を確認する。

 時刻を気にしたわけじゃない。祈るように、すがるように、これからの道行きの正しさと成功を、憧れの腕時計に願った。


 ――埋葬林を目指せ。中心部にあるという御神体に接触しろ――


 いいだろう。

 やってやる。そのさきに、優衣子の真実があるのなら。優衣子がいるのなら。法に裁かれようとも、俺はやってやる。


 リュックサックのサイドポケットに手をやり、そこに収めたハンドライトを確かめる。おそらく埋葬林は暗闇だ。これがないと、まともに歩けないだろう。


「ふふっ……」


 埋葬林でまともに歩こうとしている自分に気付いて、思わず鼻で笑ってしまった。

 でも、いい。すこしだけ、緊張がほぐれた。


 穴の開いたコンクリート塀のような遊具から、預けていた背中を起こす。埋葬林の北東。国道を挟んだ遊歩道の向こう側に、堀を越えるための橋が見える。ひとまず目指すのは、その橋の終わりに立つ鳥居だ。


 鳥居をくぐれば、きっとすべてが大きく変わる。なにが、どういうふうに変わるかはわからない。出たとこ勝負だ。傾いでいる俺の現実が、ついに引っくり返るかも知れない。だけど、傾いだままの現実を歩くより、いっそ引っくり返ったほうが歩きやすいかも知れない。

 俺は鋭く息を吐き出して、鳥居に向かって走り出した。


 と、いきなり出鼻を挫かれる。

 国道にさしかかったところで、車のヘッドライトが近付いてきたのが見えた。

 時刻が時刻だけに、学生の俺では補導されかねない。ヘッドライトに背中を向けるかたちで、公園沿いの歩道をゆっくりと歩き出した。この車一台、やり過ごさなければならない。


「まったく……、タイミング悪いな」


 たまらず、悪態が口からこぼれた。


 車はすぐ後ろまできている。背後から強くライトを浴びせられ、自分の影が歩道に焼き付きそうだった。そして、信じられないことに、車は俺を追い越さない。減速した。


 待て待て。もしかして、警ら中のパトカーか。いや、それにしては主張が薄い。以前、夜に出歩いて怒られたときは、もっと横まで近付いてきた。こんばんは、とでも言いそうな具合だった。そして、なにより、赤色灯が見えなかった。


「ふー……っ」

 緊張感を吐き出すように、細く長く息を吐く。


 止まった。

 俺のすぐ後ろで、車が止まった。歩きながら背後をうかがったが、ヘッドライトが眩しすぎて、なにも見えない。まるで目潰しだ。

 やがて、誰かが降車したのか、ドアが閉められる音が聞こえた。


「止まって」


 鋭い声。

 剣呑な女性の声。

 俺は無視を決め込んで、そのまま歩き続ける。


「そっかそっか。まあ、いいけどね。そのまま帰るなら」


 声。喋り方。俺はハッとして足を止める。


「ダメだよ、巽くん。埋葬林に入ろうっていうなら、わたしは君を殺す」

「……二森さん。眩しいです。ライト消してください」


 振り返り、腕で明かりを遮りながら、俺は彼女に話しかけた。

 堀を越える橋は通り過ぎてしまった。隙をついて埋葬林に駆け込むのならば、暗緑色の水に飛び込まなければならない。堀の深さは。岸までの距離は。ヘッドライトでやられた視界では、目算も立てられない。危険だ。

 なにより、「殺す」などと事もなげに言い放つ二森さんが、危険だった。


 ふっと、ヘッドライトが消える。

 まばたきを数回繰り返しているうちに、俺と埋葬林の間に入るように、二森さんが移動してきた。行かせまいと、立ちふさがる。


「どうしてですか、二森さん?」

「なにが?」

「どうして、俺が埋葬林に入ろうとしていると思うんですか。どうして、この広い埋葬林で、俺のいる場所が特定できたんですか。どうして、止めようとするんですか」

「最初の二つは勘と偶然。最後は、法律違反だから」

「最初の二つは、異様に勘が鋭いんだとしても、最後は嘘ですよ。二森さんは警察じゃないでしょう」

「国葬連だからね、わたし。埋葬林に入ろうとしているなら、いちおう止めないと」

「殺してでも?」


 二森さんの返答はない。ただニタニタと笑うだけだ。

 なんなんだ、この状況は。止めに入ってくるのなら、不魚住だと思っていた。どうして、二森さんが現れるのか。


「警察だって、いきなり殺しにかかったりしない。それなのに、国葬連がそんなことするわけない。二森さんは嘘つきだ」

「警察はいつも後手だからね」


 怖い。

 背は高いけれど、細身の二森さん。怪力には見えない。

 しかし、身じろぎすら許されない緊張感がある。下手に動いたら、素早く首を引っこ抜かれそうだ。


「いや。それにしたって、いくらなんでも、やる気まんまん過ぎますって」

「そうかな?」


 二森さんの髪型は、いつものおかっぱ頭ではなかった。サイドの髪を後ろに持っていき、後頭部で結んでいる。視界が確保できて、明らかに動きやすそうだ。

 上は、肘当ての付いた黒い長袖ニット。重そうな防弾チョッキのようなものを重ねて着ている。下は、横に大きなポケットが付いた黒いズボン。その片脚には、腰と繋がったホルスターが巻き付いている。そして、足元は黒くてごついブーツ。まるで、映画やドラマから出てきたような格好だ。


「そうですよ。なんですか、その格好」

「趣味なの」


 うそつけ!

 どう考えても、戦闘準備万端じゃないか。


「巽くんは、なかなか小賢しいね。ちょっと嫌いかも」

「前と逆のこと言ってますよね」


 二森さんは、脚にくくり付けたホルスターから拳銃を抜く。

 まさかとは思っていたけれど、本当に拳銃が収まっていた。本物だろうか。見分けがつかない。暗がりであることもそうだけれど、本物を直に見たことがない。俺では真贋がわからない。ならば、本物だと思ったほうが安全か。


「ねえ、巽くん」


 二森さんは、にこにこと微笑みながら俺に話しかける。


「いますぐ立ち去って欲しいなー。そして、もう二度と埋葬林には関わらないで欲しい」

「どうしてですか?」

「そうしてくれないと、わたしは君を殺さなくちゃいけない。できれば、そんなことしたくない」

「どうして、わざわざ殺すんですか? 通報じゃ駄目なんですか?」

「警察は後手だって言ったでしょ。埋葬林に入る前に止めなくちゃ」

「どうして……?」

「わたしの都合」

「自分の都合で、人を殺すんですか?」

「意外と、いるもんだよ。他人にとっては取るに足らないもののために、人を殺せる人間」


 ミスった。

 そう思った。吐くべき言葉を間違えた。二森さんの声が、恐ろしいほど低くなった。

 殺す気がないのなら、少なくとも隙を見て埋葬林へ走ることはできる。しかし、本当に殺してでも止めようというのなら、背中を撃たれて俺は死ぬ。

 いったい、どちらなのか。本気なのか、ただの脅しか。それを探ろうとして、本気にさせてしまったかも知れない。本気とハッタリの間にいた彼女の背中を、押してしまったかも知れない。


「消音器ってさー、殺意の証明になると思わない?」


 二森さんは、黒い円柱状のものを取り出し、拳銃の先端に装着し始めた。ゆっくりと、俺に見せつけるように。

 サプレッサーだったか、サイレンサーだったか。いずれにしろ、拳銃とほぼ同じ長さのあれは、発砲音や発射炎を抑えるものだ。


「ただ脅すだけならさ、これ、要らないもんね。威嚇射撃するときもさ、大きな音するほうが効果的だよね。わざわざ、ただの脅しに消音器は使わないよねー」

「そうですか? やっぱり、ただの脅しだと思いますけどね」

「あれ、そうですか?」

「はい。いまの台詞自体、強烈な脅しです。だから、逆にただの脅しである可能性が増しました」

「そっかそっか……。巽くんはホントに小賢しいぜ。ねえ、わたしと一緒に来ない?」

「ど、どういう意味ですか?」

「埋葬林のことも、墓守様のことも、友達のことも、家族のことも。すべてを捨てて、わたしに協力して。そうすれば、わざわざ君が探らなくても、すべてを説明するし、殺されなくて済むよ。逆に、わたしが君を全力で守ってあげる。君のために、世界だって敵にまわそう」


 思いもよらない球を投げてよこされ、俺は一瞬黙ってしまった。


「……な、なんなんですか、いきなり。プロポーズ気味の魔球、投げてこないでくださいよ」

「う、うるさいな。そんなんじゃないし。……それで、どうなの?」


 目的がわからない。

 二森さんは、なにがしたいのだろうか。

 どうして、俺なのだろうか。


「ひとつ。すべて忘れたことにして、気にならないふりをして、静かに生きる。ふたつ。なにもかもを捨てて、わたしと同じ側に立つ。みっつ。埋葬林に駆け込もうとして、撃ち殺される。全部で三つ。やったー。選択肢が一つ増えたね。さあて、どうしよっか?」


 鬱陶しいくらい可愛く微笑んだ二森さんは、両手で握った拳銃を俺に向けて、選択を迫った。

 命を捨てる以外の二つは、ほかのなにかを捨てなくてはならない。

 どうするべきか。迷う。もうすこし時間が欲しい。ならば、稼ぐしかない。

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