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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第一章 ロストサンタクロース
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臆病者 ② /外ヶ浜巽

 不魚住と別れ、俺は埋葬林の南にある橋の上にいた。

 眼下を流れる一級河川は、大量の水を運んでいる。高所から眺めていると水の流れはひどく緩慢に見えるが、たまに落ちて死人が出てしまうくらい流れは速い。その巨大で逆らえない流れは、やがて埋葬林へと流れ込んでいく。数キロメートル先の鉄道橋の手前まで、この一級河川はブラックボックスのなかだ。


 ふと、川の中の魚たちは、いったいどうなっているんだろうと考えた。鉄道橋の向こうで、背骨が一回転しているフナが釣れたという話もあったっけ。なんにしろ、得体の知れないなにかが、あの死者の森にはあるんだろう。


 五月の爽やかな午後とは思えないような、巨大な積乱雲を頭上に掲げている埋葬林。直下では大雨が降っているのか、きのこ雲みたいに見えて、なんだか不吉だった。


「外ヶ浜巽か?」


 橋の中央にあるベンチで佇んでいた俺に、誰かが唐突に声をかけた。感情を殺したような、男の声だった。


「君が外ヶ浜巽で、いいんだな?」


 返答をせず、ただ黙って見つめていた俺に、男は同じ質問を繰り返した。目深にフードをかぶった男。パーカーの上からでもわかるくらい逞しい体つきだった。正直、恐怖をおぼえる。


「違うとも言わないなら、外ヶ浜巽なんだろう」


 男は業を煮やしたのか、大きな溜息を吐いて、俺に便箋を差し出した。

 それを見て、俺はぎょっとした。桜が満開に近付いたころ、俺のリュックにいつのまにか紛れていた手紙。優衣子が殺されたと語る不気味な手紙。


「反抗の意思ってなんだ?」

 内心の恐怖を悟られないよう、俺は努めて平坦な声で男に問いかけた。

「俺は、なにも知らん。ただ駄賃をもらって、こいつを君に届けにきただけだ」


 優衣子の死の真相を知りたければ、俺に反抗の意思がなければならないらしい。しかし、男はにべもなく俺に便箋を押し付けた。


「ちゃんと渡したからな」


 そういって、顔をフードで隠した男は、軽やかに隣町へ向かって走り去ってしまう。もしかしたら、ただランニングをしていただけの男かも知れない。


「なんなんだ、いったい……」


 俺は苛立ちに任せて、渡された一枚の便箋を開いた。


『この世界は嘘つきだ。バートランド・ラッセルの世界だ』


 中学生のたわ言かよ、と俺は内心で吐き捨てた。あれはたしか、世界が五分前に誕生したのだとしたら、という話だ。そこから、物事の本質を考えてみようという話だ。自信はないけれど、少なくとも、世界は五分前に誕生したのだ、という話じゃなかったはずだ。


『世界の嘘を暴き、嶽優衣子の死の真相を知りたいのなら、埋葬林を目指せ。中心部にあるという御神体に接触しろ』


 どうして、世界の嘘と優衣子の死を、同列で語るのか。

 赤い衣装に身を包んだ優衣子を思い出す。林宮で見た、あの墓守様のような優衣子。ばっさりと切られたショートカットが印象的だった。


『その行為をもって、我々は外ヶ浜巽に反抗の意思あり、と認識する。そのとき、すべてを教えよう』


 埋葬林の中心部。御神体。

 不魚住が言うには、埋葬林の中心部は、たとえ墓守様でも踏み入ることが許されない禁忌の場所。禁足地。そこに踏み入り、あろうことか御神体に触ることが、反抗の意思とやらになると言う。もちろん、俺のようなものが、埋葬林に踏み入るのは重大な法律違反だ。そのうえ、御神体に接触しようものなら、どうなるのかさえわからない。

 背骨が一回転したフナを思い出し、俺は身震いを起こした。


 だけど――。


 思ってしまう。

 優衣子が生きているのだとしたら。それが、優衣子の死の真相なのだとしたら。

 墓守様が大好きだったあの優衣子が、コスプレなんてするわけがない。どちらかといえば、嫌っていたくらいだ。もちろん、私服でもないだろう。私服にしては赤すぎる。そんなこだわりは持っていなかったはずだ。


 だとすれば、いまの優衣子に、埋葬林が無関係とは思えない。


 そしてなにより、俺は優衣子がまだ生きていると思っている。思ってしまった。

 知り合ってからずっと、優衣子がショートカットだったことはない。見たこともないものの幻など、見るものだろうか。それも、あんな鮮明に見るものだろうか。息づかいさえ聞こえてきそうだった。

 不魚住の心配そうな顔が思い浮かび、考えをすべて放棄したくなる。だけど、俺には、どうしてもあれが幻覚の類とは思えなかった。


 俺はベンチから立ち上がり、埋葬林の方向へ向き直った。


「な……っ!」


 不気味な積乱雲が垂れ込めていた。

 まるで真夏のようなそれは、俺の頭の上にまで這い出していた。鼻先をかすめ、大雨は巨大なベールのごとく大地を打っている。


「おいおいおいおい! なんだあれ!」

「大地震の前兆とかじゃね?」

「やばいやばい!」

「なんで? なんで、はみ出してんの?」


 周囲がざわつき始める。通行人はもとより、わざわざ車を止めて見上げている人もいた。


 しゃらん。しゃらん。しゃらん――。


 あ。

 と、誰もが鈴の音に気を取られた。まばたき一つの間。意識と意識の狭間のような、見つけることさえ難しいその一瞬。埋葬林から抜け出した積乱雲は、何事もなかったかのように、また埋葬林の上空のみを覆っていた。


 しゃんしゃんしゃん――。


「あれ?」


 俺は異変に気付いた。

 何事もなかったかのように。それは、埋葬林だけではなかった。目の前の威容に、あれほどざわついていた周囲の人々が、急激に興味を失ったような顔で、日常に戻っていくのだ。


「帰ってなにするー?」

「ゲームしようぜ。死ぬほど穴掘るゲーム」

「あー。それで出たブロックを死ぬほど積み上げるゲームな」

「いや待て、あれは死ぬほどジャガイモを栽培して焼くゲームだから」


 違う高校の男子たち三人が、暢気にゲームの話をして、ぶらぶらと歩き去っていく。


「嘘だろ……」


 しゃらん。しゃらん――。


 今日はやたらと鈴の音を聞く。


 ――この世界は嘘つきだ――


 あの手紙の言葉。あの言葉が真に迫る。

 どうして、みんな突然に興味を失ったのか。あれほどの威容――異様は、すぐには忘れられないはずだ。死ぬほど木を切り倒して家を建てるゲームのほうをこそ、忘れて仰ぎ見てしまう状況だったはずだ。


 手の中の一枚の便箋。これは、いったいなんだ。

 こんな紙切れ一枚で、俺の見ていた世界を引っくり返そうというのか。ふざけないで欲しい。


 俺は、林宮に向かって走り出した。さっきの異様は真実だと、濡れた足元が飛沫を上げて伝えている。

 埋葬林。墓守。その二つに対して、もっとも身近にいるのは、馴鹿である。不魚住になら、この状況がわかるかも知れない。いかれてしまうのなら、ひとりでなければと思っていたが、ひとりは怖い。ひとりでは、いかれてしまうことさえ、怖かった。


 俺は、臆病者だ。

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