心もつカラスの涙 ② /外ヶ浜銀次郎
「馴鹿、すまんな。すこしだけだ」
社務所のほうへ謝罪を投げて、銀次郎は死者の木でできたアーチへ飛び込んだ。
一瞬、銀次郎の視界は、目も開けていられないほどの光に包まれた。そして、直後には鳥居の真下の地面を踏んでいる。埋葬林の北東側に立つ数基の鳥居のうちの一つだ。
銀次郎は、埋葬林内のロッジから、埋葬林北東の鳥居まで、一瞬で移動した。
銀次郎の目の前の遊歩道や、広く施設された公園に人影はない。しかし、時刻は十九時を回ったばかりで、町にはまだ人の活気がうごめいている。銀次郎にとってその活気は、遠い友人の便りのように嬉しいのだった。
老化速度が著しく低下し、余命という貯金が莫大な金額になった。そんな銀次郎にとって、個人というものは、いつか先にいなくなってしまう存在に変わった。だからなのか、いつしか気が付けば、彼は町にうごめく人の活気を愛した。人の営みが愛おしいのだ。
そうした変化の果て、銀次郎は個人に抱く感傷は消えたものと思っていた。
しかし、先代の馴鹿の死や、その手で殺した墓荒らしなど、いくら人間から見れば化け物じみている銀次郎といえど、出会えば別れがつらいのは同じだった。同じ姿かたちをしたものを殺せば、どこかが痛むのは道理だった。
「不転化個体だって、ものを考えて、ものを思う。いったい、なにが違うっていうのかね……」
「カラスは人間だと思う?」
まるで、銀次郎の呟きに応じたかのように、背後から声がした。
ぎょっとして声のほうを振り返ると、街灯の明かりを避けるように二森が立っていた。黒いスーツとコートが闇にとけ込み、にわかに明かりがかすめるブロンドヘアーが浮かび上がる。
「あんたか……。驚かせるなよ」
「人は嘘をつくとき、極端に言葉数が少なくなる傾向にあると聞いた。やっぱりあのとき、サンタちゃんは嘘をついたよね」
――昔の知り合いに会いたくなっちゃうでしょ?――
――ならないね――
「それで、いまはどこに行こうとしてるのかな?」
「なんの話だかね……。いまは、ちょっと散歩中だ」
「ふーん。埋葬林と林宮から外に出るときは、カリブーに事前報告しないといけないんじゃなかったかな」
「そうだったかもな」
「カリブーには内緒の散歩ってことだね。いいじゃん」
二森は鬱陶しいほどニンマリとした笑顔を銀次郎に向ける。
「で、カラスは人間だと思う?」
「なんなんだよ、あんた……。まあ、カラスはカラスだろ」
「そうだね。じゃあ、我々には窺い知れないだけで、カラスに心があったとしたら? それは人間かな?」
「……なるほどね。それでも、カラスはカラスだな」
「そう。カラスだよね。サンタちゃんも、あの彼も、心を持つカラスなのさ」
心を持つ、死ぬと木になる人間。心を持つ、死ぬと朽ち果てる不転化個体。
「ものを思う心を持っていようが、ものを考える頭を持っていようが、害獣ならば殺しても気に病む必要はない、って話かね?」
今朝、二森に言われたことを思い出し、銀次郎はそう答えた。
「ん、まあ……。それも、そうかもなんだけどさ。人間である必要なんてないんだぜ、って話」
「はあ。よく、わからないな……。まあ、なんにせよ、変な気を遣わせてしまったかね。今朝といい、悪いな」
「うわー。サンタちゃんがわたしに謝るなんて……。珍しいものが見れた。ありがとう」
うるせえ、と苦虫を噛み潰す銀次郎と、口角を緩やかに持ち上げる二森。
「あんまり悩むなよ、若人よ」
「だから俺はジジイだって」
言ってから、銀次郎自身もあまり自分が老練な人物とは思えなくて、苦笑してしまった。
「その類の悩みは、こじらせると死人が出るぞ」
二森は内ポケットをまさぐり、トナカイの角でできたタバコを取り出すと、ぱきんと澄んだ音でジッポーを鳴らした。じりっと焼けた先端と、尖らせた二森の唇から、薄っすらと緑がかった煙が上がる。
「くせえな」
「あ、ごめんごめん。そろそろ退散するよ。サンタちゃんに死なれると、わたし困っちゃうから」
変に悩まないでね、と言い残して、二森は背中を向けた。銀次郎は言葉を返せず、曖昧な表情をする他なかった。
「あーっと、そうだそうだ」
と、二森は足を止め、肩越しに流し目をくれる。
「サンタちゃんは、世界五分前仮説って知ってる?」
「知らん。なんだそれ。村上なんとかか? それなら、こないだ読んだぞ」
「それは、『五分後の世界』かな。知らないならいいや。気にしないでー」
ひらりひらりとタバコを持っていない手を振り、二森はてくてくと歩みを再開した。
「歩きタバコはマナーがなってないぞ。埋葬林が燃えたらどうするんだ」
「ぎゃー、ごめんなさい。気を付けます!」
街灯に照らされた金髪は、慌てて携帯灰皿にタバコを突っ込んでいた。
「火はすこし苦手なんでな」
燃え盛る埋葬林を想像して、銀次郎は身震いがした。
◇
外ヶ浜園美は、銀次郎の妻だった。
「当たり前に年を取った君も、変わらず美しいな」
その自分が発した言葉に、銀次郎の胸は張り裂けそうになった。
「龍二も、でかくなったよなあ。立派になった。俺より年上に見えるじゃないか……」
外ヶ浜宅は小さな一軒家で、物干し竿が設置された庭がある。銀次郎は庭を囲むコンクリート塀に背中を預け、居間でくつろぐ園美と、帰宅したばかりの息子の姿を眺めていた。
居間には明かりが灯り、まだレースのカーテンしか引かれていない窓辺から、彼らの営みがよく見える。銀次郎が死んでから、連綿と続いてきた日常だった。
自分を亡くした園美と龍二が、とてつもなく苦労したであろうことは想像に難くない。息子と、その妻に笑顔をむけている園美を見ていると、銀次郎の涙は勝手にあふれて止まらない。
外ヶ浜園美は、病に犯されていた。
病状はわからないが、立ち振る舞いや周りの気遣いからみて、あまり良くないと想像できる。そんな彼女や息子たちの傍にいてやれないことの悔しさ、寂しさ、悲しさ。それは、本来の墓守ならば決して持つことのない感情だ。削げ落ち、破棄されるものだ。
変異した墓守遺伝子を有するDNA。墓守以前の思い出を持つ、希少な生きた標本。
そんな特殊性など、銀次郎は欲しくなかった。当たり前の墓守であったなら、当たり前の人間であったなら、どれほど良かっただろう。出会えば別れがつらいのは、墓守であろうと、不転化個体であろうと、心を持つカラスであろうと、きっと変わらない。本来なら味わうことのないこの別れのつらさは、なにかの罰なんだろうかと、銀次郎は奥歯をかみしめる。
「あぁ、待ってくれ。もうすこし……」
銀次郎の声は届かない。姿も見えるはずがない。
無慈悲ささえ感じるほど、あっさりと遮光カーテンが引かれ、暖かな明かりが灯った室内は、さえぎられた。
闇夜の庭に、ぽつねんと取り残された銀次郎。彼の声は届かない。姿も見えるはずがない。けれど、誰にも聞こえないよう、彼は声を押し殺して泣いた。
「ねえ。サンタさん……、つらいの?」
少女の声が聞こえたのは、そんなときだった。低く、ともすれば周囲の音にかき消されそうな、かぼそい声。しかし、強い意思を感じる声。
「おい。人の家を覗き込んで、なに言ってんの」
「優衣子。そんなところに墓守様はいないよ」
耳馴染みの深い声も聞こえ、銀次郎はいよいよ焦る。そっと振り返ってみると、コンクリート塀にしつらえられた模様と呼べる穴、そこからこちらを見ている少女がいた。
二人の目が合う。完全に銀次郎を視認している。じり、と銀次郎の足は後退の準備に取りかかった。
「こんばんは」
少女はにっこりと微笑んでみせた。二森とは違う、屈託のない笑顔だ。
「え……。コスプレしてる不審者じゃなくて?」
逃げ出そうとした銀次郎を、今度はべつの瞳が捉える。息子の龍二の面影を宿したその瞳。ともすれば吸い込まれそうなほど、銀次郎は引き付けられた。忘我の表情で硬直してしまった銀次郎。二人の少年と少女は、間違いなく墓守を視認していた。
「通報しよう、巽」
馴鹿の声で、銀次郎は我にかえる。
「いや待って、不魚住。この人、どこかで……」
目をこらした巽が、銀次郎を見つめる。
銀次郎は、自分を視認できる人間が同時に二人も現れることなど予想していなかった。しかも、巽は以前、銀次郎を視認することはできなかったはずだ、と困惑が彼を襲う。
とにかく、この場から立ち去らなければならない。そう思い、銀次郎は腰に下げていたスレイベルに手をかける。収納しているクッション性の高いポーチから取り出すと、しゃりしゃりと窮屈そうな音を鳴らした。
銀次郎がスレイベルを鳴らすと、薄緑色の粒子が涼やかな音で周囲に広がっていく。しだいに、こちらを見ている二組の瞳から好奇心の光が消えていく。
銀次郎はゆっくりとスレイベルを鳴らしながら、塀を迂回し、玄関前を通って外に出る。ぼんやりとした顔で立ち尽くす二人と、怒りの瞳で銀次郎を見つめる馴鹿がいた。
「すまん、馴鹿」
意図せず涙でかすんだ声に、銀次郎は自分で驚いた。
「あとで、ちゃんと謝るから」
そう言って、スレイベルを叩く間隔を徐々に長くしながら、銀次郎は外ヶ浜宅から離れた。一度振り返った彼の目には、複雑な表情をしてこちらをみている馴鹿がいた。
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「カウンター・フォー・シーズンのメンバーらしき人物を発見。
根拠不足のため、確度は低い。確定した場合、おって報告する」
サークル構成員No.669からの報告
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